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24-05-17

10年メモを買おうと思ったが、こうしてデジタルの活字(?)で表現することに意味があると思い、noteを日記として使うことにした。

昨日から西村賢太の人生や食生活・飲酒状況を調べ、今日はどうやら山本文緒が怠惰な食生活と飲酒喫煙をしていたらしいことをネットサーフィンから知った。不謹慎であるが、早死にへの憧れである。
他にも自殺・夭折の作家を調べるのは楽しかったが(他者の死を消費して申し訳ない、これは冒涜という自覚がある)、やはり西村賢太と山本文緒という存在は驚くほど魅惑的で本当に脱帽だ。ツイッターでも西村賢太というワードを使っただけで何件もいいねが付く。自らが私小説になるために生まれてきたような男。生きることに疲れた私には罪な存在。

本を作ることに興味がある一方で、やはりZINEや個人出版物、一部のエッセイには思想というものが避けて通れないため、未だ踏み出せずにいる。

大学に入学して以降、私は思想という奴に苦しめられてきた。左寄りの教員とそれを讃える無知な学生。アホかと何度思ったか分からない。フェミニズムがダメとかそういうことではないが、大学という限定された空間で受け取った思想をそのまま自分の私生活で享受するような、盲信的な態度が許せなかった。そういう訳で思想が濃く出てしまっているもの自体に今は拒否反応が出ている。尤も文フリで何冊か購入し実際に読んだりすることで少しは緩和するとは思うが、もうこれ以上思想に振り回されるつもりはない。気に入った冊子・本だけを読んでいこう。

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