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茶色~祖母が作る幸せの味~
茶色
茶色は木や土など自然の色。
温もりや安らぎを感じさせる色。
茶色って美味しそうなものの色のイメージ。
お菓子にはマカロンや花を模した和菓子みたいに彩りのあるものもある。でも、食卓に並ぶ、最も身近で日常的に食べる料理って茶色っぽい食べ物が多いと思う。肉じゃがだって味噌汁だって茶色っぽい。
私は小学校高学年から高校卒業までの間、祖母と一緒に暮らしていた。母は専業主婦の期間もあったけど、外で働いている期間もあったから食事の支度は母と祖母が二人でしていた。
そして、母が入院している間は祖母が食事の支度は全て担っていた。その頃の私はさつまいもの甘露煮とオニオングラタンスープしか作れなかったしね。ちなみに、炊飯器の使い方さえ知らなかった。
私は母が作ってくれるものも好きだったけれど、祖母の作ってくれる料理も好きだった。特に大学芋、芋の煮物、切り昆布の煮物、切り干し大根が好きだった。
母も作ってくれたし、母が作るのも美味しかったけれど、祖母と母では味付けが少し違った。
祖母は私が祖母の作る料理を好んで食べると、いつも「ありがとう」と私に言った。「ありがとう」と言わなければいけないのは、作ってもらった私なのに。だけど、祖母は心から嬉しいと思っていたのだ。
祖母が祖母の友達(みんなご老人)と話をすると、他の家庭では「年寄りが作るものは美味しくない」と扱われる話をよく聞いていたのだ。ご老人が作った料理の世間での扱いを知っていたからこそ、祖母は私に「ありがとう」と言っていたのだ。
「よそでは年寄りの作ったものは嫌われとるのに、私は作った料理を美味しいって食べてもらえる。だから、私は幸せ者や」
祖母はそう言っていた。
よその家でのことは、私にはわからない。だって、私は祖母が作ってくれる料理が好きだったから。
そして、祖母は私が上京してからも、帰省する時には実家に到着してすぐに食べられるように私の好物を作って待っていてくれた。
祖母は脳腫瘍で約5年前に他界した。祖母は病気の影響で、どんどん色んなことを忘れ、人格も壊れていった。
だけど、最後まで台所に立った。最後まで、私が実家に帰省するのに合わせて、私の好物を作ろうとしてくれた。
祖母が作ってくれた料理は全体的に茶色かった。でも、それが私が好きだった料理。
もう今は食べることはできないけれど、今でも食べたくなる料理。