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スポンジの厚みは罪悪感と比例する【日常のエッセイ】

どこのご家庭にも、食器を洗うスポンジがあると思います。
※食洗機利用者はYoutubeなど見ながら読んで頂けると助かります。

食器用スポンジ、昨今では画期的なものが販売されております。
その名も「使い捨てスポンジ」
30個単位で売っており、その名の通り使ったら捨てる想定のスポンジです。
私が使っているのを見て頂けるとわかると思いますが、結構薄いです。

リップクリームの1/3くらいの厚み

今はこちらを愛用しています。食器を洗った後にシンクを磨いたり、ガスコンロ付近を掃除したりとなにかと便利です。
なんだったら食器以外を洗っている方が多いかもしれません。
ただこれオンリーだと少し心もとないので、いつものスポンジは常用してなにか他に掃除するべき所がある時にこの使い捨てスポンジを使うのが一番ですね。
食器を洗い、シンクを洗い、最後にコンロを洗うとへろへろになります。
へろへろくんです。
なんなら最後の方はほぼスポンジを貫通して手で洗っています。手がべとべとになります。
べとべとくんです。
一見役に立たない感じで話していますが、
実はこの厚さがちょうどよいということに最近気づきました。

この使い捨てスポンジ、実は二代目でして昔はもう少し厚いのを使っていました。
そっちは少しだけですが、値段がお高いです。
代わりにへろへろくんにもべとべとくんにもなりません。
しかしながら、へろへろにもべとべとにもならないことが、困りものなのです。

なぜなら捨てづらくなる。
「あれ? これまだ使えそうだから別に捨てなくても良いかな」と思ってしまいます。
でもそれはコンロもシンクも洗っています。普通に汚いです。
これで食器は洗えないですし、次の日、汚れや菌が増殖した状態でまたシンクを洗うのも違います。
だからだめなんです。
使い捨てスポンジが捨てづらくなる。
それがだめ、使い捨ては使い捨てないと。
結局、この一日寝かした使い捨てスポンジはそのままゴミ箱に行くことになります。
主人の私に罪悪感を残して。
これはいけない、使い捨てスポンジを使っているのではなく、使い捨てスポンジに使われています。
使い捨てスポンジは使ってなんぼです。
使い捨てスポンジは使ったら捨てる、これが一番。当たり前のことを言っていますね?
でもそれが使い捨てスポンジの人生なのです。美徳なのです。
使い捨てスポンジは、捨てられてスポンジ生(人生的なやつ)を全うしたと言えるのです。

だから、使い捨てスポンジはこの厚さが良い。
使い捨てスポンジは薄ければ薄いほど罪悪感がなくなり捨てやすい。
手がべとべとになればなるほど捨てやすいということになります。

使い捨てスポンジは、厚けりゃいいってものじゃない。
ちょうどよいのが、ちょうどよいのです。

人生と同じですね(唐突)
背伸びをしたからって、良い人生が送れるというわけではありません。
自分の身の丈にあった、自分にちょうどよい人生を送り、潔く散る。
それが格好いいというものです。
私は、このちょうどよい厚さの使い捨てスポンジのような人生を送りたい。
毎日ありがとうと言われる存在になりたい。
だから食器を洗うのです。手で、毎回、使い捨てスポンジに感謝を込めて。
それが毎日散っていく、使い捨てスポンジのためというわけなのです。
心にそんな思いを込めて、私は毎日食器を洗うのです。



……食洗機ほしいな、と思いながら。


サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。