チャレンジすることの大切さ7

 これまでチャレンジを題材に色々と書いてきました。腕立て伏せを継続することやお酒が強くないのにバーに一人で飲みにいってみることなど。このnoteを書くこともチャレンジの一つです。チャレンジは多義的なので、色んな意味を含んでいると思います。新しいことに手を出してみることもそのうちの一つだと思っています。

 歳を重ねてくると、新しいことに手を出すことが億劫になってきます。自分の周りでもそういうことを言われる方がたくさんいます。自分はというと、面倒くさがり屋なのでそう言いたくなる気持ちは理解しつつ、一方で色々と試すのが好きなので、新しいことに手を出すのがそこまで嫌でもないかなという感覚です。新しい物好きと億劫との中間くらいの立ち位置といったところでしょうか。いずれが良い悪いというものでもないと思います。ただ、ある時、新しいことに手を出しておくことの方が良いのではないかな!?と思い始めました。

 自分があまり経験したことのないことに手を出すと色々と面倒なことや、手痛い失敗をするので、マイナスな側面が確実にあると思います。ただ、このマイナスの側面にこそ価値があるのではないかと最近思いはじめました。というのも、世の中ではいわゆる振り込め詐欺やオレオレ詐欺といったような被害にあわれる方が本当にたくさんいます。どの方も「自分は大丈夫」と思っていても、いつの間にか被害にあっているのが実態ではないでしょうか。自分も同じように大丈夫と思っていて、でもいつの間にか被害にあいそうな気もします。

 新しいことに手を出しておくことと、詐欺被害となんの関係が?という感じもします。が、新しいことに手を出しておくことで小さな失敗や面倒くささを日々経験することになるので、「次はこうしよう!」とか「なんであの時あんな失敗したのかな!?」という思考が習慣化するような気がします。そのため、ある日突然やってくる詐欺の魔の手に敏感に反応できるのではないかな!?と思うわけです。一方、日々、「面倒だからいいや…」とか「失敗するのは嫌だな…」なんて感覚で、ずっと毎日同じことを繰り返していると、改善の思考が働かず、詐欺被害にあいやすくなるのではないかと思うのです。もちろん、新しいことに手を出しておけば、そのような被害にあわないというわけではありません。リスクが低減されるのではないかな!?という意味です。詐欺というのは必ず「騙される自分から騙す相手へ財産的価値が移動する」という現象が生じます。そんな単純なことなので騙されることはなさそうなのに、でも世の中ではたくさんの事件が生じています。

 このように考えてみると、新しいことに手を出さないことで、思考の借金を貯め込んでいっているのではないかとある時思いました。それ以来、新しいことに手を出すことで生じる小さな失敗や面倒くささは、思考の借金を重ねないための重要な価値があるのではないかと考えたわけです。

 といっても、あくまで感覚的であり、証明も難しいことなので、個人的な意見にとどまるわけですが、ただ日々の失敗や面倒くささに価値があると思うことは決して悪いことではないのかな!?なんて思っております。

 (今日はこの辺で)

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