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ヴェルスパ大分 ~その②~

前回に引き続き、ヴェルスパ大分での4年間について書いていきます。

今回は2年目の続き・・・

【2年目】

前回の投稿でも書いたように、開幕戦で骨折をしてしまい、手術をしなければいけなくなった。私は手術が嫌だった。もとから血を見ると気持ち悪くなる体質だった。保健の授業でからだのことについて学ぶことも苦手、医療系のドラマも苦手なので一度も見たことがない。他には、採血も嫌い。テーピングも圧迫されて血管がどくどく感じることが苦手なので、よっぽどのことがない限りはテーピングはしたことがない。あとは、マッサージも苦手なのでトリニータのときからマッサージを受けることはほとんどなかった。

このように、いろいろと苦手なことがあったので、手術は本当に嫌だった。でも他に選択肢はなかった。

手術当日、時間がきて、移動式ベッドに寝かされて、手術室まで移動。麻酔は全身麻酔。「すぐ眠るから心配いらないよ」と言われた。まさかこんな点滴だけ眠るはずがないと思った・・・・が、そう強気に思っていた数秒後に意識がなくなり、夢を見ていた。そして夢の途中で起こされて、「終わったよ」と言われたときは、何が起こったのかよく分からなかった。手術時間にして30分弱だったけれど、あっという間だった。麻酔がまだ切れていないので、意識が朦朧としながら病室に運ばれた。
そこから少し時間が経ち、麻酔が切れてきたら、手術した箇所に激痛が。。。耐えれない痛みと麻酔の気持ち悪さが重なり、最悪だった。
ちょうどその時に、バサジィ大分の仁部屋がお見舞いに。来てくれたのは嬉しかったが、気持ち悪さと痛みですぐに帰ってもらった。普段から何でも言い合える

仲の良い仁部屋だからはっきり言えたので良かった。

そこから2週間弱の入院生活。午前と午後に少しリハビリがあったが、それ以外はベッドの上での生活。正直、凄く退屈だった。その時間を使い、いろんな本を読んだ。
そして、退院することができたが、2か月は松葉杖の生活。仕事は立ち仕事だったので、休ませていただいた。運転はできたので、午前と午後に病院にリハビリに行き、あとはずっと家での生活。こんな生活が2ヶ月続いた。

2か月の松葉杖生活が終わり、復帰に向けリハビリの内容も徐々に増えていった。体力はかなり落ち、ジョギングしてもすぐに息があがった。しかし、骨折したところも順調に回復し、3月6日に骨折をしてから約3か月、6月26日のアスルクラロ沼津戦で復帰することができた。長かったけど、そこで私は、サッカーが好きなんだなと改めて実感することができた。

しかし、3か月のブランクは自分自身にとって凄く大きかった。プレーでもなかなか本調子に戻ることができず、不完全燃焼で2016年シーズンは終了した。

次回は、3年目と4年目について書いていきます。

※写真は、松葉杖がとれて復帰間近のときに日田のお祭りに参加した時

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