見出し画像

「課税は供給曲線をシフトさせる」が招く誤解

 「課税により供給曲線は上方へシフトする」という文言は、特に資格試験対策用のミクロ経済学のテキストで散見されます。この説明に警鐘を鳴らすのが、次の論文です。
林正義著『物品税は「供給曲線」を「シフト」させるのか』財政研究15, 2019年10月

 まず、テキストの読者が試験の合格のみを目的としているならば、この説明で十分でしょう。ただし、読者がレポートの執筆やより発展的な内容の学習を念頭に置いている場合、この説明はよろしくない。ここでは林先生の論文での指摘を踏まえて、物品税の経済効果を記述したいと思います。

供給曲線と需要曲線の作図

 準備として、二つの言葉を定義します。一つ目は1個の商品の生産・販売によって売り手の懐に入る金額である「生産者価格」、二つ目は1個の商品を購入時に買い手が支払う金額である「消費者価格」です。

 生産者価格の上昇は、売り手たちにとってはより多くの生産・販売を行う動機となります。その数量を供給量と呼びます。対して、消費者価格が上昇すると、買い手たちは商品の購入を控えます。その数量を需要量と呼ぶことにします。

 生産者価格と供給量の関係を表す曲線を供給曲線と呼び、ここでは右上がりの曲線として描かれるとします。他方、消費者価格と需要量の関係を表す曲線を需要曲線とし、右下がりの曲線として描きます。それらの曲線を同一の平面上に図示したものが下の図です。

図1

租税がない場合 

 まず、租税がない状況を考えます。これは後述の租税がある場合との比較対象となります。商品の価格と取引数量は次の二つの条件を満たすように決定されます。

生産者価格=消費者価格
供給量=需要量

 この条件を満たしている状態を市場均衡と呼びます。図中の点Aで表される価格(横軸の値)と数量(縦軸の値)の組み合わせのみが、この二つの条件を同時に満たしています。よって、点Aが市場均衡です。

 均衡とは事物のつり合いです。仮に、

供給量>需要量

ならば、売り手は商品を売り捌くことができません。また、

供給量<需要量

ならば商品を購入できずにいる買い手がいます。以上より、供給量と需要量が等しいならば、売り手と買い手の希望がつり合っているわけです。

租税がある場合

 次に、租税がある状況を考えます。ここでの租税は従量税のタイプの物品税とします。つまり、課税対象の商品1個あたり一定額の税支払いが発生します。以下、一定額の税支払額を物品税率と呼びます。

 物品税を伴う市場均衡は次の二つの条件を満たしている状態です。

消費者価格―生産者価格=物品税率
供給量=需要量

特に1つ目の条件は「税の楔」と呼ばれ、消費者価格と生産者価格は一致しないことを意味します。

 この「税の楔」がとても重要です。一般的な物品税では納税の義務を負うのは売り手です。つまり、店頭で売り手は買い手から支払いを受け、そのうち物品税率に対応する額を納税します。そして納税後に残った金額が生産者価格となるわけです。このとき、生産者価格は次のように表されます。

生産者価格=消費者価格―物品税率

これは先ほどの「税の楔」を書き直したものです。先ほどの図中の線分BCの大きさが物品税率に等しい場合、物品税を伴う市場均衡は図中の点Bです。

 確かめてみましょう。実際、点Bの横軸座標にて需要量と供給量は一致しています。また、需要曲線は点Bを通ることから、点Bの縦軸座標は消費者価格を示しており、そこから物品税率を引くと生産者価格と一致します。

結論

 以上の説明では、供給曲線は一切「シフト」していないことは注目に値します。

 ここで「物品税なしの市場均衡は点Aだが、物品税を伴う市場均衡は点Bである」ことのみに注目すると、「物品税が課されることで、供給曲線が上方へシフトして、市場均衡が点Aから点Bに変化した」と言い換えても矛盾しないように思えます。ただし、この説明は「点Bは物品税のない市場均衡である」と読めなくもない。これは物品税を伴う市場均衡では生産者価格と消費者価格は一致する、つまり「税の楔」は存在しないという誤解を招く可能性があります。

 資格試験で「税の楔」について直接問われることはないかもしれません。しかし、経済学における租税の学習・研究を進める過程で「税の楔」の存在は忘れるべきではありません。


参考文献

林正義著『物品税は「供給曲線」を「シフト」させるのか』財政研究15, 2019年10月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?