長瀬有花「a look front」 連想
この文章は、以前にTwitter とふせったーに投稿した文章の転載です。
これはアルバム「a look front」のクロスフェードです。知らない方は、ふらっと旅先の公園に立ち寄ったつもりで聴いてみることをおすすめします。
以下、転載。
長瀬有花さんのアルバム「a look front」、最高だった。アルバムが好きだという感覚を思い出した。お弁当を開けて食べて片付けるときの感覚を思い出した。普段食べた、特別な日に食べた、お弁当を。
以下はアルバムや収録曲に対する感想というよりは、聴き終えて自分が思い浮かべたことをつらつらと並べたものです。ところで、連想ゲームって、いいですよね。まとめなくていいし、楽しいし、広がっていく様子が心地いいし。まるでぶらぶら歩いているみたいで。はい、こんな調子で書いていきます。
「a look front」は一つのアルバムとしてものすごく好きだ。1曲目のfake newsを聴くと、日常の中にどこかへと続くような、あるはずのない入口を見つけてしまった気分になる。7曲目のオレンジスケールを聴く頃には、旅の終わりを名残惜しく感じ、明日からも続く日常がちょっと違って見える。そして、満足して心をゆったりさせていると、最後の8曲目にすごいものと出会う。たしかに帰ってきたんだなあと思うと同時に、またあの入口が目に留まることを予感し期待している。
普段から、音楽をこだわって聴くことはない。以前はテレビで、最近はyoutubeで、カスタマイズされて流れてきた曲になんとなく耳を傾けている。そうしていると、いいなあと感じる曲に出会うことがあって、気が付くと、音楽は側にある。例えば辛くて歩けないとき、例えばスキップしたいとき、例えば一歩を踏み出す勇気がほしいとき、最初に手を伸ばすのは、側にあるもの、例えば音楽だったりする。
アルバムが好きだという感覚を抱いたのは久しぶりだ。自分は1曲単位で曲に触れることが多いから、アルバムが好きだと思うこと自体がまれなのかもしれない。人生で最初に好きだと感じたアルバムはtacicaというバンドの「parallel park」だ。高校に通い家に帰る電車の中で、連なる曲を心地よく聴いていた。ウォークマンから伸びるイヤホンを耳に差し込み、窓の外や乗客をなんとなく眺めていたり、その日の出来事に思いを馳せたりしていた。そんなかつての日常を思い出した。「a look front」も、折に触れて思い出すアルバムになると思う。
時間はたしかに流れているなあと感じる。自分一人でさえ、色んなペースで時間が流れている。今日も大地を踏む見知らぬ誰かには、どんな時間が流れているのだろう。ふと、何かに思いを馳せたときに、目に留まるのかもしれない。非日常への入口が。
ベッドの上に寝転がりながら、無線イヤホン越しにapple musicのサブスクサービスで「a look front」を聴いている。たしかにこれは、歩いて聴きたいアルバムだ。思えば最近、散歩をしていなかった気がする。近い未来、有線イヤホンをウォークマンにつけて準備を済ませたら、玄関の扉を開けよう。
その前に、まだアルバム買ってなかったや。手元に欲しいし、買いたいな。そしてCDをインポートしよう。うん、そうしよう。
アルバムの曲、全部歩いているみたいだ。MVを改めて視て聴いても、そう感じる。そう思って曲を聴いてみると、色んな散歩の仕方があるし、同時に、散歩という体験の中には色んな出会いがあるんだなあ、と思った。
散歩それ自体が日常的だったり非日常的だったりするし、散歩の最中に思い浮かぶことが非日常への入口だったりするから、日常と非日常の境界がとけるような曲が連なるアルバムの名前が「a look front」なのは、すごくしっくりくる。
自分は日常的に散歩をすることはなかったから、自分が散歩をした日のことは、案外特別な記憶として残っている。まるでふらっと旅に出た日のように。冒険に出るときのわくわくした気持ちとともに。
散歩が旅なんだろうか、旅が散歩なんだろうか。今はどっちでもいいや。
思えば歩かなかった日はほとんどない。肩の力を抜いて歩けば、気の向くままに景色や思い浮かぶことに目を向ければ、いつでも散歩ができるかもしれない。もっとも、散歩してるときはこんなこと考えずに、もっと頭の中を楽にしているのだけれど。
気が付けば非日常に迷い込んでいるし、気が付けば日常に帰ってきている。
遊んでいると、自然と力が抜けている。
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