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聖書の創造主は、グローバリストでも民族主義•国家主義者でも無い。

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。
これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
‭‭創世記‬ ‭11‬:‭6‬-‭7‬

世界が一つの民族、一つの言語に統一されていることは、聖書のニムロドの様な、神を称する権力者を生み出す危険が高くなります。


一方で、神は民族主義者でも国家主義者でもありません。初めにユダヤ民族を選ばれて、まず彼らを育みましたが、彼らがキリストを受け入れる事に失敗したにより、却って福音が全人類に及ぶ事になりました。

「そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」
‭‭使徒言行録‬ ‭10‬:‭34‬-‭35‬

「そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。」
‭‭コロサイの信徒への手紙‬ ‭3‬:‭11‬

そして、イザと言う時は、民族や国などに捉われずに信仰を固く保ち、都市を避けて山に避難する様に指示しています。そして、偽預言者や偽メシア、それらを具現化するまやかしに騙されないようにと注意を与えています。

「イエスは話し始められた。
「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。
あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。 主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。
そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。 だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭13‬:‭5‬-‭11‬, ‭13‬-‭15‬, ‭17‬, ‭19‬-‭23‬

つまり神は、グローバリストでも民族主義者でも国家主義者でもないと言う事です。神が望んでおられるのは神を愛する事ですからね。
そして、民族や国などに捉われずに信仰を固く保ち、都市を避けて山に避難し、偽預言者や偽メシアやそれらを具現化する技術にまどわされない様にと指示しています。

また、キリスト教はADの初めの世紀から政教分離です。

「彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
‭‭マルコによる福音書‬ ‭12‬:‭16‬-‭17‬

これには、ニムロドの様な現人神を名乗る権力者の発生を防ぐ効果も有ります。
キリスト教では全ての権限を持つのは神のみですので、ローマの国教となった後も、政治権力と宗教権力は分かれたままでした。実際、皇帝と教皇を兼任した例はありません。
そしてキリスト教化以降は、「パンと見せ物」つまり、ベーシックインカムと残虐ショーで人気を取る皇帝崇拝体制は廃止されました。

使徒達にとっては、ローマ帝国のヘゲモニーを握るのが、皇帝であっても閥族派でも平民派でも何も変わりありません。神の教会は、ヘレニズム由来の帝国の政治機構とは別の存在なのです。
聖書の世界では、世界は(人間の政治的対立ではなく)神とサタンの対立軸で二分される戦場であるとされています。このサタンと言うのは、アブラハムの宗教に於いては全ての多神教とその神々を指します。
聖書には思想の左右などと言う事は書かれておりません。人間の下らない伝統や、虚しい哲学を戒めています。

「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」
‭‭コロサイの信徒への手紙‬ ‭2‬:‭8‬

聖書の神はグローバリズムには警告を与え、福音が及んだ民族•国家間の差別を禁じています。
多神教徒の方々には申し訳ない事ですが、アブラハムの宗教ではサタンとは多神教とその神々の事ですから、その左右はサタニック•ライトもサタニック•レフトと言う事になり、いずれも相容れないと言う事になります。日本の政治風土が他のいずれの国とも互換性や普遍性が無い事の一番の原因はここにあるでしょうね。

聖書の創造主は、世界帝国や国民国家や民族を偶像視せずに、ただ神のみを愛する様に求めており、また人々には余計なものに惑わされず、信仰を保ち逃げ延びる様に指示しているのですね。

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