幸運は用意された心にのみ宿る

皆さんこんにちは、ファレンです。思いつきでnote始めました。
今回は創作の基本方針について語ろうかと思います。
140文字憎悪だと文字数が足りないのでねぇ。
とりあえず自分語り、させてもらいます。

人生論

幼少期

私はニーチェが好きで、ニーチェに影響されています。
いえこの表現は正しくないですね。厳密には私が完成させた「ゼスト世界仮説」を元に生きていたところニーチェに出会い、援用しているという形になります。
私が幼少期好きだった番組はコズミックフロントとサイエンスZERO。典型的な理科大好き小学生で、結果雑魚の湯川学みたいなのが完成しました。
そんな私の興味の対象は、宇宙の外側です。
近所の科学館でお姉さんに
「宇宙はどこにあるんですか?」
と問いていこう、どうやら回答はないらしいということでいつ相転移するかわからない空感で生きることへの恐怖が根底にあるわけです。
これは文化的に私が死を恐れていたということであり、所詮ガキの頭であるため理解も足りておらず不要に恐れていたというのもあります。
さて、この問題に私はどのような回答をだしたのか。
答えは「宇宙消えるときは俺も消えるから気にしている場合ではない。これはどうしようもない」
この小学生、早くも諦観を覚えました。
この結果生まれたクソニヒリストへの憂いはともかくとして、この回答は当時読んだ書籍の影響があります。
Q「世界の終わりはいつ」
A「お前が死んだら終わったようなもんだよ」
という問答がその本にありまして。
この考えが発展して上記の答えとなったわけです。
さて宇宙の崩壊への恐怖が解決されるともう中学生
クソコミュ障ニヒリストオタクは次の問題に直面しました。
「他人の気持ち、分からなすぎる」

学生時代

さて困ったことになりました。なにせかの米津玄師もおっしゃっている通り、人間は社会生物。このままでは私は一人だけの群生相になってしまいます。
ここで出会ってしまったのが一つの仮説と、一つの言葉と、一つの書籍です。
まず(始めに、と付けるのはどうかと思います)
仮説「哲学的ゾンビ」
言葉「コギト・エルゴ・スム」
書籍「武器になる哲学」
……将来が心配ですね。
そんな心配はどこ吹く風、私は「我思う、ゆえに我あり」を「よって私が思わない以上お前らに心は存在しない、phenomenonでしかない」
と曲解しました。意図的に。
そして武器になる哲学をニーチェへの足がかりとして、自分なりの哲学の構想に挑みました。
そして完成したのが「与線導者」説という中二病全開の哲学です。
これは世界とは運命が目的へ向けて伸びていて、それが干渉し合うことによって問題が発生し、与線導者のみが正しい動線を「編む」事によって目的を達成できるというものです。
ややこしいですが要はジョジョですね。ちなみにジョジョに触れたのはもっと後です。
感がいい人は私がニーチェに惹かれた理由、よく分かると思います。
その出会いはまだ先ですが、ともかくこの理論を振りかざし、まあ学生時代はやんちゃしました……
実は悪いと思っています。
そしてハザードビルド/犬飼貴丈さんという存在も大きな影響を残していくわけです……年齢バレますね。もう六年前か。

そして、きららオタクへ

ところで私の人生は百合、きららでしょう。
こんなブログ書いてないで(というかこれブログとして成立するのか?)百合小説を書けとなる人のほうが多いと思いますが、5人いる私のフォロワーにはこれは必要な工程であるという説明をするべきです。
自分のルーツを整理しないとね、死ぬ。
百合にハマったきっかけはまず「ヒロインは絶望しました」そして「桜Trick」「まちカドまぞく」と続きます。
そう、百合に浸かったのは結構最近で、もともとは東方にいましたしいまも好きです。地霊殿以降は詳しくない。
またジョジョの奇妙な冒険もとんでもない傷を残していきました。人間讃歌というテーマ、これが本当にいいんですわ。
このあたりで私に生まれたのが「ゼスト」という概念です。
これは柑橘系香辛料の名前であり、また「熱意」を意味します。
人間讃歌と「ゼスト」が共鳴して、あとガンダムも好きなのでそういう方向で私の性癖は固まっていきます。
しかしここで疑問が生じます。
「現実の人間、クソすぎる」
なんかこう、面白くないんですよね。
例えば学校行事です。私はああいうの大嫌い(明文化されたルールが打ち負けるため)なんですが、きららではとっても楽しそう。
この違いは恐らくゼストの違いで、そしてきらら始めとした二次元の神々は、死を恐れず全力で人生を生きています。
重要なのは精神であり、肉体ではないのです。
人間は超越されるべき存在であり、そしてその先にあるのが魔法だと考えていました。
ここで見たのが「ステラのまほう」です。
ステラのまほう、簡単に言えば本物の魔法使いに当てられて、人間が呪い呪って明日を生きようとする話です。
この、「完璧じゃなくたって完璧になろうとする」という思考。
偽物語とかラビットラビットとか、そもそもモビルスーツとか。
こういうのが人間の気高さなんだなと、そう思ったんですね。
そして二次元の神々の素晴らしさは
「ゼスト」があり「本懐」を目指し、その過程が「気高い」
こう結論付けたのです。
ようは一生懸命に生きるということです。自分の人生を。
アンガージュマンですね。

ニーチェはかく語り

そしてこれらを兼ね備えた、いわば最強の人間についてというのが私のテーマとなります。
ニーチェはこの存在を「超人」と読んでいました。
解説書を何冊かと、ツァラトゥストラを読んだ程度ですが、ニーチェの思想はその発生過程を含めて「私は近しいかも知れない」と思いまして。
勿論、共感するだけの愚民にはなりたくなかったのでファレン、動きます。
ニーチェの言葉というのはどこまでも真実で、そして嘘まみれでメゾット的です。
ここで抽出したのが「永遠回帰」です。
この時期の私は、未だ宇宙崩壊の恐怖を解消するためのニヒリズムから脱却できていませんでした。
そこに投げつけられたのが永遠回帰。
「これが生きるってことか。じゃ、もう一度!」
と奮起します。
とりあえず私という存在は恐らく今偶然人間やってるだけで、本懐は「創作」です。「ゼスト」人生賭けれます。
そして「気高さ」
このワードはまあ「諦めないこと」「手段を選ぶこと」ですね。
気高さ<熱意なら千早愛音、逆なら雷門瞬について語りたいですが
私の場合は「プリミティブなかわいさ」がそれに当たります。
こうして、創作者ファレンが産声を上げました。

創作論

世界について

実は私の作品は百合ではありません。BLもあるけどBLじゃないです。
とりあえず私は設定厨なので、最強の世界設定を考えました。
これが後に「エスペラント・シティ」となるわけです。
やりたいことは私なりの「まちカドまぞく」
メインテーマは「『超人』の美しさ」
そして舞台は最初現代日本を想定していたんです。
しかし現代日本を舞台にすると、邪魔な物が多いですね。
具体的には死、時間、空間といった諸概念です。
これは作品においては邪魔なもので、その形は様々な創作において変形して現れています。具体例を上げましょう。
・ラブコメは親不在
・学校の屋上は開いている
・人型ロボットはつよい
・突然の交通事故はない
などです。
これらの問題はある種のお約束として処理されますが、現実がモチーフならあってもいいはずです。それが同人誌ですし普通はそれでいいのですが、私は理由付けが欲しくなりました。
そこで考案したのが「リバイアサンの殺害」というエピソードです。
これによって
「無限大の資源と、それを統御する王様」
という世界設定が完成したのです。
そして私の創作の方針を五月雨ます。

・セックスは「人間の」本懐ではない。よって子作りという概念はない。手段の一つとしての性行為は存在するが子供は魂が顕現し収穫される
・人間の最終目的は「自分にとって理想の不確実性」たるパートナーを探すこと
・神が存在し、いい感じに辻褄を合わせる
・悪者を作らない。こう、いじめっ子とかで話を作るとそいつへの憎悪が邪魔。みんな気高い存在だし資源も無限なのでそういうのはない。

百合やBLじゃないと言った理由、おわかりでしょうか。

愛について


少し込み入ってしまいますが、私の見解を述べさせてください。
まず、性同一性障害なんかとは別として扱います。
それで例えば「女性とは何か?」と聞かれれば「女性の生殖器を持つ」と「人による」が出てくる世の中ですが、そもそも性別とはなんでしょうか。
なんで、生殖機能のオス側メス側以外の意味が必要だったのか?
それは、性別によってある程度身体的、精神的傾向が似ているため、社会を作りやすいからです。
例えば男女同じ風呂、嫌ですよね?
でもぶっちゃけ同性同士だからって嫌じゃないわけではないです。
つまり人間を分類するのは性別以外にもあるんですが、それをやりだすと公共浴場は、全ての利用者用の浴槽を作らなくてはなりません。
資源は有限なのでそれは出来ないんですね。
だから、だいたい同じ感じだろうって考えて男女で分けたんです。
これが基本です。
勿論世の中には佐伯沙弥香みたいに親友の胸が気になる人もいるでしょう。
しかしそれをいい出したらきりがないのです。
私がパソコンに興奮するからって、パソコンはわいせつ物になりません。
で、基本的に人間の思想は自由です。
つまり私が鳩だと思うことは自由ですが、国は私を日本人男性として処理します。
目的を見失わないでください。そもそも精神が男だとか、女だとかというのは最終的に他人がいないと確定しません。
鏡か他人がいないと自分の姿、わからないですよね?
そういうことです。
人の数だけ存在する人格というものを、単に分類するためだけに分類しているのが気になります。
お前の人生はお前のものだが、世界はお前のものではない。変えられないよ。そうそう。
話を戻しましょう。
故に性別は、傾向として考えるべきなのです。
私は性別が存在する種族の人間として生まれましたし、かわいいとかっこいいは対比される関係にあります。
故に「かっこいい子」「かわいい子」という意味で百合とかBLとかと使用しています。生殖器ないですねぇ……
そもそも世にはびこる、好みの異性を捕まえてずっこんばっこんすることを主眼に置いた恋愛要素が嫌いというのもあります。
単純に作りが雑。
私が到達した「愛」とは「射幸心」です。
エスペラント・シティに人間を配置することを考えます。
この街は無限の資源があるのでまあしばらくは楽しいでしょうが、結局自分の予想を超えることは起こりません。
よってやがて星への熱意は失われ、また雨に消えるでしょう。
二人ならどうでしょうか。お互いがお互いに影響され新しいものが生まれていく。
結局こういうのが一番いいんですよ。
そして恋人と友人の違いも結局、この影響の度合いの違いでしかないのです。

神は蘇る

ご都合主義とは存在するものではなく、存在だけになって始めて問題となります。
空から美少女が降ってきて、天空の城で決戦、このどこがご都合なのでしょうか?
問題はストーリー上の合理性です。偶然とかじゃなくてあくまで努力の結果というか
キャラクターかテーマのいずれかを歪めることによってストーリーを成立させる場合に用いられます。
では私の創作における神とはなんでしょうか?
それは
「街の創作イタリアンの店長の、バリタチ高身長ふわふわお姉さん」
です。
どういうことかというと、例えばAとBのラブコメをやるとします。この二人のファーストインプレッションを描こうとして、
「アニメイベントに参加中、偶然隣の席になって意気投合、そのまま終電が行ってしまい……」

「アニメイベントのあと電車で移動中に駅を乗り過ごしてしまい、途方に暮れていると背後から声をかけられる」
と二種類考えてみました。
でもこれって、過程が違うだけで結果は同じじゃないですか。そういうところを調整するのが神の役割です。
イグナイターですね。
例えば仮面ライダーWのフィリップです。
彼は最終回で復活しますが、物語的に復活に必然性はないですよね?
でも復活するほうが面白いのでそうなりました。
そういうのを神は担当します。

蝗害

私はきらら系などに見られる、不文律的な平和が好きです。
逆にこう、胸糞系で煽ったりとかそういうのはあまり好きではないんですね。
それはキャラクターの意思が介在しない所でストーリーが展開されてしまいます。
敵キャラには敵キャラの、哲学がほしいじゃないですか。
犯罪は犯罪するために起きるのではなく、資源の獲得が、統治に勝るから起こるのです。
悪の本質は弱さであり、それは資源獲得の難しさと同義です。
よって悪はすべて消えました。
蝗害というモチーフは重要であり、いわば限定の象徴です。
肝要なのは、これはいじめっ子や悪意のモチーフではないということです。
そんなものは私の創作に必要ありません。
置き換えて理解することが出来るだけで、そうではないのです。
蝗害は、蝗害です。
同様にして、「本当の自分」というのも正直どうかと思うんです。
やりたいことを見つけた、目指すべき姿という意味で使用することは通ります。
しかしこれを、現状維持を肯定するための儚い錨として用いることは全然気高くありません。
また、「〜のためにやってるの」と言った押し付けがましい論法は出てこれないでしょう……
全部自分のためなんですよ。
容疑者Xの献身好きなんですが(シリーズで一番好きなのは真夏の方程式。あと液体窒素のやつ。ドラマだと超音波加工機の話)、石神の献身は美しかった。
ああいうのが理想です。
えっちしてるときに言葉責めとして使うのはまた違いますが。
とにかく前向きに、自分すら食い破ろうと必死に生きる姿が好きなんです。
なんかこう、定型化された自称曇らせ好きいるじゃないですか。
私は思うんです。
もっと、美しさはプリミティブでいいと。
耽美に行こうと。
また、さらに言えばこういった私の憤りすら創作に持ち込むべきではありません。
優しい世界を作りたいと言うか、多分受信しているだけなので(この辺は東方の影響が強いかな)

いつもどおりの世界で

私はお釈迦さまも好きで、それはこう、人生への向き合い方とかが徹底して「この世」について「今の命」についてだからなんですよね。
ともかく私は、いつか宇宙が消えるまでは筆を取るつもりです。
とりあえず今週中には小説更新しますね
敬具


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