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インタビュー企画#1 柴田功校長先生 後編 ~PC教室・学校に行く価値~

皆さん こんにちは! EISです
この記事は後編になります。前編を読んでいない方は是非前編からお読みください。

後編では
 情報教員でもあり、オンライン授業を推進してきた柴田校長先生に

  • これからのPC教室の在り方

  • コロナ禍が終わってからのオンライン授業

  • 学校に直接行かなくても、オンラインで授業を受けられるようになった今改めて考える学校に行く価値

について聞いてきました。

後編

▶なくしちゃだめだろ!PC教室!―ミライのPC教室

ZOOM○○会のテーマに「PC教室」を取り上げたことがあって、やっぱりいろいろな意見がありましたね。この回では安易になくしちゃいけないという結論になったんですけどね。
まず、PC教室のこれからは「一つは役割が変わる」例えば、ロボット、3Dプリンター、大型モニターみたいな周辺機器が揃うだとか。パソコンは自分の端末を持って行くようになって、スマホとパソコンは併用になると思います。あとは、スタジオとして使ったりだとか。
PC教室をなくすとしても、ちゃんと役割や機能を持たせた上でなくすと。将来はARやVRが体験できる部屋になるかもしれませんね。
役割が変わってパソコンがあるからPC教室だったのがパソコンと言うよりもどっちかというと周辺機器が充実した部屋になると思いますよ。だから、名前が変わるかもしれませんね。(柴田校長先生)

「なくしちゃだめだろ!PC教室!」は実際のZOOM○○会のテーマで
これからのPC教室に関しても意見交流をされたそうです。
現在のPC教室は、一人一台端末が揃えば、一見必要ないと感じられます。
確かに今までの役割は「パソコンがある」からPC教室と呼ばれていたのでしょう。しかし、GIGAスクール構想により、その必要性は低くなります。
では、現在のPC教室はもう必要ないのでしょうか。
その答えは「今の役割」は必要ないということです。
それは、どういうことかというと、
PC教室はこれまで担ってきた役割から新たな役割にシフトするということ。
柴田校長先生が考えるその新たな役割が周辺機器の充実です。
周辺機器の例として、3Dプリンター・ロボットなどが揃い、これまでとは違う教室の使われ方になるでしょう。
その役割が変化することによって、PC教室という名称も変更されるかもしれないと言っていました。メディアルームみたいな名前に変わるのでしょうか?




▶これからのオンライン授業

間違いなく選択肢の一つにはなりましたね。やっぱり併用になるかな。家でも学ぶ時があるし、学校でも学ぶ時がある。海外の人やいろんな学校の人と繋がった授業だったりとか、授業の学び方の形態が多様化する。選べることがいいのかなと思います。今までは、わざわざ学校に登校し、先生の授業を受けるという手段しかなかった。でも、選択肢が増えてオンライン授業も学校でできるようになった。もう一息で、一人一台端末が入り、反転授業。
一人でやるのではなく、ましてや、学校の中だけでやるのではなく、外に発信していくと。せっかく生徒が集まってるのにドリル(一人でもできること)をやってたら意味がない。そこは話し合いや発表を行って、それ以外はオンラインに置き換えられる。学校では、話し合って、発表するところから始まる。こんな風にオンラインは学習方法の選択肢の一つには少しずつになっていくと思います。(柴田校長先生)

授業の学びのカタチが多様化する今 
その選択肢の一つにオンラインという手段が出てきました。
オンラインの強みは時間や場所に関係なく、人と関われることです。
その特性を生かせば、オンラインは強力なツールになっていき、多様性が重視される今 海外の人や遠くの人と関わることができるオンラインは時代にあった最適な手段とも言えるでしょう。オンラインは外から情報を取り入れるだけでなく、発信できることも魅力的な点です。
コロナ禍での多くのオンライン授業は対面授業の代わりとして、実施されてきましたが、オンラインの可能性はまだまだはかり知れません。今後、試行錯誤が繰り返され、使い方によっては、従来の授業より効率的に学べる日が来るかもしれません。
対面授業とオンライン授業は両極端に思われますが、どちらかに完全に振り切るにはもったいない程、どちらにも良い部分があります。
どちらの良い部分も取り入れたハイブリッド型の授業がオンラインというツールを使う上でポイントになりそうです。



▶変わりゆく時代―改めて考える学校に行く価値とは

オンラインだけだといろんな考えを持った人と出会わないまま大人になっていくのではないか。学校の良さは多様性を知る場だと思います。それはやっぱり通信制でもスクーリングがあるというのはそういう意味で。いろんな人と一緒に学んで、いろんな考えの人、いろんな価値観の人と一緒に過ごす。あるときは意見が合わなかったり、対立したりして。でも、合意形成したり、そういう経験ってものすごく価値があるんです。そういうのは一人のオンライン授業では得られない。
かといって、学校の授業がそういうことをやっているかと言うと、一方的な授業をやっているので、学校行事がそれを担っているケースが多い。でも、本来は授業もそうなってないといけないんです。だから、希望ケ丘高校の授業改善はそこで課題として、出している。先生だけが喋るのではなく、生徒同士が対話して、いろんな考えを持っている生徒がいるんだということを知り、それでもなにか一つの答えを出し、提案したりする。そういうことが、今、求められているんですね。対話的な学びで、他人の意見で気付くことはたくさんあります。オンラインや対面の一対一で受けたり、一方的な授業を受けているだけでは学校の代わりにはならない。かといって、グループワークをZOOMでやればいいかと言われれば、それでもやっぱり十分とは言えない。無いよりはマシなんですけどね。(柴田校長先生)

「情報」を学ぶ必要性

今は、一人で問題を解決することがほとんど難しい時代になっている。まず誰かと協力すると。それが時には日本人じゃないかもしれない。だから英語を学ぶ必要があるんです。それを世界へと繋ぐための情報活用能力が必要である。それが情報や英語を学ぶ理由ですね。(柴田校長先生)

もし全てオンラインで済むのなら、直接学校に行かなくていいのか
数年前には考えられなかったことが、オンラインの登場によって可能となり、新たな疑問が生まれました。

そもそも学校に行く価値とは何か
皆さんは何故、学校に行っていますか。
あまり深く考えたことがある人は少ないでしょう。
オンラインにはない、学校に行くことで得られる価値とは
それは、物理的に空間を共有することによって、生まれる偶然性です。
(ここでの偶然性を出会いと置き換えてもいいでしょう。)
分かりやすく説明すること、
家からオンライン授業を受ける場合は、そのクラスの範囲でだけ、交流をすることができます。
しかし、学校に行くと、休み時間や放課後に「違うクラス」「違う学年」とも関われる。つまり、新しく出会えるという偶然性が多く生まれるのです。
また、オンラインは対面と比べて積極的にならないといけませんが、
同じ場所にいることで、少し受動的であっても、
いつの間にか自分がのめりこんでいる状況を作ることができます。

逆に、オンラインも、学校間や遠くにいる人との交流のように、学校生活だけでは、絶対に考えられないような出会いを得ることができます。
そう考えると、相補的な関係にも捉えることが出来ます。

ここまで当たり前なことを話してきましたが、
この学校という環境の偶然性によって、様々な価値観の人と出会い
新たな視点を知り、考えが違う人と協働する

経験は誰にも奪われない財産とも言えます。
そんな経験を得ることができる。
それが一つの大きな学校に行く価値なのでしょう。


 



後編 まとめ

 数年後のPC教室は、役割が変わるとのことでしたが、ロボットや3Dプリンターが学校にあればできる事が一気に広がりそうですね。映画のようなVR・ARが学校で使われる日も近いのかもしれません。そうすれば、科目に関係なく使われていくかもしれません。
 
ネット環境が整うことで、普段は会えない遠くにいる人と交流出来るようになって、海外の学校の人と交流したりする学校が最近は増えてきました。将来的に、これは普通のことになっていくのでしょう。ワクワクしますね。
 
オンラインで学校に直接登校しなくても、勉強はできるようになり、学校に行く価値なんてなくなってしまったのではないか。勉強に限って言えば、確かにそれは間違いありません。塾に通ったほうが、大学入試に向けては、効率的です。ただ「学校に行く価値」というのは、
多様性を学ぶ場―「これからの時代は他人の協力なくしては問題を乗り越えることは難しい。学校での協同の経験はとても価値がある。」ということなので、確かに学校は、その学び・経験の機会を生徒に提供する場でもあるんでしょうね。


最後に

皆さん ここまで読んでくれてありがとうございました!
今回は、前編・後編に分けて
コロナ禍以前の情報科の動き」と
これからのオンライン授業・PC教室・学校に行く価値
について、触れてみました。
新たな発見や気付きはあったでしょうか?
特に「学校に行く価値」は学校という場の役割を改めて考える良いきっかけになったと思います。
 
自分の考えや読んだ感想を書いてくださると、とても参考になります!


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