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過去の自分にダメ出しすると成長が良くわかる話

現在、作成中の記事の関係で、過去の自分の記事を読み返したんですが、絶望的にわかりにくくてビックリしました…

こんな恥ずかしい文章をインターネット上に出していたかと思うとちょっと怖くなりますが、単に後悔していても始まりませんよね。客観的に過去の記事を見てみると意外と成長に関するいろんなことが見えてきます。

今回はそんな成長のお話をしてみたいと思います。

事の発端

現在、立ち上げ中の新しい企画(需要はなくてもやりたいからやる)の準備段階で、過去の自分の記事を引用しようかと思い、読み返してみました。

すると、あまりに稚拙な出来だったので、引用を諦め、新しく書くことにしました。

当時の記憶はそれなりに残っているもので、書いている最中は、こんなテーマ日本人では誰も取り上げてないぞ!とか、これなら初心者の方でも雰囲気わかってもらえるはずだなんて思って書いていました。

それから約1年半ほどたって読み返すと、なんとひどい記事でしょう…

・冒頭から専門用語を羅列するという暴挙
・わかりにくい表現を避けて抽象的に書くものの具体的には全く想像ができない表現
・読者は興味がないであろう参考文献を最初に投下する謎行動
・用語を説明する用語が難しく全くわからない
・自分の引用文献を読んでもらえる思っている過信

たった1000字程度の文章なのに挙げればきりがないほど出てきます。

全く読者に寄り添えてない文章に読んでて恥ずかしくなりました。

逆に、1年半も経つと様々な経験を踏まえて、これだけダメ出しができるようになるのかと驚きもあります。

継続は力なり

何事も継続は力なりです。研究だって仕事だって同じように、だれでも最初は何もできません。

特に文章の添削を自分でやってみて思い出すのが、学会予稿の書き方です。B4の頃は数週間という時間をかけて、低クオリティのものしか書けませんでした。しかし、今では爆速で仕上げることができますし、時間に対してクオリティはB4の時よりもずっとマシです。

同様に、noteでも初めのうちは、数日リサーチして、数日かけて書くというのが当たり前でしたが、最近ではそのスピードもクオリティもだいぶ良くなってきていると思います。(当時に比べれば)

毎週2, 3記事は投稿しなければならないという状況に追い込まれれば、人は嫌でも文章を書きます。書いてて楽しいですけどね

やはり、数をこなすというのは何事においても重要で、頭で覚えるより体で覚える感覚でできるようになってきます。
(実際は度重なる失敗の中で、自然に頭が学習しているということなんでしょうね)


正解はわからずとも、不正解はわかる

いまだに良い文章とは何なのかわかりません。正解がわかったら苦労しませんよね。正解になるように書けばよいだけですから

しかし、経験を積むことによって少なくとも不正解はわかるようになってきました。前述したダメ出しなんかが良い例です。

自分で不正解だと分かっているから、はじめからそんな書き方はしないわけです。

同じ失敗は2度しない。私はたいしたことないポンコツ人間の代表ですが、これだけは肝に銘じています。むしろポンコツだからこそ、同じ失敗を繰り返すほど非効率的なことはないと思います。

当然、失敗(不正解)がわからなければ、同じミスをしますよね。

失敗は誰にでもあります。失敗を認め、その原因を言語化することができれば、2度目の失敗は避けられると思います。逆に、失敗の原因を認識できていなければ、避けようがありません。

そして失敗を繰り返して、その理由を言語化できる数ほど自分は成長したといえるのではないでしょうか?


最後に

一つ怖いのは現在自分が書いている文章も同様に1年後に見ると、その出来に恥ずかしくなるかもしれません。いや、絶対に“このレベルでよくこんな記事書いたな”って後悔すると思います…

ただ、今回行った過去の自分へのダメ出しは、不正解の言語化であり、今後失敗をしないように気を付ける良い機会になったと思います。


最後の最後に、何事も継続しなければ上達はしません

数字の奴隷になるのは怖いと思いながらもPVやスキ数というある程度定量化された指標を受け止めながら自分の記事をブラッシュアップしていく。それが今の自分にできる唯一の方法な気がします。

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