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月島さくらさん炎上に見る「学校からいじめがなくならない理由」

こんにちはなのだ。
得たイさんはいま、トラウマ治療をしているのだ。小学校6年間ずっと女子にいじめられ続け、小1で重度の女性不信になったトラウマの処理に全振りしているのだ。

そんな中、衝撃的なツイートが流れてきたのだ。それだけならまだしも、AV新法を巡って表現規制と戦っているAV女優の月島さくらさんが大変ショッキングな言葉で引用していたのだ。得たイさんはそれを見てトラウマがずっとフラッシュバックし続け、体調を崩して倒れてしまったのだ。

得たイさんは、これがいじめに見えない人がいることに目を疑ったのだ。当然ながら月島さんは多くの男性からのバッシングに遭っているのだが、この件に関して何人かのまったく悪気のない反応を見ているうちに「だからいじめがなくならないのか」との思いになったのだ。

いじめによる清潔感の喪失

まず、これがいじめであるれっきとした証拠があるのだ。それはいじめられる側に清潔感がないことなのだ。
結論から言うと清潔感のなさはいじめの結果なのだ。清潔感がないのは自己肯定感を失っているからで、その背景にはいじめがあるのだ。清潔感のない人がいたらその人はほぼ確定で幼少期にいじめられていたのだ。

1コマ目のニキビを潰すシーン
2コマ目のひげを剃らないシーン

月島さんはこれについて、清潔感について女子がアドバイスしている、それを罵倒するのは被害妄想だと言ってるのだ。つまり彼女は、この漫画を「その場限りの出来事」として見ているのだ。
しかし実際は相当高い確率でそうではないと思われるのだ。それは得たイさんの女子からのいじめサバイバーの経験からでもあるのだが、何よりも清潔感は自己肯定感が如実に現れるものだからなのだ。

清潔感を整えることは、とりもなおさず自己肯定感を以て自分を大切にするということなのだ。自分を大切にすることができなくなるとすれば、それは何らかの外的要因の結果であり、本人側の原因ではないのだ。その外的要因こそがいじめなのだ。
しかし、いじめられる原因に関しては「宿命」(本人にはどうしようもない要素)としか言いようがないのだ。発達障害や知的障害のせいで不潔感が出てしまうことはよくあるのだ。中でも次のような要素がいじめに繋がりやすいのだ。これらは子供本人や親が是正することは不可能なのだ。

  • 身体的特徴

  • チック(鼻ほじり等)

  • アレルギー性鼻炎

  • 粗相(発達障害の子に多い)

投稿主の場合はおそらく歯並びが原因で暗黒の小学校6年間を過ごすことになってしまったと見えるのだ。投稿主に限らず、この手の女子からのいじめは「本人にはどうしようもない要素」によって気持ち悪がられ、周りからの悪気のない正論パンチでボコボコにされて自己肯定感を削られ、自分の身体を大切にできなくなってしまうのだ。

ちなみに得たイさんの場合は、主に発達障害によるチックと粗相だったのだ。発達障害の子は特性により思考のバグでトイレの優先順位がつけられないことがあって失禁を伴いやすい傾向にあり、何度も保健室のパンツのお世話になるのだ。便を拭うことはできても、失禁のレッテルを拭うことはできないのだ。

数あるいじめの中でも汚物扱いはとりわけ悲惨なのだ。それは汚物のレッテルを貼られたら最後、刷り込みにより自己肯定感を削られて本当に清潔感をなくしてしまうからなのだ。

いじめは大抵本人が抵抗できないように行われるものなので、言い返すとか抵抗することは最初から封じられているのだ。よくネットで「いじめられる原因」などを見かけるのだが、それらは全て「いじめられた結果」なのだ。
清潔感がないからいじめられるのではなく、いじめられるから清潔感がなくなるのだ。因果関係が逆なのだ。ここがよく一般に勘違いされてしまうのだ。
そして正論パンチで攻撃してくるのは、得てして精神的に成長の早い女子なのだ。本人には全く悪気がない、つまり女子はこれをいじめと認識することはないからタチが悪いのだ。

女子からのいじめを受けるとどうなるか

いじめが深刻な問題である理由は、人格を形成する大事な時期に自己肯定感を失うとそれが一生ものになるからなのだ。つまり幼少期は人格がプリインストールされる期間なので、一度インストールされたら完全に除去することはできないのだ。

弱者男性の多くは幼少期に女性に対して深いトラウマがあり、その原因のひとつが集団での汚物扱いいじめだと考えるのだ。漫画に登場する女子たちが本当に清潔感について指摘・提案しているのなら、投稿主が以前からいじめられているのを考慮して、その人なりにアサーティブに提案できるはずなのだ。しかし実際は投稿主が感じて描いたようにそうではなく、ましてやそれを(被害として)先生に言ったということは、実際そうではなかったということなのだ。そして先生が「わかってあげて」と女子に忖度したことが、これがいじめであることを物語っているのだ。

先述の通りなのだが、女子からのいじめは清潔感と衛生観念が破壊されるのだ。しかし多くの女性は自分がいじめ当事者であった可能性を考えることはなく、幼少期の正論パンチで男子の清潔感を奪っておきながら大人になってそれを男性に求めるのだ。それはひょっとしてギャグで言ってるのか?

コミケでよく「オタクは風呂入れ」と言われるように、実に多くの男性が幼少期の女子からの被害によって自己肯定感を失い、清潔感と衛生観念を奪われたと推察できるのだ。
また、異性からのいじめは性的自立を著しく阻害するのだ。その結果、男性は恋愛弱者となり、女性は性の自己決定権を放棄して望まない性行動に身を投じることになるのだ。
男性も女性も、異性からの正論パンチ被害によって自己肯定感を失い、性的自立を阻害されて弱者になるのだ。その性的自立の入口である清潔感と衛生観念を破壊される、これは人としての尊厳を奪われるということでもあるのだ。

まさにその通りなのだ。小学校というクローズドな社会の中で集団でいじめに遭うということは、その子の世界観にいる全人類からいじめられるということなのだ。これは洗脳の手口の一つ「閉鎖空間に閉じ込めて人格を否定し、新しい価値観を植え付ける」と同じ状況なのだ。つまり学校内におけるいじめとは、善意で行われる洗脳なのだ。
また性依存症治療の観点から見れば、女子からのいじめは情緒的な性被害でもあるのだ。物理的な性暴力だけでなく、女子から男子に対するいじめ(概念の性暴力)もやはり魂の殺人なのだ。

 境界線が絶えず無視されている家庭では、近親姦は珍しいことではない。境界線を無視した最も極端なかたちは、大人と子どもの実際の性的関係であるが、虐待の大多数の内容は(性行為を伴わない)情緒的な近親姦である。

性的強迫症からの回復のプログラム 第二版

ここでは家族の話なのだが、家庭を学校に、虐待をいじめに置き換えてもまったく同じことなのだ。情緒的に相手を利用することが家庭では虐待なら、学校ではいじめになるのだ。

いじめは繰り返される

月島さんは引用のみならず、リプでも投稿主を批判したのだ。しかし月島さん本人が悪いことをしている自覚がないので、火に油を注ぐ結果になっているのだ。そしてついに、誹謗中傷してきた人のスクショを弁護士に投げるに至ったのだ。

まさに投稿主の漫画の「すぐ先生にチクるタイプの女子」そのものなのだ。漫画と同じことが、ここに再現されてしまったのだ。

投稿主の罵倒が許されるものではないのと同様に誹謗中傷も許されないのだが、だからといって月島さんの配慮を欠いた発言もまた問題がないことにはならないのだ。月島さんが投げた投稿のうちいくつかは、おそらく弁護士から「わかってあげて」的なことを言われるのは容易に想像がつくのだ。しかしそれで彼女が納得しないであろうことも、漫画の最後の「その女子はずっと泣いていた」が如実に物語っているのだ。

そしてまた、この漫画に反応していたおぎの稔議員も、言葉は選んでいるけど月島さん側と取れることを言ってたのだ。

やはりおぎの議員も、この件をこの場限りのこととしてしか見ることができていないのだ。みんな口では「いじめはいじめる方が100%悪い」とは言うのだが、月島さんにしてもおぎの議員にしても、潜在意識の中で「いじめられる方にも原因がある」と思っていることは疑いようがないのだ。

先述のように、いじめの原因は本人にはどうしようもない要素であることは間違いなく、そしてそれを考慮することは子供の能力的に不可能なのだ。だから周りは善意で是正を求めるのだが、当然本人には(ほとんどの場合は親の力を以てしても)不可能なことなので、本人からすれば周りの善意は人格否定になるのだ。そうして自己肯定感を削られ、思春期になり周りが他人の事情を想像する能力が身についた頃には、本人が是正できるはずのことも自己肯定感の喪失によって奪われているのだ。
最終的に周りはこう思うのだ。「何で出来ないの?」
周りがそう思ったときには「いじめられた結果」(そのひとつが清潔感の問題)は「いじめられる原因」に既にすり替えられていて、いじめを受けた人はさらにいじめられることになるのだ。

依存症治療プログラムのステップ4には、人生で恨んだ相手に対する感情を整理して書き出す「棚卸し」のワークがあるのだ。そこに書かれるいじめられた経験はその人にとって凄惨なものなのだが、おそらく健常者にとっては、月島さんと同様に「これのどこがいじめなのかわからない」と頭を抱えてしまうと思うのだ。
このステップは一人ではできず、スポンサー(回復している先ゆく仲間)と一緒にやる必要があるとされている理由がここにあるのだ。いじめの凄惨さを経験していない人には共感することはできないので、正論が人格否定になってしまうのだ。

当事者の背景は当事者にしかわからないのだ。しかし福祉の現場は非当事者が当事者を支援しているので両者の認識に大きな乖離があることが多く、そこにイネイブリングやカサンドラといった現象が発生し、当事者はそこで苦しむことになるのだ。この構図はいじめと似たようなものがあるのだ。

いじめは悪意ではなく善意で行われるのだ。月島さんの今回の炎上は、まさにそれを再現を以て証明した形になったのだ。

いじめをなくす方法は存在するのか

いじめの問題はいじめられる側の「本人にはどうしようもない要素」が原因にあることは否定できないのだ。しかし、いじめる側が100%悪いことに変わりはないのだ。じゃあいじめる側は何が悪いのか、それはそもそも口出しをすることなのだ。

「生き方の原理」である依存症治療の「12の伝統」にはこうあるのだ。

10. アルコホーリクス・アノニマスは、外部の問題に意見を持たない。したがって、AAの名前は決して公の論争では引き合いに出されない。

AA 12の伝統 | AA日本ゼネラルサービス

 私たちAAメンバーは最初のころから、ある種の深い本能によって、どれほど有意義な闘争に対しても、また、どれほど挑発を受けても、公にどちらかの味方に付くことは絶対に避けねばならないことを感じ取っていた。いま懸命に奮闘努力している国家や集団も、最後にはばらばらに分裂することを、あらゆる歴史は明らかにしている。それは、国家や集団というものは争うように定められているからであり、また、それにはまり込むからである。

12のステップと12の伝統(AA Japan General Service)

この世界には数々の社会悪が野放し同然になっているのに、どうしてOAはそれを黙っていられるのだろうか。
 理由は、単純である。OAに集まる人たちの出身地や経歴は実にさまざまであり、個々の問題に対する意見もそれぞれに異なるからだ。仮に、OAが何らかの問題についてひとつの立場を支持しようものなら、それを境に、意見を異にする人はメンバーではないように扱われてしまうだろう。

12のステップと12の伝統(オーバーイーターズ・アノニマス)

伝統10は、集団の中で複数人が共同で外部の問題を支持することは、集団の本来の目的から逸脱して最終的にグループの破滅を招くとしているのだ。これは「生き方の原理」なので、個人間から国家までどのような集団にも例外なく当てはまるのだ。当然これは学校という閉じた空間の中にも当てはまるのだ。

たとえば、集団行動で他の大多数の人と同じ動きができない発達障害の子がいるとするのだ。すると、他の子がその子に対して「ここを直したほうがいい」という外部(発達障害の特性)の問題への意見が発生し、それを複数の子が同意見を持つようになると派閥ができるのだ。当然この派閥は悪意などなく、むしろ善意で対象を迎え入れようとするのだ。しかし本人は善意の指摘によりそこで人格否定されてしまっているのでクラスになじむことができず、派閥との溝が深まる、最終的に発達障害の子は自然とクラスメイト扱いされなくなるのだ。
こうして個々の善意がひとつの派閥になり、それによりいじめが自然発生するのだ。

これはどんな人間関係でも必ず発生するのだが、正義感が強すぎると他人の問題に口出しを始めてトラブルメーカーになったり、またあるいは自覚なきいじめ首謀者になったりするのだ。
ネットでこれとまったく同じことをしているのが、最近の月島さんなのだ。女性専用車両やトランストイレ問題などは女性として絶対に無関係ではないのだが、それでもAV女優として誇りを持ち性表現をするという本来の目的からすれば「外部の問題」なのだ。外部の問題に踏み込むのを繰り返すのは他人との軋轢を繰り返すし、今回の件で受けたという誹謗中傷も完全に自分でまいた種なのだ。
いじめにせよ誹謗中傷にせよ、外部の問題を集団として支持する、あるいは集団に外部の意見を持ち込むところに端を発しているのだ。

では、外部の意見に端を発したいじめをなくす方法は存在するのかといえば、その可能性が依存症治療の文献に載っているのだ。

 私たちのような強迫的なオーバーイーターは、OAの十二の伝統のなかでも、回復のメッセージを運ぶことに専念して論争を避けるという十番目の伝統から学ぶことが多い。つまり「人は人、自分は自分」ということである。人との争いにかまけず、ハイヤー・パワーの意志を実行することに日々、心を傾けていれば、私たちは幸せであり実りある人生を送れるようになるのだ。

12のステップと12の伝統(オーバーイーターズ・アノニマス)

ハイヤー・パワーとは「自分を超えた大きな力」であり「自分なりに理解した神」なのだ。自分が内在した神様が何を仰られているか、それを行動原理とするところにいろんな問題が解決していくのだ。自助グループは自分なりに理解した神を個々が信仰して身を委ね、外部の問題をグループ内では放念することによって秩序が保たれているのだ。これはあらゆる集団が維持・発展していくモデルケースでもあるのだ。

信仰を持つのは素晴らしいことなのだが、それを集団の中で徹底させることはできないのだ。つまり時代がまだいじめをなくすことができるレベルに達していないのだ。なので、いじめに遭ってしまったことはもうどうしようもないのだ。
しかしだからこそ、信仰を持ち神に委ねることが重要になるのだ。信仰は自分の生き方をどうすべきか神様に尋ねて従う、そして自分の意思を置いていく、そこに建設的な生き方があるのだ。それをまず自分自身がやっていく、そこに学校内のいじめもあらゆる社会問題も、解決の糸口が見えるのだ。

得たイさんは性依存症者なので、神に道を委ねる生き方によってすべての性被害が朝露のごとく消えていくのを願ってやまないのだ。そして、いじめによって生まれてしまった弱者男性救済の鍵が、神に救われた弱者男性であることを信じて依存症治療に邁進していくのだ。

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