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私は「ソロキュー」("Solo Queue")をこよなく愛する

私は対戦ゲーム、あるいはeSportsを「ソロキュー」(英語で"Solo Queue")でやるのが好きだ。

ソロキューってのは簡単に言うとこんな感じ。

・見ず知らずのプレイヤー同士が自動的で集められる。
・腕前の近いものどうしの対戦で、チーム分けも自動
・1試合で解散してまた集まり直し

単にコミュニティに所属し続けるのが面倒とか、eSportsに誘えるような知人がいないとかいう理由だけでなく、ソロキューで他人と組むことに大きな意義を感じている。人類への希望を見出しているといってもいい。

ソロキューで集まったプレイヤーどうしは、ゲーム以外では何も関係のない人間同士だ。勝ちたいという目的以外、全く利害関係がない。にもかかわらず、大抵は無言のまま、チームの勝利という目標に向かって協力し合っていく。

もちろん、多少でもソロキューをやったことがあるならば、罵り合いや途中放棄で楽しくない経験をしたことはあるだろう。だが、私にはちゃんと試合が成立する確率のほうが圧倒的に高いことが重要だ。

昨今のニュースを見ると、誰かを許せないと糾弾して追い込んだり、意見が違う相手を締め出したりという「分断」を感じる。そもそも自分はすべての人間どうしが仲良くするのは無理だという考えで、ネットの発達がそれを助長しているのではないかと思っている。

だが、「呉越同舟」という言葉があって、人は例え普段は仲が悪くとも共通の目的のためには助け合える生き物のはずだ。仮に人類全体が思想とかで真っ二つに分かれたとしても、社会を維持するために最低限の協力はするのではないか。

そんなことを、失点の責任をチームメイトと押し付け合いながらも、最後までプレイして勝利をもぎとった後に思うのである。

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