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宗教が胡散臭く感じる6つの理由

少し前にこんなつぶやきを投稿した。

言わずもがな、あの事件の事だ。

遠い昔に亡くなった母は、
仏式の葬儀で見送り、
実家にある代々の墓所も
一般的な仏教のスタイルだ。

自分自身は無宗教だ。
別に、世の中の宗教や、
それにまつわる儀式などを、
積極的に拒絶する気はないので、
自称無宗教といったところだ。
自分だけでなく、
そういう人は少なからずいると思う。

ここでは、なぜ自分が
宗教全般に対して否定的になったのかを
自分なりに、整理してみようと思う。

あくまで個人の見解です。
一部事例としてあげた部分を除き、
特定の宗教を意図したものではありません。

理由1:神も仏も奇跡も見たことがない

自分自身が見たり、
体験した事に由来していれば、
宗教や神、仏を信じたかもしれない。
でも、残念ながら、
それらを一度も見たり、
体験したことがない。
人の伝聞や、書き手も知らない昔の書物を
鵜呑みにする程、人間ができていないのだ。

理由2:際限なく功徳を求めるのは何故か

宗教の為に、
身を削ったり、財産を投げうったり。
神や仏が、そんなに立派なのに、
なぜ、たかだか矮小な人間如きの
私財や献身を求めるのだ。
現世で財産をもっていると
来世で幸せになれないとか、
自由経済に恨みでもあるんですか。

理由3:宗教家だけが幸せそうにみえる

宗教に執着する人は、
人生になんらかの苦悩があり、
現状において困っている人が多いと思う。
対して、宗教家は不幸そうな人を見かけない。
やたら立派な車に乗って、
大きな敷地の家に住んでいて、
地元の盟主よろしくやってる印象。
仏教でいえば、世の事を憂い、
入定の上、即身仏になるような
自己犠牲を省みない宗教家もいたと思う。
でも、現代の宗教家はどうですか。

理由4:なぜパワーゲームをしたがるのだ

勧誘されるものトップ10に、
間違いなくランクインしそうなのは、
怪しいビジネスと保険と宗教だろう。
そもそも、なぜ宗教は、
仲間を増やしたがるのかわからない。
他人が別の教義を信じていて、
なにか不都合でもあるのか。
なにを信じてどう生きるかなんて、
集団を作らずとも、各人が心の中に
もっていれば良い話ではないか。
羊をあえて自分の柵の内側に
閉じ込める事に、どんな意味があるのか
是非、教えて欲しいです。

理由5:人間ありきの宗教、視野が狭すぎる

自分が思うに、
人間は特別な存在ではない。
地球だけみても、
多種多様な生命が存在して、
その生態系の中で偶然、
少しだけ高い知性をもったのが人間です。
人間が、ここまで進化する以前には、
恐竜が地球を闊歩した時代もあります。
なのに、一部の宗教では、
神は、自らに似せて人間を作ったと
伝えられていたりします。
似せたのが姿形なのか
精神性なのかは置いておくとしても、
人間が特別扱いされすぎな気がします。
長い恐竜の時代には、
適当に恐竜を作っていた神様は、
急に自分に似せて人間を作ったのでしょうか。

理由6:人間の死は世界の終わり

多くの宗教は、死後の世界を語ります。
天国、地獄、輪廻転生等など。
でも、人間の死は世界の終わりだよね。
人間の自我は脳の活動によって、
保たれるのは、科学的にも疑いようがない。
肉体が死に、脳の活動が停止すれば、
記憶も自我も消滅して、
全ての認知機能も機能しなくなり、
それは事実上、一人の人間と
その人間の認知する世界の消滅を意味します。
ここまで理解した上で、
死後の世界や、輪廻転生を説く宗教を
自分は受け入れることができません。

以上

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