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恋心、今も昔も(115の坂が語ること#11 浄心寺坂)

文京区には、115の名前がついた坂がある.
武蔵野台地の東の周辺部に広がるこの区には、本郷・白山・小石川・小日向・目白という5つの台地が広がり、台地と谷を結ぶ坂には、江戸時代につけられた名前が今も使われている。

白山下の交差点
タクシーで白山下の交差点から、白山通りに並行した商店街にある目的地に案内するのは難しい。
商店街にある医者に行くのに、「お寿司屋さんの前を右に曲がってください。」と言っても、一階に風船屋と花屋が入っているマンションと、寿司屋の間にある細い坂を上ってしまうことがある。この坂の上の旧中山道にある水道局や税務署に用があるお客さんが多いのだろう。こちらもうっかりしていて坂を上りかかってから気づき、(どこかで折り返してもらおう)とのんびりかまえていたら、とんでもなく時間がかかってしまった。この辺りは一方通行や進入禁止が多く、坂の下に戻るだけで大変な大回りをする羽目になり、あやうく診療時間に受付しそこなう所だった。白山通りから本郷辺りまでは、路地が多い戦前の街並みが残っている。

この辺りに詳しい運転手さんは、「ああ、お七の坂は上らないのね?」とわかってくれる。
細いのに知名度の高いこの坂は、浄心寺坂という本名より、お七の坂で通用している。江戸時代、好きな人に会いたいという乙女心から放火をし、その罪で火あぶりになった十七歳の娘、お七がこの坂の中腹にある円乗寺に眠っている。三つの塔があり、その隣に、歌舞伎で八百屋お七を演じて大当たりをした岩井半四郎が建てた大きな碑があった。

2年ほど前、歌舞伎座で『松竹梅湯島掛額』を見た。八百屋お七を題材にした演目である。吉祥院、お土砂の場面と、数々の場面がある中、四ツ木戸火の見櫓の場は、毎回必ず演じられる。
火事で焼け出されて非難した吉祥院で、お七は寺小姓の吉三郎と恋に落ちる。恋人吉三郎が探している大事な刀を隠し持っている男をお七は知り、吉三郎に知らせようとするが、この時代、火事や治安維持のため町境に設けられた四ツ木戸に阻まれ、会うことができない。
お七は、この木戸を通る最後の手段を選ぶ。つまり、火の見櫓の太鼓を鳴らすことだった。もちろん火事以外で鳴らせば厳罰が待っていることは承知の上である。お七は決意を固め、
雪が降る中、髪を振り乱して火の見櫓を上り、ついに太鼓を打ち鳴らすのだった。太鼓の響きとともに、四ツ木戸は開かれ、お七の侍女が刀を奪い取りお七に渡す。お七は、刀を抱えて、愛しい吉三郎に渡しに走り去る。

刀の在処をみつけたものの、吉三郎に伝えられないもどかしさ、固めた意志を確かめるように一段一段踏みしめて櫓を上る乙女の強さを、七之助が上手に演じた。舞台を見てから、お七に対するイメージが変わった。恋心から放火して火刑に処せられた悪人というより、一途に恋人を慕う十七歳の少女だったのだ。あの場面で、舞台一面に降りしきっていた白雪を何度も思い返す。

浄心寺坂を下ろうとすると、若い男性が赤い花束を手にして上ってきた。下の花屋で買ったのだろう。
今は、お七の時代に比べれば恋の形も多様化している。時代や形が変わっても、愛しい人を思う気持ちは、いつの時代も純白であるに違いない。

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