見出し画像

#1 初投稿(テスト)

    「祝」です。ご覧いただきありがとうございます。noteを始めるにあたって、試験的に投稿します。
    noteでは段落を作って最初を1マス空ける文化があるのか分かりませんが、ないと気持ちが悪いので作ります。最近のネット記事では段落を作らないものもあるので時代錯誤でしたら辞めようと思います。
    ところで、英語ではこの空けた1マスを“indent”と言います。“intend”というtとdが入れ替わっただけの非常に紛らわしい英単語がありますがこれは「〜するつもりである,意図する」ですね。全く違います。
   私はいったい何の話をしているのでしょうか。ADHDやアスペルガーの特徴のひとつに、話題の転換が唐突,気まぐれでコミュニケーションが円滑に進まないといったことがあります。おそらくその類だと思います。
    頭で閃いたことをどんどん書いていくのですが、閃きの速度がスマホで入力する速度や喋る速度をはるかに上回るので、説明が不十分のまま次の話題に移行しやすいのだと思います。閃きは多く産まれているにも関わらずそのほとんどは言語化する前に忘れてしまいます。    
    一方、Twitterでは文字数制限があり短文しか書くことがないので、短文に特化した思考回路になります。長文では、閃いたことを言語化し体系化し文章化することでようやく完成ですが、TwitterなどのSNSはこの体系化し文章化するプロット的な要素は一切ないと言えます。というか、SNSの投稿はあまりに短文なため文章と言って良いのか分かりません。もちろん短すぎて入力が一瞬で終わるため、より多くの投稿で価値観を発信できるからこそ普及したのでしょう。
    “読む側”のアプローチも長い文章とSNSで大きく変わります。SNSなど短文では文章を「読む」のではなく、我々が海外映画を字幕付きで観る時のように単語の羅列を「見る」のです。ユーザーは視覚的に投稿を「見る」ので、一言や写真,動画などがより好まれます。したがって、文字数制限ギリギリの長文()で投稿されたツイートがバズってる所を見ることはほとんどありません(政治の投稿は確証バイアスを利用したアルゴリズム上、共感を多く得やすく偏った思想同士で拡散し合うため例外)。話の収拾がつかない(ガチ)のでここまでにします。オチなしです。
    noteではTwitterのような文字数制限のあるプラットフォームでは書くことの出来ない価値観を書いていこうと思います。用途としては今までのTwitterと同様に日記としてやっていく予定です。投稿頻度は気まぐれですし、この投稿が最後かもしれません。←メンヘラみたいなのキモイ。あと、閲覧用でもあります。なにぶんnoteというものを読んだ経験もないので、文章力やnoteの書き方など全くの素人ですがよろしくお願いします。以上で初投稿(テスト)を終えたいと思います。ここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます!んなやついねえようんこうんこ💩
※誤字脱字お気づきでしたらご意見して頂いて結構です。誤字1文字につき0.1ペリカの報酬で校正係雇います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?