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重症脳梗塞からの回復記4ー10年過ぎても脳は回復する

14年が経過して

今、毎日はどのように過ぎていくのか、少し書いてみたいと思います。
朝は普通に起きてきて、リビングで飴をなめたり、好きな音楽のCDをかけたりして、私が起きてくるまでの時間をゆったりと過ごしています。
私と二人の朝は一杯のミルクティーから始まります。

毎日楽しみにしているのは新聞を読むこと。
パンと珈琲の簡単な食事が終わると、「新聞をとってきて欲しい」と言います。発症時は左脳がほぼない状態なので全失語と言われましたが、どうしても言いたいことは、いつの間にか言えるようになっていました。いつからなのかは私もちょっと思い出せません。でも、発症当時も言葉を出そうとしていたことは確かで、途中まで話せたりしていました。これについては、あとで詳しく書こうと思います。

今でも表出すること自体はとても難しいので、指差しですまそうとすることもしょっちゅうです。「電気をつけて欲しい」と言う代わりにライトを指差します。「ん?」「なに?」「なにしてほしいの?」私はどこまでもそれを言葉で言わせようとします。そんなことをよくやってます。

毎日、新聞を楽しむ

「新聞をとってきて欲しい」。この言葉を、私は教えた覚えはないし、練習もしていません。が、この言葉を発すると言うことは、彼の今の日常生活において、新聞という情報がいかに大きいのかを示しているのかもしれません。

新聞を手にすると、ハサミとボールペンを手にして、読み始めます。彼の読み方は昔から、まず第一面から読み始めます。さまざまな社会情勢が報じられる紙面を、時には喜んだり、時にはため息まじりの声を出したりしながら、社会の様子をリビングの片隅から眺めています。

自分が関心を持っている事柄については、切り抜いてスクラップを作っています。朝から、リビングテーブルの上には、切り抜かれた新聞記事が溜まっていきます。その中から、特に大事そうなのを選んで、自分の部屋に一人で持っていって、自分なりに整理しているようです。

読んでいる最中に、「ここ」と声をかけられたりします。
「なあに?」と覗いてみると、いかにも夫が関心持ちそうな記事がでています。社会問題だったり、好きな作家だったり、いろいろですが、スポーツや、囲碁将棋については、とても関心を持って私にもよむようにと勧めてきます。野球は西武が好きで、西武が勝つととても喜んでますし、囲碁で若い人たちがどんどん活躍することを報じる記事を見ると、それはとても嬉しいようです。

連載記事も比較的好きで、気に入った連載は、こまめに毎日切り抜いて束にして自分の部屋に保管しています。そんな時に、「なんか音楽かけて」と頼むと、自分のジャズコレクションから、その時の気分に合ったような音楽をセレクトしてかけてくれるので、ジャズには疎かった私も、だんだんジャズの良さがわかるようになってきました。穏やかな時間が流れていきます。

テレビ番組欄と二つのリモコン

夫がいちばん張り切るのは、テレビ番組欄を見ることです。ボールペンを持って、関心ある番組に印をつけていきます。それと、WOWOWの番組表も彼の生活には欠かせません。

ひとしきり、チェックが終わると、番組表を持って自分の部屋に行きます。テレビは彼の部屋に置いてあります。
連続ドラマのように、いつもみるものはそのまま見ていますが、朝にチェックした関心ある番組を、録画機能を使って録画しています。テレビのリモコンと、それに外付けしているブルーレイディスクのリモコンを器用に使って、自分が関心ある番組を次々に録画します。とりあえず、録画は撮っておこうと言うことらしいです。

あとから、ゆっくりその番組表を見て、再生したいところだけ、見ていきます。WOWOWで放映される懐かしい映画や、大好きなボクシングの番組は必ず録画しますし、夢中になってみています。

これは、普通の人にとってはなんでもないことだろうと思います。でも、ここで私がほんとに感心してしまうのは、夫が、左脳に重大なダメージを受けていて、全失語だと言われていたということがあるからです。脳の画像では、左側がほぼ真っ黒なので、そこはたぶん機能していないということであれば、そもそも新聞を見て興味を持ち、二つのリモコンを器用に操作して、テレビ番組欄を見て見たい番組を録画して、ということができるものなのか?となると、とても疑問です。が、現実はそれができて、自由にリモコンを駆使して、さまざまな番組を楽しんでいます。

私は新しいテレビや、ブルーレイディスクを買ってきた時、最初に二つのリモコンの入力関係を説明しただけだったと思います。これらの機材は夫の部屋にあるので、私はあまり出入りしませんし、録画し過ぎてハードディスクの容量が少なくなった時、不要と思う録画を選びながら消すのを手伝うくらいです。あとは、自分でやり方を覚えたのだろうと思います。(夫が元気だった時は、ブルーレイというものはありませんでしたから)

全失語と太鼓判押されてたのに、なぜ、こういうことができるようになるのでしょう?

10年経っても脳は回復する


私がこの記録を書こうと思ったのは、こういう「現実」があるからです。医師でも脳神経の専門家でもないので、どういう説明が可能なのかはまったくわかりません。でも最初に言われていたこととは全然違う生活が待っていた、ということは声を大にして言いたいのです。新聞やテレビのリモコンのことだけではなく、日常の生活でも進化していることは多々あって、トイレの排泄も誰の手も借りずにすませていることもその一つです。

14年前の私が、絶望にかられながら、救いを求めてネットで探し回った情報は、こう言うことだろうと思っています。どうしてここまできたのか、ここまでこれたのか、それを分析することは私にはできません。ただ、ものすごいダメージを脳に負ったとしても、脳というのは実に不思議なもので、当初の見通しとは全然違う展開になったよと、書いておきたいです。脳梗塞を発症した当時は本当に悲惨な状況であったとしても、それで全てが終わるわけではない。人間の脳は10年経っても回復していくと言うことは、夫のケースで私も理解したと思っています。

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