方法序説(ルネ・デカルト) を再読して (第1-3部) ロジカルシンキングの考え方と比較しつつ


「デカルトの悪魔」とか出てきたのでこの機会に、と思い、年の暮れに数年前に触れたルネ・デカルトの代表作、「方法序説」の読み直し。

まず、全6部構成の前半3部。以前読んだ際は要所とされる第2部に意識がほぼ向いていたため、他の部も読み直してみる。

あらゆるものを疑い、真であると確信できるのは自身のみ…すなわち、「我思う、ゆえに我あり」 …と聞くと何となく壮大なイメージを持ってしまいますが、目的の「方法」について述べた第2部、行動指針(道徳)について述べた第3部は幾つか(4個程)のポイントの列挙とその説明という構成になっているため、ポイントをたどっていけば読みやすいような印象です。

分割と総合による問題解決、見落としているものの可能性への言及("見落とし"の存在を認めること) の部分は近代科学の重要な考え方とされ、理学部での課程でも科学史の講義でも何回か登場した記憶があります。

現代のロジカルシンキングの幾つかの概念も改めて目にすると含まれているような印象を受けました。(『方法序説』が基になっているのか?)ロジカルシンキングの概念との対応も触れていきたいと思います。

このような現代にも生きる(現代で問題解決に取り組む我々こそ読んでみるべき?)『方法序説』を再読し、ポイントの簡単なまとめ(言い換え)と所感です。


第1部: 経緯と問題提起

デカルトの経緯について。
論文のイントロダクション調で概要を。(『方法序説』自体がデカルトの発表した論文のイントロダクションです)

理性-真偽の判断能力-は誰もが持っているものであるが、それをどのように用いるかにより違いが生まれる。したがって、誰もが等しく持つ判断能力の使い方が重要である。

 デカルト自身は最も優れた学問を身につけ、それに加え手に入る書物を読破したにも関わらず、多くの疑いや迷いから解放されることはなかった。疑うことなくただ前例や習慣だけで納得したことをあまり固く信じ込んではいけない。

 そこで、デカルトは教育を修了するや否や、ここまで身につけた学問を放棄して旅に出る。この旅の中で現実に起こる現象に目を向け、考察を加えることで、真偽の判断能力の使い方を学ぶことを目的とする。


読んでみて何となく感じた身につけたものに固執気味の私の個人的な反省点(見習うべき点)

・判断能力がどれだけあるか(何枚カードを持っているか)ではなく、持っている判 断能力をどう正しい方向に使うか(手元のカードをどう使うか)が重要である。
・多くのことを学んできたが、「これらは疑いや迷いを解決しない。解決のためには別のものが必要である」という身につけてきたものに固執しない認識と気づき。
・現実に起こる現象の中にこそ真理がある、と認識すること。

…とか思いつつ。

「これまで学んだ学問を放棄して、再度旅の中で作り上げていく」ということは、ロジカルシンキングの概念で言い換えると「ゼロベース思考」そのものでは、ということから、ロジカルシンキングの考え方が随所に示されているのでは、と予想。

個人的な反省点の3つ目は科学史においても、科学の発展において重要な役割を果たしてきた、と述べられていました。(逆にこれが軽視されていた時代は科学の発展が妨げられていた)


第2部: 真偽の判断能力を正しく使う「方法」に関して

本書の最も主となる部分、真偽の判断能力(理性)を活用する方法について、第2部で述べられています。最小限の規則(余計なものを入れない…これは"オッカムの剃刀"の反映でしょうか?)として、以下の4つを示しています。

1: 明証性の規則 ー「明確に真」と認められるもの以外、受け入れないこと。
2: 分析の規則 ー 検討する問題を、解けるように小部分に分割すること。
3: 総合の規則 ー 分割して解いた小問題を、順序を想定して総合すること。
4: 枚挙の規則 ー 全体を見直し、見落としについて確認すること。

元の複雑な問題のまま扱おうとするのではなく、扱える形に分割することが重要。(当然分け方も大事)

分割して扱ったものを基に戻す際に、要素同士の結び付け方(因果の順序とか、関係性とか)も重要。総合した後には、解いてきた問題全体を見直し、あらゆる場合を考慮して見直すことが必要。


科学史においては最後の見落としのないことの確認(あるとしてどの程度の見落としを含むかの認識)が重要と言われていました。

現代のロジカルシンキングにおけるピラミッドとかツリーとかの色々なフレームワークは2(下位構造へ向かう方向)と3(上位構造へ向かう方向)が反映されているのでしょうか。分解の過程では漏れなく・重複なくが必要

この4つの規則に続く、これらの規則を用いた再構築を数学から始めていこうとする記載の部分で以下がありました。

"(数学の様々な学科が、)対象は異なっても、そこに見出される様々な関係、つまり比例だけを考察する点で一致することになる。"

共通する部分である比例について考え、多くの対象に適応すること:演繹 となっていましたが、「共通する関係」を見つけ出して提示する過程は帰納の過程…(あらゆるものに共通する最小限の規則とかを考えていることも帰納の過程と思われますが)

演繹・帰納についても「方法序説」は触れていましたか。
一読したときに思っていた以上に、現代の論理の多くの方法に「方法序説」の考えが表れているみたいです。


第3部: 真偽の判断ができるまで、どう行動すべきか。

一旦既知のものを捨て、ゼロベースから議論していては、何もできないのではないか。この部分についても、行動指針として言及されていました。

"理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行動においては非決定のままで留まることのないよう、そしてその時からもやはりできる限り幸福で生きられるように、当座に備えて一つの道徳を定めた" (本文抜粋)

判断が下せない間も行動は止めてはいけない、との方針のようです。

過去に読んだ際は第2部の方法にのみ目が向いていたため、あまりこの部分に意識が向いていませんでしたが、改めて読んでみるとこの部分もよく書かれていたように思いました。

確定ができない中での行動指針も含めた、行動指針としてデカルトは以下の3つ(4つ)を示しています。

1: 極端からは最も遠い、一番穏健な意見に従うこと
2: 意見が明確なものである時と同様、一度決めた意見に一貫して従うこと
3: 自身でコントロールできるもののみ考慮に入れること
(4: 自身を教育し続けること)

1: 極端からは最も遠い、一番穏健な意見に従うこと

書き出しが"第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うこと"から始まっており、無批判に慣習を受け入れることは否定していたのではと一瞬思ったのですが、「一番穏健なものに従う」ということのように思いました。

極端な意見を選んで、もしそれが誤っていたとき実害は大きなものになる。穏健なものであれば、誤っていたとしても真理からの違いはより小さくなり、実害は小さい。「本当に真である」と確信できるまでは誤りを含んでいる可能性があり、そのリスクを考慮する、という指針のようです。

2: 意見が明確なものである時と同様、一度決めた意見に一貫して従うこと

本文中では森の中の旅人の例えでこのことが説明されています。

一度決めた方向に向かってできるだけまっすぐ歩き、その方向を変えてはならない。そうすれば、望む場所でなくてもどこかにはたどり着く。方向を変えればぐるぐる森の中をさまよい歩くことになるし、どこかに出ることは森の中に居続けるよりはましである。

一度決めた意見(指針)に取り敢えず従い、一貫することで何らかのその指針による結果が出る。仮に指針が誤っていたとすれば、一貫することにより、それが誤りであると気づくことができる。(誤りである、と認識できることも重要な要素のように思われますが) 確信が持てない中で、むやみに方向を変えることは延々と彷徨い続けることになる。正しい方向の判断ができるまでに時間を要する場合、取り敢えず一つの方向を仮定し、どこかに行き着いてからそれが望むものか、違うものなのか判定すればよいのでは。

ロジカルシンキングにおける、仮説思考の方法と重なるような印象を受けます。加えて、取りあえず不確定ゆえに留まるよりも、進んでみることが重要で、結果が確定するまでは無闇に方向を変えない。("真偽の判定ができるまでの行動指針"ゆえ、誤りであることが明確になったものに固執する、というのではない)

「取り敢えず一つの方向に一貫して進んでみる」というのは意外な印象を受けましたが、実際に取るべき行動についても考慮されていたようです。

3: 自身でコントロールできるもののみ考慮に入れること

すなわち、コントロールできないもの(他者とか過去とか)に悩まないこと。現代における行動指針の考え方においてもここ1年で私自身も何回か触れ、重要なことのように思ってきた(すなわち、コントロールできないものに囚われている傾向がある自分がいる)指針ですが、『方法序説』はこれについても述べていました。

コントロールできないものに悩んでも仕方がない。自分でコントロールできる自分の考え方を変えるように努めるべき

4: 自身を教育し続けること

全生涯をかけて学び、改良し続け、真理を求め続けていくこと。


ここまで再読して、改めて思ったこととしては、思った以上に現代の論理的思考方法に『方法序説』が大きく表れていること、また、「道徳」として書かれている第3部に行動指針についても明記されていたことが印象的でした。


参考文献

岩波文庫 『方法序説』 デカルト 著 谷川 高佳子 訳  岩波書店 1997


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