今問われる「esports」のスポーツマンシップとは ~スポーツ経験皆無の私が本気出して考えてみた~
スポーツマンシップという言葉を昔から良く聞く。
良く聞くけれど意味はぼんやりとしか理解していない。
なぜなら私はスポーツ経験が皆無だからだw
学生時代に部活にいそしんでいた人であれば坊主が説法を唱えるが如くスラスラと語れるのかもしれない。
部活が厳しい学校であれば耳にタコができるくらい聞かされた話かもしれない。
ただこれがesportsとなるとどうだろうか。
esportsだってスポーツなわけで、同様にスポーツマンシップが求められて当然であり、その精神を理解していることが求められるだろう。(特にプロゲーマーとなければこれが命取りになる)
だが多くのゲーマーは学生時代は部活に勤しむ周囲に白い目を向けられながら帰宅部を貫きゲーセンや自宅でゲームに多大な時間を費やしてきたことでしょう。
(筆者の超絶独断と偏見ですがww)
大人と関わることすらほぼなかった彼らにスポーツマンシップを求めるのは難しいと感じてしまう。
そもそもがスポーツマンシップはフィジカルなスポーツにおける精神であり、esportsにも適用できるのか?
という疑問が私の中であったので、自分なりにesports的スポーツマンシップについて考えてみようと思った。
まずはそもそものスポーツマンシップとはなにか
ブリタニカ国際百科事典にはこう書いてあった
スポーツマンが必ず身につけていなければならないとされる競技精神。
フェアプレーの精神と同義で,
「公明正大に,全力を尽くす」ことであり,
結果的に「負け」ても可とされているが,
あくまでも「勝とう」とする努力の精神をさす。
競技する相手,審判,競技規則への敬意と尊敬の念は
スポーツする者にとって最も大切と考える理想主義がこれを支えている。
なんかちょっとモヤっとしていたものが晴れた気がしてきた!
少し具体的になってきたので、じゃあこれをesports的に翻訳してみた、、
ゲーマーが必ず身につけていなければならないとされる競技精神。
フェアプレーの精神と同義で,
反則や汚いプレーをせずに全力を尽くすことであり、
結果的に「負け」ても可とされているが,
あくまでも「勝とう」とする努力の精神をさす。
対戦する相手,審判,マナーへの敬意と尊敬の念は
ゲームする者にとって最も大切と考える理想主義がこれを支えている。
esportsに求められるスポーツマンシップ
上記について大まか言いたいことは主に2つかと思われます。
「汚いことはしないで全力プレーで勝利を目指せ」
「対戦相手と審判とマナーへの敬意と尊敬を大切に」
「汚いことはしないで全力プレーで勝利を目指せ」
もう少し分かりやすくしてみよう
↓
・ルール違反をしない
・ルールブックに載ってないが相手の邪魔(不快)になるようなプレーをしない
・負けが確定しても試合を放棄してはいけない
・勝ちが確定しても最後まで手を抜いてプレーをしてはいけない
・わざと負けてはいけない
「対戦相手と審判とマナーへの敬意と尊敬を大切に」
これももう少し分かりやすくしてみよう
↓
・対戦相手を下に見ないで優れたプレイヤーであることを認める
・審判の下した判断を尊重する
・ゲームにおけるマナーを守る
・礼儀正しく相手(対戦相手、審判、ファンなどゲームに関わる人)に接する
(ちなみに似た言葉が並んでいるが、「敬意」は相手が優れていることを認めること。「尊敬」は相手を尊んで礼をつくす。の意味である)
じゃあスポーツマンシップに反する行為ってなによ、というと。
例)
・対戦チーム、関係者に挨拶しない
・審判にタメ口をきく
・審判のジャッジに対して不平不満を言う、または度が過ぎる抗議
・試合中に騒いで相手の集中を乱す
・野次を飛ばして相手を不快にさせる
・対戦相手を下に見る発言をする
・舐めプする、エモーションスタンプを過度に使う
・試合の進行を妨げる行為(試合中のトイレとか)
・外国人なのをいいことに汚い言葉を使う
ただし上記についてすべてをNGとしてしまうといささかゲームを楽しむという根本の部分が損なわれてしまうような気もする。
なぜならばゲームとは根っこの部分は人と人との機械を通じたコミュニケーションだからだろう。
スポーツマンシップとゲーム文化の間
そのゲームにおける文化とスポーツマンシップが微妙に食い合わない難しいと思われるポイントとなるのは以下の3点だと思う。
・判断基準は人それぞれ(いいか悪いか判断をするのは自分ではなく相手)
⇒プレイヤーの人依存
・一般的にダメだけどゲームによってはOKなこともある
⇒そのゲームにおける文化
・ゲームタイトルごとの競技としてのナレッジがなので前例がない
⇒ゲームの歴史の短さ
じゃあどうすればいいのよ?というと結論としては
「ひとり一人が慎重に行動しなければいけない、プレイヤーである自分のやったことが誰にどう影響するのか考えて行動しないといけない」
どこまでがゲームのノリとして許されるのか、相手を不快にしてしまうのか、自分がどうみられたいのか、誤解を与えたりしていないか。
超絶当たり前のことですが、ほとんどの人ができていないのではないでしょうか?
逆にここを極めている人ことがプロと呼べるのではないかと筆者は思います。
(競技者としてのプロゲーマーということではなく、プレイヤーとしてのスポーツマンシップがあり、プレイング以外でも優れたプレイヤーという意味)
たかがゲームといえどその根底にあるのは他人とのコミュニケーションだと思います。
年齢も性別も人種も越えて楽しめるからこそ、人として根底にあるモラルが強く求められるのがゲームであると私は思います。
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