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「未経験からのエンジニア転身」が宗教なら、「生粋のエンジニア人生」も宗教なのでは

「未経験からのエンジニア転身」を安易に考えることに対して警鐘を鳴らしている人がいて、新興宗教と一緒なのではという分析をしていた。

こういう話に対して、自分は小学校の頃からプログラミングしているので立ち位置はある意味対極に近い。例えば↓みたいな古典的なエンジニア思想にちょっとくらいは共感できる。

ハッカーになろう (How To Become A Hacker)
https://cruel.org/freeware/hacker.html

で、こういうハードルの高いものを尊ぶ文化と、上に挙げた記事で語られるような「弱者に縋られるモノ」の対比って、なんか聞き覚えがあるような気がする。

私は宗教に関して無知で、元記事を書いた方のように勉強熱心でもないので歴史の授業レベルの話になるのだが、鎌倉時代だったかの仏教でこんな出来事があったはず。

仏教という宗教は、元々戒律を守る必要があって、それは民衆にはハードルが高すぎた。それに対して、念仏を唱えれば誰もが極楽浄土に行けると説いた浄土真宗が発生した。

これに当てはめると、昨今「未経験からのエンジニア転身」がもてはやされているのが宗教の出現だとするなら、それは「生粋のエンジニア人生」という宗教から生まれたものではないのか。

そう考えると、「エンジニア長くやってると普通の人には見えないものが見える」「知性が磨かれる」みたいな語りも、変な憧れを生み出すもとなのかも。もっといえば、「天才エンジニアの物語」とかも教祖の神格化なのかなと思ったり。

実際のところ、エンジニアとして仕事をしていて一番思うのは、

エンジニアは最強ではない

ということだ。プログラミングができなくても頭のいい人はたくさんいる。技術が身についてもジェダイか何かみたいに圧倒的なアドバンテージを持てるわけじゃない。むしろ、ファンタジーやSFでもたまにある、「基礎力の高いただの人間が一番必要とされる」ってのが結構ある。

そんなわけなので、「エンジニアという生き方をしている」、というような言い方をやめて「単に職業がエンジニアなだけ」っていうスタンスにしようかなと思ったのである。

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