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ふたば、ふたたびツアー(後編)

前編はこちら

4 震災遺構・請戸小学校

次の目的地は浪江町立請戸小学校。浪江町は双葉町の北隣で、西の山側はかのDASH村がある場所として有名。500メートル先はすぐ海で、校舎は津波の直撃を受けた。その破壊の爪痕を保存して、津波の恐ろしさを語り伝えようという「震災遺構」の一つになる。

ケーブルが引きちぎられ倒れかけた配電盤。剥き出しになって折れ曲がった鉄骨。給食室の調理器具が押し流され、扉の前で詰まって天井まで積み重なっている。そこには津波の巨大な力が可視化されている。最近は田舎に限らず東京の郊外でも、ぼろくなった空き家を見る機会が増えてきたけれど、「半壊した建物」というのはやはりそれらとは違って、見慣れない分インパクトがある。

ただ、個人的にはその風景に「懐かしい」という感じを受けた。2011年の夏、私は震災ボランティアとして東北の各地を訪れていて、その際に石巻の門脇小学校という、こちらも震災遺構になっている場所を間近で見た経験があったからだ。2011年末の紅白歌合戦で、長渕剛が門脇小の校庭から中継で歌ったことで、その場所は有名になった。ボランティア当時の記憶と共に、そのときの感情も蘇って来る。

ここには「請戸小の奇跡」と呼ばれるエピソードがある。地震が起きたとき、全校が一丸となってすぐさま避難を開始した。避難場所は1キロ程内陸にある大平山。生徒の一人が野球のトレーニングで訪れたことがあり、登山道の場所を知っていると話し、生徒・教師全員がその道を使って山の上に登って助かった。この子の知識もそうだけれど、生徒を信頼した教師の判断も賞賛され、「『奇跡』と言われていますけれど、それは先生方も子どもたちも、しっかりと判断して、落ち着いて行動できたからこそ良い結果になったんですね」とガイドさん。

その後、原子力災害伝承館を訪れた際にも、スタッフからこの請戸小学校のエピソードが繰り返された。「さっき聞いた話だな」と、なんとなく耳に入れつつ、周りの写真やパネルを眺めていると、話の最後、「実は私も、その時に避難した小学生の一人なんです」と締めくくりの言葉。ツアー参加者たちから「おお~」とどよめきが湧いた。「歴史の生き証人」なんて書くと大げさかもしれないけれど、何十枚の解説パネルを見るよりも、その一人の存在がより強くリアリティを与えてくれるように思えた。その時に避難できたからこそ、いまこの場所で出会えたという事実。津波という出来事が過去を離れ、唐突に現在へと立ち上がった瞬間だった。

「助かった大きな理由の一つは、私たちの学校が海の目の前にあったことかもしれません。津波が必ず来ると全員がすぐに理解していました。避難することに誰も迷わなかったんです」

5 双葉キャンドルナイト

「ふたば、ふたたびツアー」はここで一度解散になり、希望者は双葉町に残って、駅前で行なわれるキャンドルナイトに参加すことも可。ガイドさんにお礼を伝えてからシャトルバスにのって双葉駅まで移動した。双葉町のあちこちには、OVER ALLsというグループ/会社が描いた壁画がある。これが描かれた由来が結構面白くて、アーティストたちはあくまで「描きたいというエゴで」描いたのだという。その目的は「アートは人の心に火を灯すことができると証明する」ため。気になったらステートメントを読んでみて下さい

↓公式からキャンドルナイトの動画が公開されています

双葉町は長らく帰宅困難区域だったけれど、2022年の8月、その一部が「特定復興再生拠点」となり、ようやく帰町が始まった。最初のキャンドルナイトはその避難指示解除を記念して行なわれた。キャンドルジュンのスピーチに続いて、双葉町の町長もマイクを握る。

「双葉町は、だんだんと人が戻って来て、今では100名ほどが住んでいます。震災の前の人口に比べたらまだまだ先は長い。でも今夜のキャンドルナイトには、去年の五倍くらいの人が来てくれました。ここからです。もっともっと、沢山の人に戻ってきてほしい。キャンドルナイトにも、もっと沢山の人が来て、震災のことを、この場所のことを思ってほしい」

震災から十三年、それは長い時間だけれど、一方で双葉町など原発付近6町村の復興拠点への帰還はまだ始まったばかりだ。少し話が飛ぶけれど、私はこの後、東北のあちこちを旅して、多くの被災した方たちに出会い、話を聴くことができた。「十年経って、ようやく話せるようになったことがある。あのときのことを話せるようになった人たちがいる」そんな言葉が印象的だった。「震災の記憶を風化させない」という言い方も良く耳にするけれど、それに留まらず、「今だからこそ」震災のことを思いながら東北を訪れる意味があると思う。

最後に、今回のツアーに命を吹き込んでいたのは、その場所について語ってくれた人々だったと思う。中間貯蔵施設と言ってもまあ空き地だし、請戸小学校だって廃墟、伝承館も資料は充実しているけれども、震災を直接経験していない人からすれば、どうしても「知識」の枠を出ない。

けれど、福島に暮らし、そこで生きてきた人たち──多くの魅力を伝えてくれたバスガイドさん、土地についての思いを語ってくれた中間貯蔵施設の職員さん、伝承館のかつての請戸小学生、双葉町の町長さん。個人的なものを含めるのなら、いわきの夜のバーや居酒屋で隣り合わせて、震災とその後の日々を語ってくれた福島の人たち。その語りによって、震災が過去だけでなく、いまここにあるものとして伝わってきた。お話してくださったみなさまに心からの感謝を。

おまけ。道の駅なみえの、超太麺なみえ焼きそば。ソースが濃厚でした。

この翌日には富岡町にある東京電力の廃炉資料館を訪れ、午後はJヴィレッジでの音楽イベント Song Of The Earthを見てきました。こちらについてもレポートを書きました。


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