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ビルもひかえる根津権現 (115の坂が語ること#8 根津裏門坂)

 文京区には、115の名前がついた坂がある.
武蔵野台地の東の周辺部に広がるこの区には、本郷・白山・小石川・小日向・目白という5つの台地が広がり、台地と谷を結ぶ坂には、江戸時代につけられた名前が今も使われている。

 向ヶ丘一丁目の交差点を、根津方面に向かって下り、最初に見える鳥居は根津神社の西口です。これをくぐり、駒込神社で一礼して目を上げると、いくつも並ぶ赤い千本鳥居の先の銀杏が朝日を浴びています。その根元に、大木に守られるように数人の人影がありました。境内の掃除をされている方が、作業を終えて談笑しているようでした。脇を通りすぎながら(なんだか楽しそう)と振り返ると、今来た道も見事な紅葉した樹々で包まれていました。

 本殿に向かうと、スーツにコートを羽織った男性が手を合わせ、急ぎ足で西口門に向かった後、散歩途中の方がお参りを終えて、ゆっくり池の周りで休んでいます。ランニングしてきた方は、唐門の敷居を越える前に立ち止まり、一礼して本殿前に進み手を合わせ、お参りが終わると唐門を出てまた一礼し、舞殿の前でストレッチをしています。

 本殿と紅葉した銀杏を写真に残したいとスマホを向けていて、ビルが入り込まないのに気づきました。根津神社の東側すぐ近くに不忍通りが通り、道路沿いには背が高いビルが林立していますから、本殿の背景にビル群が見えそうなものなのに、権現造りの堂々とした屋根の向こうには真っ青な空がゆったりと広がっています。
 不忍通りまで数十メートル離れているおかげでしょうか?それとも関東大震災の大火からも、先の第二次世界大戦の戦火からも免れた綱吉公ゆかりの権現様が、影になるような建造物が建たないよう、計らいがあったのでしょうか?
 本殿に続く唐門を、一人、また一人と途絶えることなく参拝者が通ります。この地に遷座してからずっと、近隣に住む人が朝に夕に手を合わせに来る界隈のよりどころであり、今もそれは変わらないようです。いつもなら目当ての神社仏閣を撮るとき、人が入らないタイミングを狙い待つのに、今朝は、(あの人、早く立ち去ってくれないかな)と思うことなく、むしろ、お勤めの人、親子連れ、学生さん、散歩の人が入り込んでほしい、そのほうが、この神社らしいような気がするのでした。


 根津裏門坂を日本医科大学までのぼり、せっかくここまで来たから近くの名所『猫の家』に寄ろうと、右に曲がりました。夏目漱石の住居跡でもあり、その前は森鴎外も一時期を過ごしています。S坂、三四郎、舞姫、・・・団子坂や根津の描写が出てくると、懐かしい友人に出会ったような気がします。

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