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乳飲み子を預けてまで

職場復帰して2週間が経ちました。
職場を離れて9ヶ月半が経っていたわけですが、主観的にはあまりギャップを感じずにいます。今のところ慣らし勤務というか、フルスロットルで繁忙ではないこともあり、緩やかに労働のある生活に適応していっています。

職場復帰に先行して子供は保育園に通い始めました。
生まれてから、一時預かり等を使ったことはなく、日中離れて過ごす日は入院期間くらいだったので、どんな反応をするものか少なからず緊張していたのですが、蓋を開けてみれば、保育者からも他の保護者からも「泣いているところ見たことがない」と言われるほど、すんなり園生活に慣れていったのでした。
3月から「保育園に行くよ」とカウントダウンをしたり、園の生活リズムを意識して過ごしたりしていたのが良かったのか…いや、9割9分、彼が持つ適応力によるものだと思っています。
入園から1ヶ月経過した現時点では、体調を崩すこともなく、呼び出しも受けていません。ありがとう、赤ちゃん…

さて、私も夫も、フルタイムの8時間勤務です。そうなると、送り迎えに係る通勤時間+勤務時間が保育時間となり、私たち親よりも長い時間、赤ちゃんは保育園で勤務(?)しなければならなくなります。
先に書いたとおり、赤ちゃんは一見、ぐずることなく、よく食べよく遊びよく眠り、マイペースに園生活を過ごしているように思われます。
しかし、きっと、集団生活は疲れると思います。家では多少泣いたり喚いたりするのに、園ではほとんど泣いていないというのは、かえって不安になるものです。赤ちゃんなりに緊張しているのではないかと疑ってしまいます。
実際、直近の土日は4時間近く昼寝をし、疲れが溜まっているのではないかと心配しました。

これまで人生のプライオリティの上位に仕事を位置付けてきた自分でも、やっぱり、なんだか、申し訳ない、後ろめたい気持ちになってしまいます。ごくありふれた、陳腐なセンチメンタルです。同じ立場の他人が同じことを嘆いていたら、迷うことなく「そんなこと思う必要はない」と言い切れるのにね。
でも、これまで差し向けられてきた「かわいそうに」という圧が、見て見ぬ振りをしてきたものの、着実に浸み込んでいたようなのです。
夫は全然そのような後ろめたさを感じていなさそうに見えるので(どちらかと言えば職場に対する後ろめたさの方が強いように思われます。違ったらごめん。)、例に漏れず、これも母親という役割にかけられた呪いの一つなのでしょう。

私は仕事を通じて社会に貢献したい。仕事を介して、自分一人の両手で収まる範囲を超えた多くの人々に、良い作用をもたらしたい。次世代に少しでもより良い社会を残したい。
例え、自分自身の手で我が子を抱きしめる時間を引き換えにしても。

自分の可処分時間をフルで仕事に充当していた頃とは違うんだなあ。彼と過ごす時間を遣って、仕事をするんだなあ。
以前にも増して、もっとずっと、時間対効果高く、貢献しなければならない。それが彼に対する後ろめたさを払拭するシンプルで確実な方法なのでしょう。