「岩」と「思ふ」【百人一首・百人秀歌の考察】

過去の記事で見てきたように、百人一首・百人秀歌のセットが中宮定子を重要人物のひとりにしていると思われることを考えると、定子について最も雄弁に語っている書物である『枕草子』との関連についても考えてみたくなる。『枕草子』の内容を仄めかすような歌があるかも。

『枕草子』の「殿などのおはしまさで後」で始まる段に書かれているエピソード。長い間、宮仕えを離れて自宅に引きこもっていた清少納言のもとに宮さま(中宮定子)から奇妙な手紙が来る。封筒の中には文字の書かれた山吹の花びらだけがあり、そこに「いはで思ふぞ」と書かれている。これは当時よく知られた和歌の一部で、このような歌である。

心には 下ゆく水の わきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる

これに心を打たれた清少納言は宮仕えに戻ることになる。
ところで、百人一首(&百人秀歌)には岩を詠み込んだ歌が2首ある。

風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ

ここで注目すべきは、どちらの歌にも「思ふ」という言葉が入っていることである。「岩」は当時の仮名遣いでは「いは」である。「いは」と「思ふ」、「いは」で「思ふ」・・・もしかしてこれは「岩」と「言は」に引っ掛けたダジャレなのでは?もしそうならまだ百人一首(&百人秀歌)の中に『枕草子』ネタが隠されているかも、などと思うのであった。

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