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赤ちゃんが教えてくれたもの

早いもので、第一子が産まれて1ヶ月半が経ちました。
産後のnoteももっと早く書きたかったけれど、デスクに向かういとまがなく… 産後間も無くコンスタントにnote更新している方、凄すぎます。今この記事は、産後ケア施設を日帰り利用している隙に書いています。

浮腫の塊になりながら、産院で夫と共に恐る恐る赤ちゃんのお世話をした生後1週間がずっと前のように感じられます。産前休暇の記憶なんてもはやはるか彼方に…。さらに以前の働いていた時期の方が、期間が長いだけあってまだ手触りが残っているものの、それも大分薄れてきました。

赤ちゃんはずっと可愛い、とにかく可愛い。生まれたても可愛かったけれど、当時の写真を見返すと、率直に今の方が可愛いな〜と思う。これからも毎日ベストを更新していくのでしょうか?すごいことだ。

とは言え、18時を過ぎた頃には概ね疲れ果てている。夕方から4-5時間泣き続けるような日もあり、泣き声に耐えかねて耳栓で防御しつつ、しばし意識を手放して呆然としたりもする。夜は細切れに寝て、でも、翌朝陽の下で赤ちゃんの顔を見ると、「ンがわいい!!」と脳汁がブシャーと出て、抱っこせずにはいられなくなるのだった。

夜間授乳の合間に川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』というエッセイを読み始めたら、面白くて朝まで一気に読み切ってしまった。その中で、“かわいい♡拷問“という表現が出てくるのだけれど、まさしくこれだと思う。可愛い、眠い、可愛い、筋肉痛、関節痛、可愛い、可愛い… 可愛いに殴られて、パンチングドランカーになっていく感覚。このエッセイ、面白いし共感するし最後は泣けるし、おすすめです。

さて、表題の件。
出産にあたって、予定日前週は毎日タクシー帰りの繁忙期にも関わらず、夫が3週間職場から離れ、育児のほか、わたしの身の周りの世話、対役所や職場への手続、保育園見学をしました。母は、恐らく現業に就いて初めて長期休暇を取得し、退院後2週間、野菜とお肉たっぷりの食事を振舞ってくれました。遠縁を含めた親族、親しい友人や職場の方から、労いと祝福をいただきました。

妊娠・出産による身体的な損耗は大きく、否が応でもケアしてもらう必要はあるのですが、一方では自ら望んだことであり、疾患や障害とは異なるので、大事にしてもらうことがただ新鮮にありがたく、若干申し訳なくもありました。
わたしは傲慢で横柄ではありますが、自立心が旺盛なので、ケアされること、頼ることがあまり得意ではないのです。

しかし、労られたり祝われたりする中で、大切な人たちが、わたしと、わたしが産んだ子を大切に想ってくれることが伝わり、その繋がりを改めて感じました。
わたしを取り巻く人々に対しては、漏れなく個人としてリスペクトしているからこそ、今日まで関係を保っているわけですが、それとは別に、こんな繋がりを保てた自分に、なんだか自信を持てました。一人遊びを愛し、あまりコミュニケーションが得意ではないわたしだけれど、こんなに尊い人間関係を築いてこられたのだと、答え合わせ、総決算をするような感覚です。
子はかすがい、などと言いますが、赤ちゃんは夫だけではなく、身近な人との仲を一層深めてくれました。

低月齢児の育児は孤独です。赤ちゃんの食糧(授乳的な意味で)兼おむつ替え屋さんとして日々が過ぎていきます。社会や公共との隔絶を感じます。
それでも、赤ちゃんが教えてくれた身近な人々との繋がりがあるので、何とかなりそうです。
あと半年後には職場に復帰し、何もなければ先数十年間、社会人として過ごさなければならないのだから、今はこの神聖なかわいい♡拷問にどっぷり浸かりたいと思います。

祝ってくれた皆さん、ありがとうございました。今後とも変わらぬお引き立てをお願いいたします!

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