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のび太くんの先祖から学ぶ健全な依存先の増やし方

こんにちはなのだ。スポンシーとのスポンサーシップで自分がステップを踏み直している得たイさんなのだ。

今回は依存症治療の12ステッププログラムのステップ2の話なのだ。

2.  自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった

このステップは人によっては鬼門なのだ。依存から回復するには神や宗教などスピリチュアルな話を避けて通ることはできないのだが、自分の意思しか信じないゴリゴリ現実主義の依存症者は、いじめや虐待により「世界」(その人の生きてきた範囲の生育環境)から大切にされなかった故に、自分以外の万物を信じない生き方が身に染みついているので宗教の話が受けつけられないのだ。しかし回復するにはその長年の現実主義の洗脳を解かなければならないのだ。

「自分は依存症じゃないから別に宗教の話になんか付き合う必要はない」と思ったそこのあなた、そうはいきませんのだ(笑)。依存症は自己肯定感の病気であり、これは他の精神疾患も同様なのだ。精神疾患でなくてもACや発達障害の人など、自己肯定感の低くなりやすい人の生きづらさは現実主義の囚われに原因があるのだ。本当に回復を目指すなら宗教の話と対峙しなければならないのだ。

依存と依存の違い

よく「自立とは依存先を増やすこと」と言うのだが、自己肯定感の低い人はこの言葉を額面通り受け取ってはいけないのだ。依存症の人にとっては危険なニュアンスなのだ。これを理解するには、依存とは何かを理解する必要があるのだ。

依存には2種類の正反対の意味があるのだ。
すなわち、
・connection(人と繋がる意味での依存)
・addiction(中毒の意味で依存症の依存)

なのだ。心の健康な人はaddictionがないから「依存先を増やす」を額面通りに解釈してもOKなのだ。逆に自尊心の低い人はconnectionがないから額面通りに取るのは危険なのだ。

前者と後者の違いは、ざっくり言えば神の意思で恩恵を受けるか、自分の意思を過剰に行使するかなのだ。意思はこの2つしかなく、自分の意思「だけ」を過剰に使って(自分本意の意思で)行動が制御不能に陥っている状態をアディクションというのだ。それを繰り返すうちに、依存症者はアディクションがないと生きられないようになってしまったのだ。

制御不能に陥った依存状態から元に戻るためには、誤った自分の意思を捨てなければならないのだ。自分の意思を自分でコントロールすることはできないからアディクションに陥るのだが、それを脱出するにも回避するにも、神の意思が必要なのだ。アディクションは自分の意思ではなく、「自分より大きな力」すなわち神の意思を信じなければ止めることはできないのだ。

自分が神の意思に気がつく時、自分は周りのありとあらゆるモノがある(それに依存(connection)している)おかげで自分が生きていることに気づくのだ。電気やガスなど、科学の発展によりあらゆる法則が解明され、実用化されて生活のあらゆる場面に使われているし、この記事も科学技術の粋が詰まったスマホとインターネットを介して不特定多数の人が見られるように発信されているのだが、これらは全て得たイさんという個人の力ではできないものなのだ。人間は誰しもが、自分を超えた科学などの大きな力に依存して生きているのだ。

現代科学は昔でいう宗教のようなもの

今や科学技術の粋を集められたものは自分の周りに当たり前に存在しているのだが、人は電気の理論を知らなくても(それは広く証明されているので)、家電が動くことを「信じて」スイッチを入れるという「行動」を起こすのだ。

アルコホーリクス・アノニマスのP71にはこうあるのだ。

 今日の実用本位の現代人は、事実と結果にうるさい。とはいえ、今世紀は事実の裏付けがあればあらゆる理論を受け入れている。たとえば電気の理論である。誰もが全然疑わないで、電気のことを信じている。なぜこんなに簡単に受け入れられるのか。それは、理屈にあった仮説を信じなければ、自分たちが見、感じ、使いこなしている電気のことを説明できないからである。
 現代では誰もが、証拠さえあれば仮説を信じる。見てわかるだけのものは、たとえそれが完ぺきなものでも取り上げられない。目に見えるものは、証拠としては一番弱いということを科学は示している。人間が物質界を研究するにつれ、外見は内側にある真実とはまったく違っていることが次々と明らかにされている。

これが決して当たり前ではない、そのことを認識しないことには依存先(connection)がたくさんあることに気づくことはできないのだ。それを教えてくれているのが、のび太くんの先祖・のびろべえなのだ。

のびろべえが登場するエピソードは「ホラ吹きご先祖」なのだ。原作ではてんとう虫コミックスの14巻に収録されているのだ。

この「ホラ吹きご先祖」はドラえもんの中でもわりかし有名なエピソードなのだ。のび太くんの「先祖に関することを調べる」宿題でパパから聞いた先祖のびろべえが面白いホラを吹いたらしいのだが、それ以上のことがわからずタイムマシンで実際にのびろべえに会いに行ったのだ。そして彼をのび太くんの部屋(現代)に案内したところ、水道やガス・テレビ・車・高層ビルなどの現代科学に非常に恐れをなし、のび太くんはホラを聞くどころではなかったので元の時代に帰したのだ。するとのびろべえは現代の話を村のみんなに話したのだが、誰も信じてくれなかったのでホラのびと呼ばれるようになったという話なのだ。

このエピソードを12ステップ的に解釈するなら、自己肯定感の低い我々の宗教に対する態度が如実に現されているのだ。現代科学の話をするのびろべえを笑った聴衆は、宗教を信じないだけでなく笑いものにさえしている我々の姿なのだ。しかし話をするのびろべえは現代科学(彼にとっての未来)を実際に見てしまったので、信じざるを得なくなってしまったのだ。

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のびろべえは現代の科学技術を「魔法」や「仙人」というやや宗教めいた表現で驚きを口に出し、聴衆に話をしているのだ。そしてそれを笑いものにする聴衆、これは現代において、人間の力を超えたスピリチュアルの力を目の当たりにした人と、いまだスピリチュアルを信じず軽視する人の構図なのだ。

現代科学の基礎になった理論がその昔は今で言う宗教のような扱いをされていたのは、地動説についてのコペルニクスの本の内容が信じられなかったことやガリレオ裁判を見れば明らかなのだ(ガリレオ裁判は地動説を批判する側が宗教勢力なのだが、それは地動説(正)が嘗てキリスト教の教義とされていた天動説(誤)に反していたからで、スピリチュアルな生き方(正)とそうでない古い生き方(誤)に当てはめれば矛盾するものではないのだ)。

現代科学は昔の人にとってのスピリチュアルなのだが、地動説などの昔のスピリチュアルは見事に証明されて現代の科学技術に活用されているのだ。つまりこれは、現代にある宗教は遠い未来に科学によって証明されるということなのだ。これを踏まえれば、科学が現実で宗教は科学に反する(宗教は非科学的)といった宗教批判的な考え方は、非科学的な態度と言えるのだ。悪い人やエセスピ等に騙されやすい自己肯定感の低い人こそ宗教に対する態度を改めるべきなのだ。

言ってみれば科学は「元スピリチュアル」「元宗教」なのだ。現代人は宗教"だった"ものに依存して生きていることに気がつくことによってスピリチュアルな生き方ができるわけで、現代の宗教を非科学的な態度で批判するのはおかしい、という話になるのだ。

そもそも日本人はもともと信心深い民族なのだ。無宗教と言いながら初詣に行くしクリスマスを普通に祝ったりするのだ。宗教を信仰しているかどうかは別にして、自分の信心深さに気づくと幸せになれるのだ。

得たイさんの依存先の増やし方

得たイさんはステップ1で「発達障害の特性に対して無力である」ことを認めているのだ。健常者に擬態することはできないのだ。だから、自分を超えた大きな力に惜しみなく頼るのだ。

例えば得たイさんは最近、ダクタイルフライパンとストウブ(ホーロー鍋)を買ったのだ。鉄のフライパンは扱いは難しいものの、寿命の切れたテフロンフライパンの溜め込みから解放されるし、ストウブは放ったらかしで美味しい料理ができるのだ。新しい科学技術はどんどん取り入れて依存(connection)していく、それが発達障害の特性への対抗策なのだ。

また、重要になるのは人との日常の関わりなのだ。依存症の引き金にされる要素にHALT(Hungry、Angry、Lonely、Tired)があるのだが、そのうちのLonelyは日常的な繋がり(connection)がない状態なのだ。依存症者は寂しさから非日常的な繋がりに走ってしまう、これがアディクションに繋がるのだ。

得たイさんの場合、仕事は基本的に一人でやってるので日常の繋がりを自助グループに求める必要があるのだ。今はオンライン含めて3つの自助グループに参加しているのだ。グループの仲間と繋がりを深めて分かち合うことが、得たイさんにのっていま必要なことなのだ。

自分を超えた大きな力はそこらじゅうにあるのだ。それに気づくために必要なことがconnectionで、その繋がりに感謝することが大切なのだ。

ステップ2は深いのだ。難しいのだが、これが踏めたときに人生が大きく変わると思うのだ。

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