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「誰もひとりでは生きられない」崩壊に向かう先進国社会

我々の住む社会、とりわけ先進国社会は現在進行形で衰退している。
「そんなことない」と思う方もいるだろう。
毎年科学には新たな発見があり、技術も発展し、医療もより高度なものとなっている。平均寿命も伸びているだろう。

それでも衰退しているのだ。このノートは続き物として書くつもりなので丁寧に話を進めていこうと思う。

だからまずは、我々が立脚している文明社会というものが、どれだけ脆い前提の上に存在しているのかに言及していきたい。

(前略)
僕らが当たり前のものとして考える現代の技術はいずれも、その他の技術からの膨大な支援態勢を必要とする。スマートフォンをつくる過程には、そのデザインや一つひとつの部品を知るよりずっと多くのことがかかわっている。この機器は、〔大きな変革をもたらす〕実現技術イネーブリングテクノロジーの広大なピラミッドの頂点に位置しているのだ。タッチスクリーンにはレアメタルであるインジウムの採鉱と製錬が、CPUには極小の電気回路を高精度のフォトリソグラフィで製造する技術が、そしてマイクには信じ難いほど小型化された部品が必要であるばかりか、電気通信と電話機能を維持するのに必要な電波塔のネットワークなどのインフラが欠かせないことは言うまでもない。
(後略)

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたp.12
ルイス・ダートネル 東郷えりか 訳
株式会社河出書房新社
2018年9月20日初版発行


インジウム、CPU、フォトリソグラフィ

普通に生活する上では全く聞き慣れない単語だろう。
我々は、スマートフォンの使用法を他人に教えることはできても、製造法を教えることができるだろうか?

愚問だ。私を含めたほぼ全ての人間には不可能である。材料集めどころか組み立てることも困難なのだ。

あるものを製造するには、ある技術とある機器、部品が必要になり、ある部品の製造にはある技術と機器が必要なる。ある機器の製造にはある技術と機器と部品が必要になり、(以下繰り返し)

と、気が遠くなるほどこの工程が続いていく。上の引用文にある通り、完成に至るまでをさかのぼれば、ピラミッドのように必要とされる技術は広がっていく。その中には先に挙げたようなレアメタルの採掘という工程も当然含まれる。そして、レアメタルの採掘にも機器や技術が必要となる。勿論、採掘に必要な機器の製造にも部品や技術、くどいが部品を製造する技術など、実感の湧かないほどの複雑な工程が必要となる。

我々が当然のように享受している便利な生活は忖度した不公平アンフェアな言い方をするなら、

人類・・が築き上げてきたもの」

なのだ。ああ、人類と表現したのはなにも宇宙人の介入があった、などと言いたかったわけではない。言葉の意図は伝わる方には伝わるだろう。

スマートフォンに限らず、我々の生活を豊かにしているモノ、或いは生存のために欠かせないモノ、サービスには過去からの技術の蓄積があり、その技術を維持するためのコストが常に支払われている。それは物質であったり、人間の労力であったりする。

それらによって生み出されたモノの入手やサービスを享受することに対して、対価を支払うことで社会というものは動いている。この対価とは金銭であったり、何らかの処分行為であったりする。

「当然のことだろうが!」

と思っただろう。
そう、当然のことなのだ。これらの取引が行われていない先進国は存在しない。モノやサービスを受け取るには対価が必要であり、その対価が公正であることによって持続可能な社会が構築される。

さて、このnoteのタイトルは、

「誰もひとりでは生きられない」崩壊に向かう先進国社会

である。本当はすぐにでも先進国社会の崩壊について語りたいところなのだが、先進国社会というものが、どれほどの前提の上に成立しているのかを先に語らなければならない。
(冒頭に似たようなことを書いたが)

だが、このままでは説得力に欠ける。よって、我々の文明の産物がどのように失われていき、その後に我々が現在のような生活を得るのに必要なことは何であるのかを少しずつ解説していきたいと思う。

みんな大好きポストアポカリプス

ポストアポカリプスという言葉を聞いた事があるだろうか?
SFが好きならご存知だろうと思う。これは人類社会の崩壊後を描く作品群の呼び名である。
これから社会の崩壊について言及していくので、フィクションの話をするのは如何なものかとも思うが、何らかの破局を迎えた後の社会がどのようなものとなるのかを考えていく上で創作物も参考になるのだ。

もちろん、想定しているのは「大企業が変なウイルスを開発したせいでゾンビで溢れた世界」でも「核戦争後の放射能汚染された世界」でも「巨大隕石が地球に衝突した世界」でも「どこかの主神が狼に喰われた世界」でも「天使がラッパ🎺を吹いた世界」でもない。

純粋に衰退した世界だ。イメージとしてはパンデミックによって人口減少した場合のような、社会が木っ端微塵にならない程度の文明崩壊だ。
それでは、人類の管理を離れた文明社会がまずはどうなるのかを見ていきたい。

(前略)
最初の冬には、凍った水による水道管の破裂が相次ぎ、翌年、気温が緩んだ時期には建物内部が水浸しに違いない。はずれたり割れたりした窓から雨が吹き込み、屋根瓦がなくなった部分からも染み込み、詰まった雨樋や排水溝からあふれだす。窓やドアの枠はペンキがはがれて湿気がなかに入り込み、木部を腐らせ、金属を錆びさせ、しまいに枠全体が壁から抜け落ちるだろう。木造構造──床板、根太、屋根の支え──もまた湿気を吸って腐り、部品をつないでいるボルトやねじ、釘は錆びる。
 そのあいだで汚れたコンクリート、レンガ、漆喰は気温の変化にさらされ、詰まった雨樋から滴り落ちる水を吸い、高緯度では容赦ない凍結融解が繰り返されることでぼろぼろになる。温暖な気候では、シロアリやキクイムシのような昆虫が菌類と共同して建物の木造部分を食い尽くす。早晩、木製の根太や梁は腐って折れ、床が落ちたり、屋根が崩れたりし、やがては壁そのものが外側にしなって倒れる。僕らの家屋や集合住宅の大半は、せいぜい100年もてばよいだろう。

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたpp44-45
ルイス・ダートネル 東郷えりか 訳
株式会社河出書房新社
2018年9月20日初版発行

根太という単語は聞き慣れないと思うので軽く説明すると、根太ねだと読み、床板など渡すための土台となる構造物である。

田舎に住んだことのある方はご存知だと思うが、手入れを怠ると植物はあっという間に我々の生活空間を侵食する。

ここまでになるには長い期間が必要だが、我々は自然に合わせて環境を利用しているのではなく、自然を我々に合わせて環境を整えている。例えば農業を自然に優しいと思い込んでいる方もいるが、これですら本来の植生を無視して、人間が育てたいと思った植物のみを育てている。

お分かりだろう。我々がある植物を育てるために排除した別の植物を基点に、虫や小動物、鳥、その他動物などが生態系を育んでいたはずなのだ。(断っておくが私は環境保護よりも便利な生活を支持する側である)

農業も環境破壊であるということは視点として持っておいた方が良い。
ただ、植物は強いのでアスファルトやコンクリートだろうと侵食し、人が手入れしなければ、都市も瞬く間に緑に覆われる。
まあ、だからと言って、ブライアン•オールディスの「地球の長い午後」のような世界になるわけではないのだが。

緑に覆われた都市では火災の危険性も高まる。灌木かんぼくが燃えやすいのはご存知だろうか?
そして都市部には燃料となる物質も多い。2024年1月、今年の初めに北陸で大きな地震があった。能登半島地震である。TV中継されてたと思うが、この地震による火災も発生している。現代のような消防組織や技術がありながらも大きな被害が出た。これには多くの悪条件が重なったことも原因であるが、このnoteで問題にしているような衰退した社会における火災はこの比でない。我々の生活空間は様々な技術と人によって支えられている
我々の社会は今でさえ、人間の生活空間を守るために自然を相手にマラソンを続けている。文明社会は絶対のものではなく、常に崩壊の危険性を孕んでいることを認識しなければならない。

(前略)
鉄筋はそれを包み込むコンクリートによって風雨から守られているが、弱酸性の雨水がなかに浸透し、腐敗する植物から放出されるフミン酸がコンクリートの基礎に浸透すると、構造内部に埋め込まれた鉄筋がなかで錆び始める。この現代の建築技術へのとどめの一撃は、鋼鉄が錆びるにつれて膨張して内部からコンクリートを破断し、さらに多くの表面が湿気にさらされ、最終段階で拍車がかかることだ。
(中略)
 だが、高層ビルにたいする最大の脅威は、手入れされなくなった配水管や、詰まった下水、頻発する洪水によって基礎部分が水に浸かることだ。
(中略)
建物を支えていたものは、錆びて劣化するか、地面に沈下していって、
(中略)
やがては崩壊する。
(中略)
 わずか一世代か二世代のあいだに、都市の地理は見分けのつかないものになるだろう。隙あらば生えてくる実生が若木になり、完全な成木へと成長する。市内の通りも大通りも高層ビルのあいだの人工の渓谷に押し寄せた鬱蒼とした森の通路に様変わりし、ビル自体も垂直方向の生態系さながらに、すっかり荒れ果てて、ぽっかりと開いた窓からは植物が這いでる。
(中略)
年月を経るにつれて、崩壊したビルのがれきからなるゴツゴツの山も、腐敗する植物が堆積して土壌となることでなだらかになるだろう。泥から生えてくる木々が小丘となり、かつてはそびえていた高層ビルの崩れた残骸すら、青々とした茂みに埋もれ、隠されてしまうようになる。

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたpp46-47
ルイス・ダートネル 東郷えりか 訳
株式会社河出書房新社
2018年9月20日初版発行

光景としては「The Last of Usザ•ラスト•オブ•アス」に近いだろうか。「Falloutフォールアウト」のような核爆発による文明の終わりではなく、パンデミックによる感染症を原因とした文明の崩壊であるので世界の荒廃の仕方が異なり、純粋に人の手を離れた社会が自然に飲まれるような状況となっている。そういえばどちらも割と最近ドラマ化されている。

現在は5月中旬であり、能登半島地震から4ヶ月強が経過している。くどいようだが、我々の便利な生活は当たり前のものではない。ガスも電気も上下水道も衣服も食糧も住宅も交通インフラも、なにもかも他人の存在があって初めて享受できているのだ。
輪島市や珠洲市ではいまだに断水している世帯も多い。まともに水道の使用できない生活を想像できるだろうか?
稀にやたらと公務員を叩く人間が存在しているが、冬場に水道管が破裂すれば深夜だろうと出勤していることはご存知だろうか?

今回の地震では津波の被害もある。津波の被害はなにも、人が流されたり財物が破壊されたりするのみではない。海水に浸かった土地や構造物には塩害という問題が発生する。塩は金属などを腐食するし、農地では作物が育たなくなる。塩害に強い作物もないわけではないがそういう問題ではないことは理解できるだろう。我々人類は常に人間の生活環境を守るために奮闘している。この社会に当たり前に得られるものなど存在しない。というより、存在してはいけない。
これほど技術的に発展した先進国ですら、地球全体から見れば小規模な災害や、社会の歯車の狂いで、我々の日常生活は破壊されかねない。
先の地震の被災者の方々の中には依然、帰郷が叶わないという方も少なくない。

生き残るのに必要なもの

有事の際、人間が生き残るのに必要なものは何であろうか?
貴志祐介の著作に「クリムゾンの迷宮」というサバイバルホラー小説がある。この小説で言及されていたのは「水、食料、シェルター(安全な住処)、武器」であった。武器については議論が必要だろうが、水、食糧、住居に関しては誰もが必要だと考えるだろう。
これらの調達は最低限必要なことであり、これらが調達できなければ、文明的な生活どころか、生存そのものが困難となる。

文明生活の基本中の基本にして生存にも大きく寄与するもの。文明生活はこれがなくては始まらないと言っても過言ではない。そんなものがある。一体何であろうか?

答えは簡単。「火」である。画像を貼り間違えたわけではない。これは天上から火を盗み、人類に与えてしまったことで罰を受けているプロメテウスの絵である。
火には暖をとったり料理をしたり、暗闇を照らしたり、といったイメージがあるが、技術や文明の象徴でもある。
我々が文明的な生活を営むにはまず、火を準備する必要がある。さて、我々は普段どのように火を得ているだろう?
簡単な話、マッチやライターなどお手軽に着火可能な道具がある。子供の頃に虫眼鏡で遊んだこともあるだろう。他にもキャンプ用品や携帯コンロなども考えられるが、完全に密林などに放り出されるわけでないのなら、利用できるものは多い。

(前略)
あるいは、飲料用の缶の丸みのある底部を、チョコレートのかけらや練り歯磨きで磨いたものすら利用できる。火花は、乗り捨てられた車のバッテリーにつないだブースターケーブル同士を接触させても生じるし、台所の戸棚で見つけたスチールウールたわしで、煙探知機から取り外した九ボルトの乾電池の端子をなぞっても自然発火するだろう。空き家の周辺には火口ほくちとして最適なもの、たとえば綿やウール、布、紙などがいくらでもある。それをワセリン、ヘアスプレー、ペンキ用のシンナーなどの間に合わせの燃焼促進剤に浸ければとくに、あるいはただガソリンを一滴ほど染み込ませるだけでも役立つだろう。
(後略)

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたpp53-54
ルイス・ダートネル 東郷えりか 訳
株式会社河出書房新社
2018年9月20日初版発行

思っていたよりも火を確保することは難しくないかもしれない。昔のフィクションなどでよく見るような、木と木を擦り合わせた摩擦による着火は我々が想像する以上に労力が必要である。個人的な経験でいえば、火花を散らすなら火打石が楽であると思うし、道具というものは構造が単純であるほど故障しにくく、また修理しやすい。

話を進めたいところだが、一つ断っておきたい。私ははサバイバルガイドがしたいわけではなく、文明的な生活を土台から解説していきたいだけであるのでそのつもりでお願いしたい。

次に水であるが、当然、川の水や海水を直接飲料水とすることは不可能だ。煮沸しゃふつ濾過ろかなどを行わなければ、不純物や菌、寄生虫などによって健康被害を被ることになる。海水が飲めない理由は上記以前に塩分濃度が高すぎて水分補給として全く適さないからである。水を濾過する方法はある程度一般的に知られていると思う。小学校や中学校の理科の授業などで経験することもあるだろう。では濾過した水を殺菌するにはどうすれば良いかというと、煮沸以外には以下の方法がある。

(前略)
まずはキャンプ用品店で手に入るヨウ素〔ヨード〕錠やヨウ素結晶のような専用の水の浄化処理方法を利用しよう。見つからなければ、家庭用の洗剤として調合された塩素系の漂白剤など、同じように素晴らしく功を奏する驚くべき代案がある。次亜塩素酸ナトリウムを主要な有効成分とする五%の濃度の液体漂白剤をわずか数滴垂らすだけで、一時間で一リットルの水を殺菌することができる。しかし、ラベルをよく確認して、製品内に有毒な可能性のある香料や着色剤のような添加物が含まれていないかどうか調べなければならない。台所の流しの下で見つかる漂白剤のボトル一本でも、ニ三〇〇リットル近い水を浄化できる。
(後略)

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたp.56
ルイス・ダートネル 東郷えりか 訳
株式会社河出書房新社
2018年9月20日初版発行

このように飲料水を確保する方法はある。しかし、忘れてはならないのが、これらのものも例外なく文明社会の産物であるということだ。
やり方さえ分かれば飲料水を精製することはできるだろう。だが、このやり方で挙げられている次亜塩素酸ナトリウムやヨウ素を生成できるだろうか?
他にもこの著作には次亜塩素酸カルシウムを利用した方法も載せてあるが、簡単に用意できるだろうか?
また、ペットボトルと太陽光を利用した殺菌法もあるが、これも前提としてペットボトルつまりPET(polyethylene terephthalateポリエチレンテレフタレート)が必要となる。PETが文明の産物であることは言うまでもあるまい。
確かに世紀末ものなどのフィクションにおいて、生存をするということは困難はあれど不可能ではないように描写される。恐らく実際そうなのであろうが、文明崩壊後でさえ人間の生活を支えているのは文明の遺物である

次に食糧だが、我々が食糧品を金銭によって購入することができるのは、まず、販売する設備を整えた施設があること、食糧の移送手段や保存手段があること、そして生産、調達の手段があるからだ。
野菜でも肉でも魚でも構わないが、これらを生産、調達することにも多くの技術や人間が関わっている。
「水稲農林1号」という名称に聞き覚えはあるだろうか?
コシヒカリの交配親として有名なので、ご存知の方も多いと思うが、これは寒冷地用の水稲すいとう、つまり稲である。あくまで一例だが、我々が当然のように米を食することができるのは生産者が存在するというだけではなく、品種改良や農法の研究などによる部分も大きい。
そもそも稲を栽培するための水田ですら整備に必要な労力は大きい。灌漑かんがいするにも治水工事が必要であり、機械を使用しない農業だろうと農機具は必要となる。農機具の生産にも冶金やきん技術が必要だ。鉄製のくわと木製の鍬では性能が段違いである。そもそも木製の鍬だろうと作成には技術が必要なのだ。まあ、そこら辺に落ちている木の棒で田起こしをするのなら話は別だが。

さて、もし文明が崩壊したのなら食糧はどう調達すれば良いのか?
多くの人間が考えるのはまず、スーパーの食料品売り場であろう。だがしかし、文明が崩壊すれば多くの場合は電気も止まっている。仮に予備電源があったとしても、それは電気復旧までを保たせるのが目的であって、それのみでまかなえるのなら最初からそうしているだろう。つまり当然のことだが、冷蔵庫、冷凍庫も機能を停止する。そんな中、期待できる食糧はと言えば、保存食品だ。

(前略)
完全防備の包装は大破局後の害獣や虫による災害に耐えうるだけでなく、缶詰加工における熱処理は内部での微生物による損害から中身を守るうえで、格別に効果を発揮する。印字された「賞味期限」はわずか二年後であることが多いが、缶詰製品の多くはそれを製造した文明が滅びたあと、一世紀以上とは言わずも、数十年はもつだろう。
(中略)
となると、スーパーマーケットを丸ごと独り占めにできるような生存者であれば、どのくらい店内にあるもので生き延びられるだろうか?最善策としては、最初の数週間は生鮮食品を食べて、その後、乾麺や米、およびいちばん日もちのする塊茎作物に切り替え、最後に最も頼りになる缶詰の保存食品を利用することだろう。バランスのよい食事をとるように注意して、ビタミンや植物繊維を必要なだけとるとすると(この場合は健康サプリメントの売り場が役立つ)、体格や性差、およびどれだけ活動的かにもよるが、一日当たり二〇〇〇から三〇〇〇キロカロリーを必要とする。平均的な大きさのスーパー一店舗があれば、およそ五五年間は生きられることになる。犬や猫の缶詰のペットフードも食べれば、六三年間は大丈夫だ。

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたpp60-61
ルイス・ダートネル 東郷えりか 訳
株式会社河出書房新社
2018年9月20日初版発行

精神的にはとても大丈夫な生活に思えないが、これだけの好条件であれば、特に何もせずとも生存は可能らしい。終末世界系の映画やゲームなどでもショッピングモールは宝の山であることが多いので感覚的にも理解しやすい。
とは言え、これも文明の遺産を食い潰しているだけであるので、人類として見れば未来がない。

さて、ここまでではひとまず文明崩壊後に生き残るための知識を断片的に紹介した。先程も書いた通り、サバイバルガイドのつもりではないので、科学文明の再生の方法を今後は紹介しつつ、

「誰もひとりでは生きられない」

という本noteのタイトルに沿ったマガジン?に整えていきたい。察しの良い方はもう既に私の言いたいことが理解できているかもしれない。

本noteは半ば啓蒙のつもりで書き始めたが、正直なところ無駄に終わるとしか思えない。なのでエンタメとして衒学的(笑)に雑談を交えながら続けていこうと思う。

先進国の文明社会は現在進行形で、その維持や発展に寄与しない方々によって崩壊の危機を迎えている。
先に言っておくが、公益性のある職業に貴賎はない。これまで先人達が築いてきた文明社会をhackしてfuckしてcrushさせようとしている方々の目が覚めることを祈る。

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