生産しすぎている9割
以前糸井重里さんが対談で言っていた言葉。
すごく、うーむ、たしかにと思った。
1日の、もしかしたら一生の多くの時間を、既にあるのにせっせ、せっせと生産し過ぎているんじゃないだろうか。
それは、9割の他の人がやっている私じゃなくていいことなのに、そっちに向き、私も必死にやっているということでもあるのだ。
¨¨¨¨¨
少し話は飛ぶのだけれど、最近インスタグラムが見れない。
もちろん機能的にはきちんと作動していいて見れる。
けど気持ち的に見るとわーっと圧倒されてしんどくなる。
時々くる、このSNSダメ期。
「あー、またこの人こんな企画やってる、すごいな。」
「あ、このストーリー、タグ付けされてるから24時間以内にリポストしないと」
「おーまたインスタライブやったはる。パワーあるなー。」
妬みだろうか、せわしなさだろうか、焦りだろうか。
とにかく、うぉーってなって閉じてしまった。
そこに隠される私もこうしてみたい、私はこういうのしたくないの気持ちの渦。それがなんだか掴みきれない。
ので、今月頭からひとまず大丈夫になるまで投稿しないし、見ないことにもして、かれこれ3週間経つ。
時々インスタでも繋がっている人との会話の中で、「私、最近インスタお休みしていて」と言うと「え、そうやっけ!ストーリーとかこないだ見た気がするのに!」と返ってくる。
SNS界隈ではできるだけ定期的に(頻度高めに)上げた方がいいとなっているけれど、3週間あげないところで誰も困らない。
それがぴったりこの糸井さんの言葉と繋がるというわけでもないのだけれど、なんとなくそういうことな気もしているのだ。
もちろん、そうしたらこのnoteだってそうなるのだけど、今は私にはインスタグラムが「生産し過ぎている9割」のようになぜかなっている。
先日、日本からメキシコに戻ったばかり。
7月〜10月は日本の実家にいたりもう25年家族のようにさせてもらっているメキシコのホストファミリーのところにいたこともあって、6月に会社を退職して、実質ほんとに独り立ちという感じでやっていくのは今月11月が最初。
新しい土地への引っ越しなども重なりちょっとばたばた気持ちが落ち着かない中、どういう方向で気持ちよくメキシコの仕事をまわしていけるか、お金を、愛情をまわしていけるか、
やる気になったかと思えば、会社員時代より時間はあるのに、ふとエネルギーが十分になかったり、少しぼやっとした感じになるときがある。
そんな中で以前メモっていたこの言葉をふと目にした。
実際のところ、私だけにできることなんてほとんどなくて、でも逆に何をやろうと私じゃないとできないことで、そこに神経をすり減らすことはないんだなと思う。
それで、まとまらないのだけれど、今やりたいことはインスタグラムで写真を中心に訴えかけたり、表現したりすることよりも、書きたい気持ちが大きいのだなとはわかってきた。
またそうすると、むくむくと、
「でもこれまでのお客さんはほぼインスタグラムから来てくれてたから、noteで書いているひまがあればそっちを優先させるべきなんちゃう?」
という頭の声も聞こえてくるのだけれど、食指が動かないのだから仕方ない。
メキシコのものを通じて、ただかわいいと言いたいだけではなくて、だからと言って伝統や文化的背景や作っている人の生活なんかを一部始終紹介したいとか、ましてや私のすることで彼らに貢献したいと大それたことを思っているわけではないのだけれど、伝えたいなにかはある。のだと思う。
そのなにかはきっちりはめこめていない感はあるのだけど、いろいろと浮かんだらやってみよう。
少しでも私の1割に近づけるために。
そんな気持ちのひだを大切に見ながら、noteに書いていってみようと思います。
いただいたサポートは今後作りたいと思っているメキシコでのレンタルショップを作る費用にさせていただきます。