[ʁ]

北川惠太 

最近、ポルトガル語を始めたての人と話す機会があった。そして、ポルトガル語を勉強したことのない人に大変だったことを聞かれる機会もあった。そのときに思い出した光景はもう4年前のことだが、今でも鮮明に覚えている。
 僕は、大学に入りたてで、初めて親元を離れての生活、キラキラ輝いているように見えるキャンパスライフに胸が高鳴っていた。そんな高揚感とともに始まったポルトガル語の授業。人生で初めて会うブラジル人・ポルトガル人。彼らは僕のポルトガル語の先生たちだった。絵に描いたステレオタイプ的ブラジル人のエリゼウと真顔で嘘か本当か分からないような冗談を言うポルトガル人のルシオ。4年間にわたりお世話になる2人の先生と出会ってすぐの授業で、一度目の壁にぶつかった。
 ルシオ先生の授業で発音の練習をしたときのことだった。一人一人に音を教えながら、発音させていく授業で、出てきた“r”の文字に苦しめられた。何度発音してもこの音をうまく発音できなかった。周りにできる人がいる中、自尊心が傷つけられるこの感覚。悔しかった。
 負けず嫌いの僕は家に帰って、独り一晩中この音を出すために練習をした。“r”を[ʁ]と発音できるようになるまでに。少しコツがつかめたと思ってきたところで、喉に錆びた鉄のような味がした。鼻血でも出たのかと思って、鼻を確かめてみたけれど、一滴も出ていない。そう、喉から血が出たのだ。
 様々なところから出血した経験はあったが、喉の中から血が出てきたことは初めてだった。血が出て嬉しいと思うタイプの人間ではないが、そのときの血は少し誇らしかった。自分が努力した成果のような気がして、なんだか笑えてきた。
 今振り返るとただの笑い話のような話だが、この経験をしたからこそここまでポルトガル語を愛し、ポルトガル語に向き合い、時にポルトガル語にそっぽを向かれながらも、努力し続けられたと思っている。しっかり一つの[ʁ]に向き合った経験は、人生で今後役に立つことはあまりないと思う。だが、一つのことにこだわって、突き詰めることの大切さを教えてくれた。府中の下宿で感じたあの「味」を忘れずに暮らしたい。そう思わせる経験だった。


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