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生活レベルと生活用品をあわせると心が安定した話。

家には(私にとっては)高価なAppleのデスクトップパソコンがある。私は大学支給のノートパソコンがあるので、もちろんこの一年使わなかった。

これがあると、精神が不安定になる。私の心の声はこうだ。

「お金持ってないのに、なんでこんなものあるんだろう。あるのはありがたいけど、使うとなるとデスクトップだから電気代かさむから使いたくないな。今のこの貧乏生活に似合わないよね、、、やっぱりいらないよ、、でも、まあ、ノートパソコン壊れたときに使えるし、置いといていっか。」

去年度までの私はこうだった。しかし、最近家にいる時間が長くなってから、自分の経済状況と向き合うことにもなり、自分のいる空間を居心地よくしたいと考えた。だから、私は実家に持って帰った。これは親のものなので、自分で使ってください。5キロあったけど、送るのにもお金かかるし、背が縮んだのではないかというほどに重かった。パソコンのない部屋は広くなったし、すっきりした。精神的にも安定するし、1Rしかない部屋を広く使えるしで一石二鳥だ。

話は変わるが、私の家は人からもらったものでできている。自分のものといえば、小学校から使っている勉強机のコロコロ椅子だけか。あと、鏡だけは、母の田舎では鏡はその人の魂が入っているから人からもらってはいけない、という迷信があってもらわなかった。

鏡でなくても、人からもらった家具にはたしかに、それぞれのストーリーがある。私は、これを受け取るときに聞くのが好きだ。時々、家具は一部壊れていることもある。でも、その傷や破損部位は持ち主と私しか知らないことなのだ。

それを思い出すたびに、家具をくれた人の顔を思い出して、私と彼らの秘密なのだとにやけながら、元気かなと思って連絡をとったりする。インスタのストーリーに家具が写ってたりすると、彼らの方から連絡をくれたりもする。安く済むし、人との繋がりを感じられるし、一石二鳥だね。

さて、しばらくnoteをおやすみしていたけど、また書くことにした。平日は書こう、と決めていたけど、大学の授業はフルコマかつアルバイト週7の日々にはコンフォータブルではないので、書きたくなったときに書くことにした。

それでは、今日もいい日になりますように。

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