限界を考える、週末、月末、寝る前

自他共に認める、僅かな成功と、やたら多くて大げさな失敗を大体一回り12年くらいでやり切る、やりまくるのが若い時代かもしれない。

そして、結局限界はないと悟る。
例えば、仕事や勉強の努力を続ける。という痛々しい日々の生活を繰り返し続けることで得る成果、対価、その代償の計算が、頭の片隅で勝手に、常に行われて理想と現実に折り合いを付け、延々とストレス耐性が有、無意味か、わからないものの向上し続けて、誰も気にせぬ抜け毛が増えていく。一筋の人生の道は他の誰のものとも違い、決してその道は逸れることがなく、右へ左へ舵を切ろうとも一本道であり続けるが故の無常…。無常…。

いや!
いらねえ!だるい!限界突破はいつまでだ!?

が、やらざるを得ない、やらない為の唯一残された方法がもう「自分に嘘をつく」事以外にない場合。
醜い生に執着し、いわゆるダサい大人になってしまったという事であれば、花火を腹に巻いて爆死した伝説の誰かのように、思いっきり死んで最期に花咲かせましょうよ、と、養殖物の桜に込められた日本人、偽造の死生観に涙するのも手なんだけれども、いやはやそんな勇気はなく、なんなら生きながらにして自分に真っ正直に生活をやり抜くより他ないし、楽なのだと思う明け方の今。

どうせ平均より早めに野垂れ死ぬもんだと思っていたのだから、やることがあるだけマシだと思うより他ないな。
限界とは何かと、そして今の限界は何処なのかと、寝る前に考えさせられる、週末に考えさせられる、月末に考えさせられる、やり切ったのかよ俺は!?
折角の、この神からの借り物だか、授かり物だか、なんだか知らないけれど頑強で、五体満足なこの身体を使い切ったのか俺は!?
司令塔である、ブニブニしたこの食ったらきっとコクがあって美味いであろうこの脳みそがふやけるまで使い込んだのか俺は?????

最後、出涸らしになるまで使い切らなければ、この命は非常にもったいない。
酒だ、女だ、博打だ、喧嘩だ、祭りだ、パーティだ、なんだかんだと、遊びの、一種の万能で、不全で不能な仮死体験には限界がある。だからこそ命をかけて何かを創造する行為をやるべきなんだ人間は、どんな仕事でもきっとそれに繋がっている。想像し、創造、全てはここからだ。遊びもそうであるべきだな。

そして結局あらゆる遊びを適当に、適切に、向上させたり、下げたりを受け入れながら、生活に取り込んでいき、ハイクラスという自己満足が手に入る。
ああ、あーー、はいはい、そうそう、うまくこれで、誰もが大好きで大嫌いな金の問題解決、見栄えと体裁を整えれば、多種多様な聖典の、ある種、曲解と、奇跡に基づく教えを説きまわる、新興宗教が勃発し続ける訳だよそりゃ、とか気づいたら、そういえば同じような事を身近な誰かも言っていたなとか。
水平思考の閃きや、気づきは、もーー無理!動けない…、となるまでシラフでもやり切り続けたら、あらゆる劇薬の処方と同じくらいハイになって、それを手に入れられるようだ、所詮は全て自己完結で物事は起こっているという証明に過ぎないが。


my oh my.全くどうなっていくんだろうねこの夏は、はやいよ、東京オリンピックがあっという間に終わって、8月もすぅーっと過ぎて、連絡を取り忘れているあの人や、あの人や、あの人に、また連絡忘れて、眠りにつくんだよな、やがて秋が来て冬がきて、春が来て、夏が来るんだよな…。

おー、結局やってるよ、こっちは、相変わらず、届くかこの手紙、ちゃんとポストに出さなきゃ届かないよな手紙。

「ぼけっとしてちゃーだめだよしょうちゃん」

ガキの時分、育ててくれた親方の言葉を思い出すな。そういやあの人もそろそろくたばる頃だな、顔出さなきゃな、人はあっという間に死んじまうもんな本当に。

やり抜くに限るね実際。
ああいい気分だ、明日もまだまだやる事あるんだぜ、幸せだ。

完璧主義だけは注意しよう、やりきれなかった事も、やり続けている以上、明日に繰り越そう。
自分を待っている人も、その人も今、日々、やり切ってくれていると信じることだな。結果がモノを言う。

時々「限界=死」にまで飛躍するから、「限界」を掘り下げるのは、もうやめておこう、健全で終われない時があるからね。

限界は、ないってことになっちゃうな、限界を下げて、クリアしたらいちいち悦に浸るくらいの限界を設定しとこ。アクビが止まらず涙が出始めた後にすっと寝るくらいがちょうど良い。


限界。

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