見出し画像

関西弁に押されっぱなし?

テレビに溢れる関西弁

全国区のテレビ番組が関西弁だらけになって久しい。
若い世代にとっては、もはや当たり前のことのようになっているだろうが、我々昭和生まれの人間にとっては思いの外、東京が関西弁に侵食されてしまっていると言わざるを得ない。

大阪生まれの“エセ関西人”とも言える筆者でさえ(いやむしろ筆者だからこそ?)違和感を感じるのだ、関西人じゃない人々、特に関西と対をなす関東・東京人の中には歯痒さを感じている人も多いことだろう。

一体なぜこうなってしまったのか。

接触と交流増加の果てに

吉本新喜劇に象徴されるように、関西には独自のお笑い文化が昔からあった。

また“人情噺”に代表される江戸の落語に対して、元来関西の上方落語では“笑い”が好まれた。

これらの傾向は時代が下ってもあまり変わることなく、関西では“一発ギャグ”で笑いを取る芸人が多い反面、東京では物語っぽい“ショートコント”がメインの芸人が多い印象がある。

筆者が小学生の頃の、昭和50年代半ばのいわゆる“漫才ブーム”の頃ですら、関東と関西の文化的な交流は今に比べれば、全然盛んではなかった。

お笑いに関して舌の肥えた?関西人は大人子供限らず、東京のお笑い芸人に対して、
「東京弁気持ち悪いねん」
と言って、お笑いの内容に関係なく毛嫌いする者が多かった。
(でもドリフターズ欽ちゃんなどのスーパースターへの批判はほとんど聞かれなかった)

一方の東京人も、
「関西弁ってダサいよね」
と言って忌み嫌っていた。

そんな状況が大きく変わるのは、平成初期(1990年代初頭)の吉本芸人の本格的な東京進出である。

実はそれまでも明石家さんま氏などは既に東京で人気者になっていたが、東京人の関西弁に対するアレルギーは依然として残っていた。

それをダウンタウンが半ば強引に打破し、そこに後輩芸人が続いた形だ。
吉本興業は数にものを言わせて、あれよあれよと言う間に、東京においてもお笑い界での最大勢力となった。

彼らは上京しても当然ながら、言葉を標準語に直すものは皆無で(プライベートにおいては知る由もないが、恐らくそうに違いない)、いつしか彼らの話す関西弁を東京人は少しずつ許容していった。

そしてそんな関西芸人に影響されて、上京しても訛りを直さずに押し通す関西人も増えていった印象がある。(筆者のように大声で関西弁を話すことに対して恥ずかしさを感じる人がほとんど居なくなったということか)

そうなると段々と東京人にも、関西弁が侵食していく。
アクセントこそ“東京風”にはなったが、ついには自らも関西由来の言葉を使い、話すようになっていった。

あれもこれも実は関西弁

昭和時代まで東京で嫌われていた関西弁だが、吉本芸人の東京進出により市民権を得て、徐々に広まっていった。

若い人は知らないかもしれないが、
しんどい [疲れた]
     
めっちゃ [超~]

嫁(よめ)[カミさん・家内など]

家(いえ)[うち(家のこと)]

うち(自分のこと)[わたし・あたし] 
※上記の“家=うち”という人が少数派になり、代わりに関西の女性が使っていた“私=うち”の言い方が東京のギャルにを中心に広まり、取って代わられた

~かい! [~かよ!] 
※“~かい?”は元々東京では主に江戸っ子が話し相手に問いかける際に用いていた。
しかし、関西のお笑い芸人が相手にツッコむ際に使う“~かい!(反語の意味)”が平成以降、東京でも流行りだすと、こちらが“~かい”の代表になり、若い世代を中心に主流になってしまった。
今や“~かい?”を使うのは年配者に限られるし、“~かよ!”も東京・下町生まれのお笑い芸人“さまぁ~ず”の三村マサカズ氏のギャグ或いは東京ローカル方言みたいに、ある意味成り下がってしまった 

           ※[ ]内は本来、東京人が使っていた言葉  

これらは全て元々は関西弁だった。
1990年代初めまで、これらクセの強い関西弁を東京の若者はダサいと言って、好んで使う者はほとんど皆無だった。
なのに、現在ではこの変わりようだ。
やはり、それだけテレビメディアの影響力が大きかったということだろうか。

面白ければいい…じゃない!

筆者のこれらの指摘に対して、
「そんなムキにならなくても、いいじゃん」
「関西弁面白いじゃん」
と反論する方もいるだろう。

しかし実際彼ら関西芸人は、東京(のお笑い)を乗っ取るつもりで血眼になって進出して来たのだ。
事実今田耕司氏は当時、
「(東京の芸人に対して)刺したる~!」
と殺気立った感じで臨んでいたそうだ。
(食うか食われるかの世界だから、上京時にそのような心境になるのも分からなくはないが、なぜそこまで喧嘩腰にならなけらばいけなかったのかとも思う)

でも強引であろうと、喧嘩腰であろうと関西弁は東京において、ある程度メジャーに成り上がった。
なぜ関西弁にはそれができたのか。

それは関西人には東京への野望があったからだ。
関西人には東京への野望を持つ人が一定数いるが、東京人には関西に対する野望を持つ人はあまりいないと思う。
(ここでいう野望とは、相手を自分色に染めたいという意味も含む反面、コンプレックスの裏返しでもある)

それがあったから、関西人は半ば強引に東京において関西弁を通用させることができた。
これは昭和時代の東京が大好きだった筆者からすれば、隔世の感がある。

昭和の東京は強かったし、絶対的な存在だった。
バブル末期のギラギラした、
「大阪がどうしたってんだ!」
てな雰囲気の東京は、実にカッコよかった!

実に(げに)昭和は遠くなりにけり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?