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有名税を哲学する

このコラムでは「有名税」という言葉の説明と、「税」から読み解ける有名税の違反性について説明していきます。

(有名税は喩えの1つなので、違反も何もあるのかとも考えられますが、言葉の綾に正面から挑んでいきます)

(読了時間:約5分)

有名税とは?

有名税とは、次の意味の言葉です。

有名人であるために、好奇の目で見られて苦痛を受けたり、出費がかさんだりすることを、税金にたとえていう語。

コトバンクより

つまり、有名である(=知名度が高い)という多くの人が知っている状態から生じるデメリットを、「税金」という取られてもしかたがないものに喩えているのです。そのデメリットは主に(親しくない)不特定多数の人々から向けられるものです。例えば、私生活のような親しい人にしか知らせたくないことについて興味を持たれたり、妬みや怨嗟の的となったりします。このようなプライバシーの侵害や(悪質なものならば)脅迫が有名税の主な内容となります。

税には"正当さ"が必須だ

税とは、(少し悪い言い方をすると)権力者が非権力者からモノを奪うことの一種です。

しかし、一般的な所有のルールに基づくと他者からモノを奪うことはルール違反です。このルールは権力の有無に関係ないものです。そこで、税金としてモノを徴収するためには、そうするに値する理由が必要になります。この理由づけを「正当化」と呼びます。

徴税を正当化する理由は、国で例えるならば、公共福祉やインフラ整備などだったり、国民全体を公平にするためだったりします。国(とそこに属する国民たち)のため、利益になるからという理由づけがあるからこそ、徴税官はドロボーにはならないのです。

加えて、徴税する人にも正当性が必要です。

例えば、警察官は家宅捜査という形で、他人の家に勝手に入っていろいろなモノを持って帰ることができます。しかし、それは「捜査令状」というお墨付きがあっての物種です。もしも令状がなければ、家宅捜査する警察官は不法侵入および窃盗の犯罪者ということになりかねません。医者の不摂生のようですね。

有名税の違反性

有名税に話を戻します。有名税が税金の一種ならば、徴税という行為そのものとその徴税者に正当性が必要です。

しかし、有名人がそのような税を負う正当性は二重の意味でありません。

まず、徴税されるものの筆頭としてプライバシーがありますが、これは知名度の有無にかかわらず守られるべきものだからです。なぜならば、所有のルールに基づくと自分の知っていることを「誰に」「どのくらい」伝えるかは、自分だけが自由に決定できることだからです。他の人がその権利を横取りするのはルール違反。

有名人は、自分の技能や容姿、知名度などを通じて給料を得ています。その過程で、不特定多数の人々に自分の情報を伝えていくことになります。それでも、伝えたいことと伝えたくないことを区別し、決定する能力がなくなることはないのです。

さらに、有名税を徴税する人がそうするに値する正当な人物ではない可能性が高いです。例えば、ゴシップ雑誌の記者は、有名人の私生活や人間関係を洗い、記事にします。結果、出版社が売り上げを得たり、筆者が承認欲求を満たすという結果を得ます。しかし、私利私欲のために権力を振るうことは批判の対象となります。権力者の一種である政治家ですら、そうなのですから。

現代においては、誰もがゴシップ記者になれます。昔はマスメディアという「伝える力」は一部の人たちだけが振るうことができました。しかし、SNSの発達によって誰もが伝える力を持てるようになりました。

けれど、権力を振るえることと、権力を振るってもいいことは違います。「可能」と「許可」は違うのです。

まとめ

税とは、(少し悪い言い方をすると)正当化された奪取です。徴税をするためには、税を取る行為そのものと税を取る人の両方に、そうするに値する理由づけが必要です。

有名税は、知名度が高さが原因となるデメリットを「税」という取られてもしかたがないものに喩えた言葉です。主な内容は、プライバシーの侵害や脅迫となります。

しかし、このような税を取ることは間違っています。なぜならば、税を取る正当性が2つの意味でないからです。

1つは、自分が誰に何をどれくらい伝えるかを決める権利は失われることはないからです。有名であるかないかに関わらず、本人の意志に関わらずプライベートなことを知るのはルール違反となります。よって、徴税そのものの正当性がありません。

もう1つは、税を取る人に正当な理由がないからです。私利私欲のために権力を行使することは、現代においては批判の対象となります。仮に、有名税に正当性があったとしても、それを例えばゴシップ記者や大衆が奪っていい理由にはならないのです。

おわりに

このnoteは某アーティストが私生活を週刊誌に書かれて、twitterがざわざわしているときから考えていたことです。私はゴシップの類は基本的にはスルーします。なぜなら、真実を知れるほど十分な情報が手に入れられるわけでないため、虚しい気持ちになるからです。

けれど、そういう詮索をしてもよいと感じる人は一定数は存在します。人をコンテンツというモノのように扱うことは、未だにマスメディアの中で横行しています。そこで、自分の考えをマイルストーンとしてここに記しておきます。

よろしければ、スキを押していただけましたら幸いです。

(もしもゴシップ記事の内容が知りたいと思っても、その記事のリンク先から見るではなく、立ち読みやSNSでスクショを探すなどして、売上やアクセスに貢献しないことが望ましいでしょう)



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