第一章「蔦の島」
第一節
暗闇のなかに嗅ぎとった最初の記憶は、香草の香り。
鼻を刺激するのが海水ではなく、空気であることに気づき、重たい瞼をゆっくりと持ちあげる。
――いきている。ゆめではないのだろうか。
ぼんやりと霞んでいた意識がはっきりする頃に視界にとび込んできたのは、木の根っこのようなもので編み上げられた天井だった。
先ほどからの香草の香りを目で追えば、見慣れない内装の部屋のまんなかに、赤毛の女の子の後ろ姿があった。
鼻歌まじりに何かを煮ている女の子の耳先は長くとがり、ちらっと見えるうなじや、しきりに動かすうでは浅黒い。
以前、じいやから聞いたことがある。耳の長い種族は、エルフと呼ばれる妖精族であることがおおい。彼女はエルフなのだろうか。
視線を感じとったのか、布ずれの音を聞きとったのか、長い耳がぴくりと ひと跳ねすると、女の子は鼻歌をやめぼくの方へふり返った。
「あっ気がついた!体に痛いところはない?」緑の瞳がぼくを捉える。
「え、ああ、うん……きみ…あなたが、助けてくださったんですか?」
「んー…助けたっていうのかなぁ? 二日くらい前にね、浜辺にびしょぬれで倒れてたから、とりあえず家にひっぱってきたの」だからちょっと生傷が…とごにょごにょ言葉を濁しながら、ばつが悪そうにする彼女。そういえば、全身がなんだかむず痒いかもしれない。
「 二日も…ありがとうございます」
「お礼なんていいっていいって!あと、ちょっとムズムズするから、できればかしこまらないでお話ししてほしいな〜」
「はい…いや、うん、わかったよ」そう答えたところで、盛大にぼくのお腹が鳴る。
彼女は一瞬キョトンとした顔を見せるが、すぐに眉を八の字に下げ、はにかみながら「そうだよね、二日も飲まず食わずじゃお腹減るよ〜」と鍋の様子を見る。
「そろそろちょうど良く煮えてそうだし、ごはんにしよう!」
***
その食事は質素ながらも風味の豊かなものだった。
いくつかの香草や穀物とともに、小動物の肉を煮込んだもの。彼女いわく、胃にはやさしく、なおかつ滋養のある鍋なのだそう。
一口ほおばるごとに肉の旨みと、さわやかな香草の風が鼻腔をぬけ喉元をうるおす。
脂の少ないさっぱりとした口あたりは、二日あけの空きっ腹にはたまらないごちそうだ。
食事をしながら、彼女やこの島についてのいくつかの事をきく。
彼女の名前はチコということ。
今は二人の兄と、この島に暮らしていること。
彼女たちはエルフの亜種にあたるミリテスという種族で、魔力の扱いより体力に長けた、きわめて希少性が高い種族であること。
昔はもっと沢山の仲間がいたが、度々発生する疫病により人口がへり、現在は彼女たち三人だけが生き残っているのだということ。
彼女の明るい口調からは少しもそんな雰囲気はうかがえないけれど、きっと今まで辛かっただろうな。
聞きながら口に含むスープの塩っ気に、ほんのり胸が熱くなる。
「それにしても、久しぶりにお兄ちゃんたち以外の人とお話ししたよ〜」そういわれて気づく。
「そういえば、お昼時なのにお兄さんたちを見ないね」
「あ!今ね、お兄ちゃんたちは港の方へ日用品を仕入れに行ってるの!」
「港?」
「うん!石の港!ここからなら片道六日くらいかなー。出かけたばっかりだから、当分はあたし一人でお留守番なんだ〜」
石の港。その港はぼくの、ぼくらの船の目的地だった場所だ。
「ぼくも石の港へ行く途中だったんだ」
「へえ、そうだったんだ!でも、なんでびしょぬれで浜辺に?」
「乗ってた船が海賊におそわれてね。信じられないかもしれないけれど、嵐を呼べるグリテスが船長で、船から放りだされた時そのまま波にのまれちゃったんだ」
「うわー、よく生きてたね…!」
「きみが助けれくれなきゃ、あぶなかったかも。本当にありがとう」
「えへへー、いっぱい ありがとう言われてなんだか照れちゃうね〜」チコはもじもじしながら匙を口に運び、照れ隠しするようにめいいっぱい肉をほおばる。
「なんとか、はぐれた仲間と連絡が取れればいいんだけど…」
「そうゆうことなら、お兄ちゃん達が帰ってきたら相談するといいよ!この島じゃむりだけど、港まで行けば伝言屋さんがいるって、お兄ちゃんから聞いたことある!」
「お兄さんたちに迷惑かけるのは気が引けるけど、そうだったらありがたいな」
「あたしからもお願いするもん!お兄ちゃんたち優しいし、大丈夫だよ〜」
それまではここに居なよと、カラッとした笑顔でぼくをむかえてくれるチコ。
お世話になる間だけでも、せいいっぱい恩返ししよう。
中身をのみほした器に少しの名残惜しさを感じながら、ぼくはチコの申し出をありがたく受けた。
第二節
チコにお世話になりはじめて早十日。
今日は崖の近くに自生するモモイという植物の、葉と実を採取する手伝いをしている。
モモイは普通の植物にくらべ魔成器官が発達していて、魔素が豊富に含まれている。そしてモモイの魔素は吸収効率がとても良いらしい。だから、魔素が不足しがちなチコたちには必需品なのだとか。
葉は多くの魔成器官がある分、魔素の純度が高い。けれどとても苦味が強いので、チコは低純度でも実の方をよく食べるらしい。
いつもの鼻歌を歌いながら、チコは手際よく葉や実を選定していく。
「いつも歌っているその唄は、島に伝わっているもの?」
「うん!癒唄っていうんだよー。ご先祖さまがね、エルフの人たちから教えてもらったものなんだって。魔力の低いあたし達が歌ってもあんまり効果は出ないんだけど、ちょっとした風邪なんかにはそこらの薬草よりきくんだから!」
古代語だから歌詞の意味はよくわからないんだけどね、と苦笑いしながら、今度は言の葉もそえて歌いあげる。
なるほどたしかに、ぼくらの島に伝わる、あの魔除けの唄とどことなく似ている。こちらは透き通るというよりも、やわらかな毛布のように暖かい旋律だ。
チコに癒唄を教えてもらう代わりに、ぼくもチコに魔除けの唄を教えながら、葉と実の採取をつづけた。
***
空が、わずかに朱色を帯びてきたころ。
「チコ、そいつ、誰だ?」
不意にぼくら以外の人の声がした。
びっくりしながら振りかえると、そこにはチコと同じ髪や肌の色をした男の人が立っていた。
「ルダ兄!おかえりなさい!」
いつも明るいチコだけど、兄の帰りを知るやいなや、いつも以上に笑顔がかがやく。
「この子はねー、リィレっていうんだよ!」
「リィレです。チコには大変お世話になっています」
「嵐の翌日にね、浜辺に倒れてたのを、あたしが助けたの!」
「チコ、リィレ、お世話、人助けか。チコ、えらい」そういいながら、ルダ兄と呼ばれたその人はチコの頭を優しくなでる。
「えへへー、ルダ兄に褒めてもらっちゃった〜」
「チコ、元気。おれ、安心」
「あたしもルダ兄が帰ってきて安心〜」
「おれ、ルダ。リィレ、嵐、助かる、とても強運。体無事、よかった」
チコから向きなおってぼくに微笑みかけてくれるルダさん。片言もあいまってほんのり無骨な印象があるけれど、チコがいうとおり、優しそうなお兄さんだ。
「そういえばアル兄は?一緒じゃないの?」
「アル、家でチコ、待ってる。おれ、晩飯の狩り。ついで、チコ、探す」
「家にいるんだね!こーしちゃいられないよ、早く行こっリィレ!アル兄にも紹介したげるっ」
「わ、ちょ、ひっぱらないでチコ!わかったから!」袖をひっぱられ体勢をくずしかける。
踏みとどまった足を、そのまま急いで引っぱられる方へと差しだして、ぼくらはその場をあとにする。
流し目気味に振りかえると、ルダさんが小さく手を振っているのが見えた。
第三節
かけ足で家に戻ると、ちょうど鍋のむこうに、晴れ空のような髪色の男の人が、あぐらをかいて座っていた。
「アル兄!おかえりなさい!」
屈託のない笑顔でそういうと、チコはアル兄と呼んだ人のもとへとかけ寄る。
「おうおうチコや、今日も余さず元気じゃのう」
「今回は帰ってくるの早かったね!」
「舟道を教える為にルダを供にしていたけえの。しかしあれじゃのう、やはり買い付けや荷運びの人手は多いに限るわい」アル兄と呼ばれた人は、少しうえを向きながらしみじみと目をとじる。
「いいなあ...あたしもいつか港にいきたいなー」
「もーう少し落ち着きが出てきたら連れてってやるわい。今は土産で我慢じゃな、ほれ」いいながら、チコの手首に腕輪をまく。白い花のような装飾をあしらった、かわいらしい腕輪だ。
「おみやげ!わー!キレイな腕輪!ありがとうアル兄!」
「はっはっは、これは先が長いかのう」
「して、汝は誰じゃい」
少し間をおいて、いくらか温度のさがった声色と共にこちらに視線がむけられる。少し背筋がぴりっとする。
「この子はリィレ!何日か前の嵐のあとにね、浜辺に倒れてたのをあたしが助けたんだ〜」
「ほぉ、チコの客人じゃったか」少しだけ、声色が温かみを取りもどす。
「この島には来客など滅多に来ん故、つい警戒してしまったわい。すまぬのう」
「いえ、お気になさらず…」
そういえば、と何かを思いだすように呟いたアルファさんは再びチコに顔をむけて聞く。
「採取の仕事は成果が出たのかの」
「あっっいけない、忘れてた!はい、これ!いわれてたモモイの葉っぱと実!」勢いよくカゴを差し出すチコ。
「うむ、礼を言うぞ...おや、実の方が少し足りんかの?」
「そうかな?少しってどれくらい?」
「そうさな、この重量なら、実りの良いのをあと三房ほどかのう」
「あと三つね!わかった!そのくらいならすぐ採ってきちゃうんだから!」いうやいなや家を飛び出していくチコ。ニコニコしながらそれを見送ると、アルファさんはぼくの方に向きなおって挨拶をした。
「改めて名乗ろう、我はアルファじゃ」
「アルファさん…ぼくは、リィレといいます。チコには大変お世話になっています」
「さん付けなどこそばゆいのう、我の事もアルファと呼び捨ててくれてかまわん」
「じ、じゃあ、アルファ…よろしくおねがいします」
「敬語もこそばゆいが…まあ今はええか。おう、よろしゅうのう」
軽いおじぎをすると、差しだされた手をにぎり返し改めてアルファさんをみる。
目つきの悪さで最初は怖い印象をうけたけど、気さくで裏表がなさそうな人だ。
こそばゆい、というのはよく分からないけれど、照れくさそうにしていたからチコと同じことを言っていたのだと思う。
「チコにはアル兄と呼ばれてましたけど、アルファさ…アルファはチコたちのお兄さんなんですか?」
「いや、チコらは我ん孫じゃの」
「孫!?」
「と言うんは冗談じゃい」
「だがまあ、家族みたいなもんじゃの。亡き親友の忘れ形見じゃ」どうやら、血のつながらない家族ということらしい。
「忘れ形見…あの、お世話になってる間にチコから村のことを聞いたのですが、やっぱり?」
「そうじゃの、元々数は減りつつあったが、数年前の疫病流行の折、沖へ漁に出ていた我ら三人を除き、全滅じゃ」
少しの間をおいてアルファは続いて語る。
「いくつかの薬は試したが、島にある薬が効く類のものでもなくてのう…幸い人から人へは移らなんだが、なんの前触れもなく発症し、わずか数刻のうちに衰弱してしまう奇病での。村全体に発生したのはアレが初めてじゃったが、結局原因も判らず今に至っておる」
「本当に、なんの前触れもなく?」
「嗚呼、いつも通りじゃったな。朝は市が賑わい、昼は皆で狩りだの採取だのに勤しみ、夜もいつも通りに寝静まり…夜明けの漁に出かけるまでも、何も変わった事はなかったのう」
「アル兄ー!採ってきたよ!」
アルファの沈黙のあとに、チコが元気よく家へところがりこんできた。チコの手には三房のモモイの実と、闇夜の星をとじ込めたように、きらりと輝く石のかけらがあった。
「おお、宵闇鉱も採ってきたんけぇ」
「うん!ちょっと奥の方に実を取りに行ったらね、洞窟みつけて、そこにいっぱいあったよ!」
「ほう?奥の方には絶壁が在るのみの筈じゃがな…チコが言っていた嵐で岩崩れでもしたのかのう」
「そうかも!あたしもあっちには良く行くけど、洞窟なんて今まで見たことないし」
「しばらくはまた崩れないか様子見じゃな。念の為我が安全を確認するまでは近づかん様にの」
「はーい!あそこ景色良かったからちょっと残念だけど、しょーがないね」元気の良い返事のあと、チコがちょっぴりうなだれる。
「ともあれ安全が確認できれば、当分の間宵闇鉱の不足の心配はせんでもよかろう、お手柄じゃな」
チコの頭をなでるアルファ。チコは満足そうにしている。
「宵闇鉱は、何に使うものなのですか?」
「主には交易品としてじゃが、それ以外では夜間の灯りとしての利用じゃな。そのままでは星灯り程度の明るさじゃが、モモイを煎じた液の中に放り込んでやれば、ほれ、この通りじゃ」
そういいながらアルファは棚のほうから小瓶を出してきて、チコの採ってきた宵闇鉱をつめる。中の液にひたされた宵闇鉱は、まるでランプの火が灯るように光を放ちはじめた。
「魔素に反応して光る石なんですね」
「おお、余り驚かんのだのう。港の連中には大ウケなんじゃが」
「ぼくの島でも、ふもとのほうでは光る石を灯がわりにしているんです。ぼくらのとこの光石は日中に太陽の光を蓄えるものでしたが、魔力を注ぐ事でも多少光らせることができたんです。こちらの鉱石のほうが、いくらか明るいし便利そうですけどね」
「そういえば、原理については深く考えたことがなかったのう。こやつも何処かから光を溜め込む類のモノなんじゃろうか」
「ぼくがみる限りでは、この発光のしかたは、魔素の吸収反応だと思います」言いながら小瓶をゆずり受け、ちょぽ、と揺らす。
「瓶に入れたら強くかがやくのは、モモイ液の魔素を吸っているからではないでしょうか?」
「成程、お主、見目の幼さの割に聡いのう」
「辻風の民は、ふつうの人にくらべて石と魔力のあつかいに長けているんです。ながく石と接している歴史があるからこその推測で、ぼくが特別かしこいわけでは…」なんだか照れくさい気持ちになり、しどろもどろする。
「そういうもんかのう。歴史に基づくものだとしても、我らからすれば価値の有る知見じゃ。誇ってよいと思うぞ?」とアルファは目をほそめて笑ってくれた。
***
晩ごはんはいつもより賑やかで、一層楽しいものだった。
おおきめの草食動物をすぐにさばいて作った塩焼きに、備蓄の乾燥果実でつくったサラダという料理。肉は一切の臭みがなく、肉汁のうまみと ほどよい塩っけが口の中で混ざり合う。僕の島では生の野菜を食べる機会は少なかったので、サラダの方は食べ慣れない味だったけれど、乾燥果実は噛むたびに奥深い甘みを感じて面白い。
「そういえば、リィレは何族に当たるのかの」ふいにアルファに聞かれる。
「あ!あたしもそれ気になってたー!人族っぽいのに羽の生えた種族?って、アル兄のおみやげ話にも出てきたことないよね。何て種族なのー?」
「リィレ、片翼、怪我か?」二人も口々に疑問をなげてくるので、直前にほおばった塩焼きを飲み込みながら答える。
「ぼくら自体はただのアウリンですよ。ただ、退魔の神『クイン・アルヴァ』を祖としているという伝承があって、たまにこうして翼を持つものがうまれるんです。片翼なのは、もう片方の翼は兄が持っていて…」そう伝えたところで、アルファは食事をのどに詰まらせてしまった。
しばらくゲホゲホと咳き込んでいたけど、「ほおお、退魔の神か!あの神は確か、悪華禍を退けた救世神でも在ろう?伝えが本物なら神族の末裔じゃ!こいつはすごい!我らは神の末裔と食事を共にしている事になるのぉ!真っ事、長生きはするもんじゃ!」咳が落ちつくやいなや目をきらきらさせてまくしたてる。
「あはは、アル兄大興奮だね〜〜」
「アルファ、喜び方、お年寄り」
「なにおう、我は汝らの父親よりは…」いいかけるがすぐに思案顔になり、「いや…ほんの一回り年寄りじゃな……」納得してしまったアルファをみてまたくすくすと盛り上がる二人。
「さっき ちょっと言ってたけど、リィレにもお兄ちゃんがいるんだね~」サラダを口に運びながらチコが興味津々といった風に、「ねえねえ、リィレのお兄ちゃんってどんな人?」と聞いてくる。
「…実は小さいころに離れ離れになってしまって、よく覚えてはいないんだ。ただ、優しい兄だったことは覚えてる」持っていた器に視線を移し、「今回の旅は、成人の儀として朝焼けの聖地へ向かうものではあるけれど、同時に、兄と母を探す旅でもあるんだ」
「「リィレ!!」」突然、チコとアルファが大声を上げ身を乗り出す。
「お兄ちゃんとお母さんと離れ離れなんて悲しすぎるよ!寂しかったよねええ」「健気じゃのう、健気じゃあ!我はこの手の話に弱い…ええいもっと喰え!いっぱい喰って大きくなった姿を二人に見せてやるんじゃあ!」先ほどまでニコニコしていた二人が号泣しながら詰めよってくるので、驚いで反射的に身を引く。
「チコ、アルファ、リィレ驚く、少し落ち着く」二人をなだめながら、「リィレ、すまない。おれたち、家族の話、とても大事」とたどたどしくルダさんが説明をする。
「おう…つい感極まって、驚かせて済まなんだ」続けてアルファもそういいながら目じりを拭う。
「家族との離別と聞くと、つい此奴らの親と重なってしまってのう…我らにとって家族とは何にも代え難い宝じゃけえ」
「あたしたちに出来ることなんて少ないかもしれないけど、出来ることはなんでも手伝っちゃうからね!」
「その通りじゃ、物資でも知恵でも、なんでも相談せい」
「おれたち、リィレ、役に立つ。沢山、頼る」
「チコ…アルファ…ルダさんも…」胸の熱さと共に名前をかみしめると、
「リィレ、おれも、さん付けしない、嬉しい」ルダさんがすぐに返し、
「そうじゃてそうじゃて、水臭いのは無しじゃ無しじゃ」
「ルダ兄も仲間外れはイヤだもんね~」二人が口々に後を追った。
この明るく小さな宴は、月が昇りきるまで続いた。
第四節
外がうっすらと明るさを取り戻したころ。
ふいにうめき声のようなものが聞こえた気がして、床から起き上がる。
大きな根が絡み合うようにしてできているこの家は、決して広くはないが特別狭いわけでもない。
わずかに聞こえる息遣いのするほうへ首を振ると、反対側の壁際、宵闇鉱の灯りのすぐ傍にアルファとルダの影が見えた。
「なにかあったのですか?」と瞼をこすりながら聞くと、「おお、起こしてしまったか」となんだか強張った声でアルファが振り返った。
とてもいやな空気を感じてそちらに近づくと、そこには苦しむチコがいた。宵闇鉱の灯りに照らされたその顔は真っ青に血の気が引いていて、ひゅ、ひゅ、と喉を鳴らしてしきりに首を動かしている。
「…昨日、疫病の話をしたのは覚えておろう?」ひきつった笑顔のままのアルファから出る声は震えをおびたまま続く。「発病じゃ。チコは間もなく命を落とす」
いのちをおとす。現実味のない言葉があたまの中をぐるぐるまわる。
チコか死んでしまう?何かの間違いではないのか。だって。だって、昨日はあんなに元気だったじゃないか。
「ほんとに、びょうき、なんですか」
「…何千とこの症状を見てきたんじゃ、間違える筈も無い…」
「…ぼくらになにか出来ることは」
「あったら無様に立ち尽くしてなどおらぬ」
「でも、もしかしたら」いいかけた言葉を「諄い!」と鋭い怒声が遮る。沈黙のあと、「…いや、すまん」と背中越しに小さく絞り出された声は疲れを帯びていた。
無慈悲に時間が流れていく。本当に見ていることしかできないのだろうか。ぼくらの無力さが、刻々と空気を奪っていく。
ふと、ぼくの背中の羽がわずかに寒さを感じ震えた。この島に来てから一度だって感じなかった違和感。チコの体から感じる魔素が、信じられないほどに少ないのだ。更には徐々にではあるが、アルファやルダの体からも魔素が減っているように感じる。
紡がれた糸のような魔素の流れを追っていくと、暗がりの中、瞬く星々の光を集めたように、その鉱石は爛々と笑っていた。
「アルファ、ぼく、病気の原因、わかったかもしれません」
「…何じゃと」
「細々とだけれど、そこの宵闇鉱に、アルファやルダの魔素が吸い取られています。チコからはほとんど魔素を感じられないし、もしかしたら、劫喰が、起きているのかも」
「劫喰?何じゃい、そやつは」
「滅多に起こるものではないのです」そう、ぼくだって初めて見るものだから、確かなことはいえない。「ですが…前にじいやから教えてもらいました。ながく魔素の不足がつづいた生物や鉱物のなかには、手当たり次第近くのものから吸いとることで、己の魔素を満たそうとするものが出ることがあると…。それをぼくらは劫喰と呼んでいます。」一呼吸おいて、「チコがいうにはこれを採った洞窟には、大量の宵闇鉱があって…しかも洞窟は永らく埋まっていた」ぼくの言葉にアルファはハッとする。
「…成程そう云う事か、彼奴め、モモイの魔素だけでは足らなんだか…!」勢いよく灯りの方をにらみつけ、「ではこの宵闇鉱を遠ざければ…!」伸ばしかけた手をルダが掴む。
「アルファ、チコ、もう限界。宵闇鉱、離しても、チコの魔素、戻らない…」強く握りしめながら、唇をかんで目をそらす。「宵闇鉱触れる、アルファも危険…」
「なんと云う事よ…漸く、病の元が割り出せたかもしれぬのに…」
横たわるチコの呼吸が、徐々にほそく浅くなっていく。先ほどの言葉が現実味を帯びていく。命のほどける音がする。
今すぐチコに、大量の魔素を
送らなければ。なにか、なにか方法はないのか。考えろ。考えろ。考えろ。
ふいに隣から、聴きなれた旋律がした。
その涙声は、震えてほとんど唄の体をなしていなかったけれど、チコの手を握り、顔を歪めながらアルファが癒唄をしぼりだしていた。
いくばくかの間ののち、ルダもそれに連なり、粛々と歌いだす。
そうか、唄だ。癒しの唄。
チコは歌っても風邪を治す程度だといっていたけれど、ぼくがいれば、あるいは。
モモイの葉もたくさんつかって、ぼくも一緒に歌えば。
急いで棚近くの籠からモモイの葉を掴みとる。
驚くアルファたちを気にせずに、大きく口をあけ、勢いよく葉をほおばる。
突き刺さる様な苦味。旨味も何もない、ただ真っ直ぐに口内を蹂躙していく苦味だ。余りの不味さに息を詰まらせる。吐き出しそうになる。けど、これで、チコが、助かるなら。
ぼくは絶対に、飲み込んでみせる。
ひとつかみ。ふたつかみ。みつかみ。
奥歯ですり潰すたびに魔素が溢れるのを感じた。何度も何度も、流れ出る魔素を喉の奥に押し込める。背中があつい。翼が、羽の一本一本がざわめく。
翼が痛むほどに魔素をたくわえて、ぼくはチコの額に手をあてる。
たしか、歌い始めは――。
空気が震え、突風が立つ。辺りがやわらかな光でみちていく。
魔力が、癒しの力が、島のすべてを包んでゆく。
朝日と溶け合うように、祈りを届けるように。
第五節
チコを癒してから数日後。ぼくたちは大きな洞窟の前にやってきた。
チコはなんとか一命を取り留めて、今は体を休ませている。笑顔で食事をとれるところまで回復したが、死の直前まで魔素が減ってしまっていたせいか、動けるようになるにはもう少し時間が必要そうだった。
「これは...なんともおびただしい量の宵闇鉱じゃのう」
「宵闇鉱、沢山」口々に感想をもらす二人。
真昼であるにもかかわらず、辺り一面は満点の星空のように輝き、大小さまざまな光の粒が、洞窟の中をきらきらと踊りまわっていた。
「チコが持ってきた鉱石と同じ洞窟のものなのに、この宵闇鉱たちは、劫喰を起こしていないようですね…」翼から何も感じないのを不思議に思い、鉱石のひとつを指で恐る恐るつついてみる。
「それについては、我が思うにリィレ。汝の御業の恩恵であろう」
「ぼく、ですか?」
「汝も歌いながら感じんかったか?癒唄の力が島を包んでゆく感覚を」
「ええ、たしかに、力がずっと向こうの海まで溢れる感じは、しましたね…」
「実際溢れておったからのう」アルファはまた興奮気味に、「魔力に疎い我らでも感じ取れるほどの力。これが神の末裔の力か…!と震える思いじゃったわい」
「アルファ、実際、震えてた」横からルダが深くうなずく。
「あれだけの魔力を放出したんじゃ、この島一体の魔素不足になっていたものは、粗方満たされたのではなかろうかのう」いいながらいそいそと採掘道具を袋から取り出す。「改めて、これだけあれば当分は交易品に困らんのう、いや誠に有難い」
「えぇ、劫喰を起こす鉱石なのに、かわらず交易に使うんですか!?」思わず聞いてしまうが、アルファは飄々と、
「なに、劫喰とやらは余程魔素に飢えとらんと起こらんのじゃろ、ならば仕組みを説明した上で『毎晩モモイ液を取り換えよ』と念を押せば問題なかろうて。毒も使い様と云うしのう、長年悩まされた病ではあったが、原因が判ってしまえばこっちのもんじゃい!」
「はぁ…そういうものですか」
「宵闇鉱、今までのツケ、払わせる」そういうとルダもせっせと鉱石を掘り始める。
「なんだか たくましいなぁ…」つぶやいていると「ほれほれ、リィレも一仕事せんかい」と促されたので、うーんと唸りながらも採掘道具を手に取った。
***
「ついにリィレもこの島を離れちゃうんだねー…ううー、寂しいなぁ…」あれからすっかり元気を取り戻したチコが残念そうにつぶやく。
「結構ながい間この島にお世話になっていたものね。ぼくもちょっと寂しいかも」
「おお?じゃあこのままこの島で暮らすか?我は大歓迎じゃぞ」
「それはさすがに…じいやが心配していると思うし、ぼくにはやらなきゃいけないことがあるから」
「リィレ、兄と母、探す、言ってた」
「そうだよね!リィレはお兄さんとお母さんを探してるんだもん…!寂しくてもちゃんと送ってあげなきゃ!」いつかの夕飯の時に話した、旅の本当の目的。少し予定は遅れてしまったけれど、ようやく踏み出せるんだ。
「先ずは石の港に着いたら伝言屋じゃな。はぐれた爺やとやら、近くに居れば手っ取り早いんじゃがのう…」
「近くの海を探しているかもしれないけれど、あれから ふた月と経ってしまったし、船には余分な備蓄を積む余裕もなかったから、一度島に帰ってるかもしれません…」じいやはぼくら兄弟のこととなると自分の身も投げ出すような人だったから、いらない負担をかけていないか心配だ。
「では港に着いたら、伝言屋に加えて手紙屋にも足を運ぶかのう。とりあえず汝の故郷へ、汝が無事である知らせと、あとはなんだ、ミリテスのお供を付けたので旅を続ける、とかかのう?」首をかしげるアルファに首をかしげ返す。
「ミリテスのお供?あの、港に送ってくれるだけじゃあ…」聞き返すと、
あー、それなんじゃがな、とアルファは頭を掻きながら話を切りだす。
「港まで送るだけじゃあ我の気が済まんきに、我も汝の旅に付いてぇ行こうと思う」
「えっ、それは とってもありがたいです、けど...いいの?」
驚いてまた聞き返すと、よいよい、と手をひらひらさせながらアルファは続ける。
「幸い、良質な宵闇鉱が大量に手に入ったんじゃ。多少手間はかかるが、モモイは鉢での栽培も出来るしのう、この二つを売りさばいて歩けば多少の長旅も支障はなかろうて」大量の積み荷を乗せながら、「前にも言うたが、チコらは我の家族じゃ。家族の命を救うて貰ったとあらば、それ相応の礼を尽くさんとのう」
「モモイの節約と、万が一この島を爺が訪ねてきた時のために、チコとルダには留守番をしてもらうが、まあ、我が居れば千人力じゃ。大船に乗ったつもりでおれ!」にかっとアルファが笑い、ルダはそれに続くようにゆっくりと頷く。
「留守、任された。おれ、チコ守る。リィレ、心配要らない」
「もしおじいちゃんが島にきたら、ちゃんとリィレのこと伝えるからね!」チコも意気揚々と右手を振りあげた。
悠然と佇むルダと、元気いっぱいに腕を振り回すチコ。正反対の二人に見送られながら、ぼくとアルファは島を発った。目指すは第一の目的地、石の港…。
第一章「蔦の島」 完
余録
一般公開イラスト
おまけマンガ
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