第七回 amazarashiと哲学

こんにちは、筋肉んです

今回解説するのは「アノミー」です。
この曲は徹底的なニヒリズムとニーチェの思想で満ち満ちています。
実のところ、この曲のインスピレーションは寺山の「アダムとイヴと、私の犯罪学」から得ているようですが、今回はあくまで哲学的視点のみで捉えていきたいと思います。
結論からいうとこの曲は、圧倒的な虚無感、厭世感のもとで綴られています。
ニーチェ的な崩壊概論を、ニーチェによる超人の局論を全く無視して歌われているので、最初から最後までニヒリズムが徹底されている様が伺えます。
今回はこの曲を歌詞ごとにニーチェの思想がどのように受け取れるか見ていきたいと思います。
まずこの曲の題名である「アノミー」、この単語はエミールデュルケームが、社会総体として定義される倫理規範が正当性を失った様を批判する意味で作った単語です。題名なだけあってこの曲の歌詞に一貫して現れている思想です。
そして冒頭、「アダムとイブが風俗ビル〜」「アダムにとって知恵の実とは〜」にみられる徹底的なキリスト教、聖書への皮肉が痛々しく、生々しく歌われます。近代になり、科学、物理学などの発達によって、その時代真理とされていた新約聖書の内容がことごとく否定されたことを、恨み嘆きはせずとも、手放しで喜べない気持ちが伝わって来ます。
また「ハックルベリーがゲロの横で眠ってる」からは、二通りの解釈が浮かび上がりました。
まず一つはハックルベリーのアイコンでもある少年性、野心が現代社会では死んでいる、という解釈です。私は哲学を学ぶ前こっちの解釈をしていて、大人になりたくないなぁなんて思っていましたが、ニーチェ的視線を伴うとまた違った見え方が現れてきます。
それはハックルベリーを少年性ではなく自由の象徴として捉えることで、ゲロをキルケゴールのいう「自由のめまい」による産物だと捉えることができるのです。
キルケゴールは、人は自由になるとめまいを起こし、それをもって不安が呼び起こされるとしました。つまり宗教の凋落による、ある意味での自由が我々現代人にめまいによる不安を呼び起こさせていることを歌っているのではないかとも解釈できます。私はどちらかというとこちらの解釈が好みです。
そしてサビ前の「神を殺したのは私、神に殺されるのも私」はまんまツァラストラの「神は死んだ、我々が殺したのだ」に通じています。しかしここでさらに私が注目したいのは、歌詞の時制です。神を殺すのは過去形ですが、殺されるのは過去形ではないのです。つまりここに神を殺したことで私たちが殺されるという因果関係が見られます。死後強まる念みたいで少しかっこいいですが、これには神の死の克服を諦めた態度が見出せます。圧倒的ニヒリズムですね。
ついにサビに入ります。サビでは宗教が凋落したことへの憎しみが耳に刺ってきます。その昔宗教が栄華を極めていたとき、愛とは神から私たち与えられる恩寵として定義され、単純化されていました。結局は没落して愛を含む諸々の価値観は更地になってしまったわけなのですが。
それがつまり「愛って単純なものなんて歌ってる馬鹿はどいつだ」「そのあばずれな愛で68億の罪も抱いてよ」に現れています。
Bメロ、神の死後かつて宗教だった共同体としての機能は「社会」へと移り変わっていきます。しかし、宗教においては「神話」「説話」でもって正当性が図られていた道徳が、「社会」へと移り変わった際にある種の正当性を失い、ただ互いに生きやすいよう設けられる相互承認としてのルールに変わって行きました。それが「物を盗んではいけません〜あなたが殺されないために」に表れています。この理由ではなぜやってはいけないのかの本質的説明にはなっていませんよね?これは神の死による影響の最も大きい影響の一つであると私は考えます。価値観の相対化ともいうべきこの事象は我々を路頭に迷わせます。
最後のたたみかけとしてラスサビ前、「神様なんて信じない〜全部うそだと言ってたら全部なくなった、愛する理由がなくなった、殺さない理由がなくなった」でニヒリズムはまさに最大局面を迎えます。ニーチェは徹底した懐疑主義で持ってここにある、神、価値観、歴史、道徳全て疑い、また全てを嘘だと論破してきました。
神は死に、絶対的な価値観はなく個々人の解釈のみが存在し、我々個人は歴史、文化に完全には還元され得ず、人間として生来持ちうる道徳など全くもっての嘘であると。

いかがだったでしょうか?この曲の圧倒的ニヒリズムの濁流と、ニーチェ思想の徹底ぶりには目を見張るものがありました。僕自身ニーチェ信者であるため、今回も非常に楽しく書けました。次回は「世界の解像度」について解説します。
また、DMにて随時解説してほしい曲のリクエストなど受け付けておりますので、どしどし送ってください。ありがとうございました。

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