短編小説【「手記」えにし】
その昔別れた彼女がこんな話をしてくれたことがある。
彼女の父親が病気で亡くなり葬式をした。葬式の前日に30代半ばの女性が訪れた。
母親はその女性のことを知っていたようで家に招き入れた。女性が彼女を目にすると、こちらを向いて少し涙ぐんだ目で頭を下げた。
女性は家の中に入り、そのときはじめて彼女も呼ばれて母親から紹介された。
3人の女性を取り囲む場所がリビングなのかダイニングなのか聞いてはいないが、ともあれ女性は一通りのお悔やみを言った後、彼女が初めて聞く話を語り出した。
その話を彼女が僕にしたときは父親目線だったのでそのまま語ろう。
ある日父親が家の近所を歩いていると錯乱した女性が家から飛び出してきた。父親は何があったのかと、女性に声をかけた。どうしました。大丈夫ですか。女性は明らかにパニックになり何も話すことができない状態だった。家の中からは子供2人の声がする。どのような声だったかは聞いていないが、おそらく泣き声か不安な声だったのだろう。
父親は女性の背中を押して家の中に入った。玄関から廊下を歩いてリビングに入ると男性、つまり女性の夫であり子供2人の父親である男性が倒れていた。ただ倒れていたのではない。死んでいた。心筋梗塞か何かだったように記憶しているが、ともあれもう息をしていなかった。急死だった。
父親はパニックになった女性に声をかけつつ、救急と警察に電話をした。
子供たちに声をかけ不安定な時間をなんとか紡ぎ終えた。女性はパニックからは脱していたが頭が真っ白になって何も考えられない様子だった。子供たちはまだご飯を食べていなかった。
父親は3人を自分の家、つまり彼女の実家に連れて帰り、ここで落ち着いてゆっくりしていいからと言った。その後1週間彼女の家族はそこで暮らした。その間父親は葬式の手配や事務的な書類の手続きなどを行った。身内でない自分ができないことは後回しにするか、女性ができる範囲でお願いするか、女性の親戚に伝えてやってもらった。つまり一連の必要なことを全て取り仕切ってなんとかした。
やがていろいろなことが落ち着くと女性はその家を去った。その後女性が父親に会ったことがあるのかどうかは聞いていない。ただ父親が亡くなったと聞いて駆けつけ、その話を彼女にしたのだ。
そんなことがあったと彼女ははじめて聞いた。彼女は素敵な話だと思ったが、素直に喜べたわけではない。一方で父親は躁鬱病であり、家族はそのためにひときわならぬ苦労をした。躁状態の時には家が荒れた。鬱状態の時には見張らなければ自死する可能性があった。家族の誰もが疲弊した。
人が代わり、視点が代われば、感じることや想うことは様々だ。母親と彼女は苦楽ともに思うところがあるだろう。それも感じ方は違う。助けられた女性の父親に対する見方も違う。
ところが意外にもこの話は、ストーリーに登場しない全く別の人物に大きな影響を与えた。私だ。こういうことがひょっとすると縁の力かもしれない。私はうつ病の状態に陥ったことがある。
彼女の父親に会ったことはないのだが、私がうつ病に罹ったことがあると聞いて、父親は自分が鬱状態のときにどうしていたか、当時の記録を探して娘に伝えた。こうしたらいいんじゃないか。こんなことが役立つかもしれない。娘、つまり彼女はそれを私に伝えた。
その頃には私のうつ病の症状は大分マシになっていた。おおかた治っていた。だから伝えられたことを実践はしなかったが、別の感情で上半身がぎゅっと絞られたように感じた。
うつを思い出すのは相当しんどいことなのだ。それを父親は会ったこともない娘の彼氏のために一生懸命やった。押し付けがましくなく、純粋になんとかしたいと思ってやったことは彼女の話から伝わった。
突然死で夫を亡くした女性の時もそうだったのだと思う。
私にとって彼女の父親は心の赴くまま正直に生きている人として記憶に残った。父親に対してこれまで感じたことのない心のつながりというか、どこか他人とは思えないひとかたならぬ何かを感じた。それは彼女に対してよりもはるかに大きく、彼女と別れ亡くなった今も変わらない。
こういう縁があるのはなんという不思議なことだろうと思う。
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