見出し画像

メルカリにまつわる雑多な考え

メルカリを始めてもう3年ほどになる。
買うよりも先に売りはじめた。

最初に売れたのは一人暮らしには明らかに大きすぎるストウブの鍋1万円。おそらく相場がわからなくて安すぎたんだろうが、5分もかからず売れた。次に大きなパスタ鍋。こちらも2時間位で売れた。
もともとヤフオクで売買の経験があったので、昔のそれに比べるとメルカリは格段に進化していて、宛名なんて書かなくていいし、切手代を調べたり先に送料を払ったりする必要もない。振込先の連絡とか、入金確認とか、それなりに時間がかかったのでやってるうちにヤフオクのために働いてるような気がしてたけど、それらのペインを取り去ったのにはあっぱれ。しかし、だんだん比較対象がなくなり慣れると10%の手数料がもったいなく感じ始める。使っても使われるなの精神で関わるのがおそらく正解か。

最初、世間で言う断捨離を始めてみて捨てられるものはあらかた捨て少し余裕ができたので、明らかに捨てるには惜しい物をメルカリで出した。なので、最初は売りたかったものが売れたらやめるつもりだったけど、それからいろんなものを売ったし、買ったしで、わたしには必要なアプリとなった。

買うときは本とか中古品でもいいものもあるしで、場合によって新品と使い分けている。売るときは単に捨てるよりは欲しい人がいればボランティアの気持ちで安くお譲りする。
もっぱら私は供給サイドかな。
人の役に立ちたいとか、コミュニケーションのためにやってるようにも思う。(偽善かもしれないけど)

いろんな利用者がいると思うけど、なんとなく供給者側と購買者の間で、世代間扶養とか相互扶助みたいな連帯感を感じる。
あと、出口exit戦略というのかものの行き場があることで、気軽に失敗したり、トライしたり、新しい物に変えていくことができる。
これまで、物を譲るというと親兄弟や友達にあげるか、リサイクルショップに二束三文で売るか、捨てるかだったのが、こんなもの必要かしらと思うようなものでも誰かが価値を感じてくれ個人取引ができるのは素晴らしい。日本の個別配送というインフラあってのものだが。確実に品物が届くからこそできること。

そもそも実家が片付かない問題は、親が何でももらってくれるので、息子や娘が物を捨てないことも理由の一つだった。
うちもまさにそうで、なんでもいる?と聞くと一応いると答えるが、使ってる形跡はない。最近は親に物はあげずに渡すなら必要な物を買えるよう現金を渡す。物ならば値段の割に見栄えするときもあって、何気に毎回これは辛いものがあるけど、1,000円でもお金の方が良いように思っている。

断捨離してると言うと、母からはまた何でもポンポン捨ててと言われる。
それに、メルカリやってると言うとなんでも売る人みたいに思われる。世間の思い込みとか固定概念とは恐ろしい。
この3年ほど自分と物に向き合ってみて思うのは、やはり人からいただいた品物が心の重荷になっていることが多い。何もプレゼントだけじゃなく、おまけとか、セット販売とか、プロモーション的なものも含めて本当に必要で欲しい物以外はやはりいらないのだ。たまに気分転換で人からのおすすめに従って良いのは、本か食べ物、花、入浴剤など消費できる物で、グッズはだいたいストレスの源。
最近は10年前に引っ越しでいただいたものを整理した。ありがたく気に入ってもいたけど、食洗機に入らない、色が好みではない、サイズが小さい…または大きい…何かしら不満があると使わなくなる。10年一昔とも言うけど、そのくらい使ったのなら文句は言われないだろう。

あとは、両親の持ち物を少しずつ整理していけるといいなぁと思うのだけど、他人のものは売れないから苦しいなぁ。父は物持ちがよく、こないだ整理していたけど物を減らしていたわけではなく、価値のある物だと私がわかるようにしていたというから、全部私に遺品整理をさせるつもりだ、確信犯で末恐ろしい…。

あらぬ方に話が行ってしまったところで、メルカリ話はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?