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人生も後半になると「ゼロ活」が必要になる?

いつもはタロットカードや洋画のことを好き勝手に書いているだけなのだけれど、今回は久しぶりに自分の思うことを書く。

私は、量子力学にも詳しくないし、今までゼロポイントフィールドを意識してきたりはしなかったのだけれど、最近頭の中に不要な思考があふれているな・・・と思い、事あるごとに「今、捨てられるものはここにあるだろうか」という視点で自分の周りを眺めたりするようになった。「ゼロ」に近くなるために。

なんたってワタシの今生のテーマは「自由」と「身軽さ」にあると勝手に思っている。それ以外のことは「飾り」だ。(人にはそれぞれ違うテーマがあるだろうから、これはあくまでもワタシ自身についての分析です)

ドイツから日本に来る時に、今までの人生で最大の断捨離をしたのだけれど、その後素晴らしい臨時収入に恵まれた。今では残っていないけど(汗)。

ある程度生きてくると、不要なモノや思考を減らすことは、大いなるチャンスを得たり、新たなスタートになるということを身を持って経験してきた人も多いだろう。普通に生きていれば色々溜まってくるのは当たり前だ。これはエンドレスな作業だ。若いうちは色々習得したり、モノを得ることもどんどんやればいいと思う。そうしているうちに、自分が本当に興味があることや必要なモノが厳選されていく。いくつになっても新しいことを始められるけれど、選び方が分かってくる。

ここで私があえてその効用を言う必要もないかとは思うけれど、持っているモノや自分の意識の向かう先について、日々注意することと、不要ならばそれらを手放すことは、運を切り開くのには欠かせないのだとつくづく感じる。

停滞気味の時に何をしたらいいのか分からない人は、ひたすら掃除やモノを捨てる・片付ける、をすると良い。

先日、もう二度と接点を持つことはないだろうなと思っていた古い友達が9年ぶりに遠い地からメッセージをくれた。なんだかものすごく話がはずんだ。自分の中では「そんなことはあり得ない」率が99%だった案件である。

捨てたり切ったりしても、必要ならば自然と手元に残るのだな、と改めて思う。だから安心してどんどん手放せばいいのだ、と。

かく言う私も、瞑想というものができず、思考を止めることが難しい。なんなら自分から思考のループにハマっていってしまうタイプだ。ひたすら考えていたいのだろうか。気づくと、ぐるぐる回って答えが出るわけでもなく何の得にもならない妄想アワーを過ごしていたりする。楽しい妄想ならどんどんしたらいいけれど。

仕事中はできないけれど、これからも事あるごとに「ゼロ活」を意識したいと思う。まだまだ未消化のモノや思考が残っていることは確かだ。「あぁ〜、軽くなった!」感はやみつきになる。ちなみに私はミニマリストになるつもりは全くなく、持っているとワクワクする物や生活に色どりを与えるだけのものも、絶対にキープしておきたいものに入れる(笑)。






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