苦しい時は苦しいし、愛せるものも愛せない。
苦しい時を過ごす友人たちへ。
手紙を送ることができるのならば。
今もし苦しいのなら苦しくて良い。苦しまないでなんて、笑顔が見たいなんて言わない。自分の感情に嘘ついてまで笑わなくてもいい。
何をやっていても苦しいし、誰と会っていても苦しい。
そんな時は彼とラブラブで人生絶好調みたいな人となんて会いたくないわけで。
やりたいことがやれて、月に一度は旅行に行って毎日ハッピーみたいな人は視界に入れたくないわけで。
みんなひとりひとり孤独と絶望を抱えていてほしいわけで。
他人の幸せを手放しに喜んだりできない。
就寝前に平等に訪れる癒しのひとときさえない。
隣の恋人のうっとりするような優しい寝顔にも嫉妬する。
何かを達成するには試練があると言う。
神は乗り越えられる試練しか与えないと、ただその言葉を信じて進むほかがない。
ただ悩みがあると進みもゆっくりだし、毎日の自分の行動に自信が持てない。進めべき道が明かりでともされていないから迷ってしまう。
そしてじわじわと自分に対する自信のなさが膨れ上がり、不安定な時間が過ぎていく。
目標を達成できない絶望のイメージがゆっくりと明確になっていく。
私の場合はそれが一番つらかった。
目的があるなら頑張らなくてはならない。あきらめてはいけない。
ただ人によって耐えられるプレッシャーの強度は違うと思う。
私は目指す未来を見据えつつも、逃げ道をつくってもいいと思っているし、そうじゃないと耐えられないタイプだと最近気づいた。
私は楽しく生きたいと思っていて、そのためにどうしてもやりたいことを仕事にしたい。そう思った時に、もしかなわなかった場合自分の未来のすべてに絶望してしまうだろうという予測に耐えられなかった。
やりたい仕事につけなくても楽しく生きる未来を用意しとかないと耐えられなかった。
その一環としてnoteを始めたし、同じタイミングで2つの創作を始めた。
100パーセントの力を就活に使うべきだとそれ以前の私は思っていたけれど、自分の好きなことを鍛錬する時間を作ることが私にとってはとても健康的だった。
今やっている挑戦に負けたとき、死ぬわけではないと思えたことが大きかった。
もちろんこの辺はバランスがあるだろう。
挑戦自体をあきらめてしまっては元も子もない。
ただ今何かに挑戦していて、壁に立ち向かっていて、そして苦しい人は逃げ道を作っていいと思う。
考えることをやめてはいけないと思う。
もしそれができなかったとき、それでもあなたが楽しく生きられる未来を考える必要があると思う。
燃え尽きないように、絶望しないように、心のゆとりを持てるように。
これは全ての挑戦において言える。
受験も就活も転職もお仕事も恋愛も友人関係さえも。
焦らないで、ゆっくりでいいから、ちょっと考えてほしいと私は思う。
いつもありがとうございます🤍