見出し画像

鑑賞の成長

無気力、新年早々の世の乱れに狼狽し、何も無く、何も出来ずに1日を過ごし、何も思いつかないので少しでも有意義に過ごそうと思ってとりあえず写真でも見ることにした。やってきたのは東京都写真美術館、去年星野道夫展を見て以来約1年ぶりの来訪である。

今回は「即興 ホンマタカシ」と「プリピクテ Hunan」を鑑賞した。前回の鑑賞の際はまだ構図ぐらいしか語ることが出来なかったので鑑賞の切り口はそこにあったと思う。しかし今回は空気感や写真のストーリー性、そして独創性などの観点からも見てみることにした。ここ1年で自分の写真観は大きく変わったと思う。まだまだこういった写真を始めてから2年程度しか経っていないのでせいぜい未熟な感性であるが、決して理論的に見れば上手くないものに芸術的な「美しさ」(これが的確な表現なのかは分からないが)を感じられたと思う。人の作品の直撮りをここに出すのは気が引けるので出さないが、「プリピクテ Hunan」ではストーリー性に根ざした組写真を見ることが出来た。組写真というジャンルに出会ったのは1年と少し前のニッコールフォトコンだった。私にその芸術的価値を感じるにはあのころはまだ早かったようでよく分からなかったが、そのストーリー性や主張の表現を楽しむのではないかとだんだん最近わかってきた。今年のニッコールフォトコンでは「アタカの冬」という作品が長岡賞を受賞したが、あれは誠に一貫性のある見事なストーリー表現だったと思う。最近「メタファー」(相手の想像に任せた比喩表現)という概念を知ったが、確かに組写真においては特にそのメタファーを拾う鑑賞者の感覚や思考が重要になってくるのだろう。そして表現者もそれを誘導できる作品作りをすることが大事なのだろう。

独創性

「即興 ホンマタカシ」はピンホールカメラを使った独創的な写真表現を展示する展覧会で、作者としては「事件と事件の間にある退屈」を手癖なく厳密に切りとることを目指して表現活動したものだという。複数枚のピンホール写真を繋げてひとつにしたり、ピンホールの通り逆さにしたり、そこにある「厳密な退屈」に美を感じるものであった。中には後ろ姿のヌード作品(35.Camera Obscura Nude)などもあったが、これこそ人間美に退屈を加えて作った落ち着いた美術的な表現であったと思う。最近おじさんポートレート(性欲が見えたポートレート作品の蔑称)と言う話題がよくSNSで議論されており、ヌードやエロスに対しての美と性欲の狭間という問題がトレンドになっていると思う。「退屈」と思わせる表現はある意味で欲への単純な逃げとも取れるが、それもひとつの性欲を否定する解であろうと思った。東京都写真美術館のニュースマガジンにはホンマタカシ氏の「上手い写真」への欲に対する感情が述べられていた。私はこれを見て、確かにプロというものは「上手い」という定評がなければ成り立たないものかもしれない。しかし、写真美術が少なくとも絵画や彫刻といった芸術よりよっぽど「美しい」ために技術を必要としないものであるという理論は私の胸に刻まれるべきだと思った。

iPhone14 1x 26mm f/1,5

(考察思案04)(実践追想03)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?