海にはよわい
よくできているけれど、自分にとってすごく刺さるというわけでもない映画を観た後に、でも海がたくさん出てきたし爽やかだし満足したな、と感じて私はつくづく海には弱いのだ、と思い知った。
旅行先を選ぶ時も海を理由にするし、なにかと理由をつけて海に行こうとする。私は間違いなく海に魅せられ惚れ込んでいる1人なのだが、こと映画に関しても海を出されると弱いというのはどうなのだろうか。
普通だな、当たり障りないな、という評価が妥当な映画でも、海が効果的に(ここで出すと気持ちいいとわかっているな、という)使われると、簡単にわりと良かったという評価になってしまう。なんか公平ではない気がする。
少しだけもやもやして、でも結論として何かこれがでてくるだけで評価が甘くなってしまうという鍵があることはいいことかもしれないと思った。大人になって、なんでも手放しに感動する、ということもなくなり、整合性だとか考えてしまうようになり、そんな中で思考することももちろん大事だけれど、何か自分を喜ばす鍵があることはとてもいいことだと思う。思考を手放して、ただ海の良さを感じる。そのシーンだけ頭の使い方が変わる、そういうトリガーはきっと私以外の大人ももっている。そして、その人にアプローチするときに使ったりされるのだろうけれど、そういう弱みを持っていることはすごく豊かで幸福なことだろうと思う。
昼の海、夕の海、夜の海。
それぞれ違う魅力を持っていて、語ることができるというのは面白い。
とにかく私は海をいつも求めているし、海に近づくことで不思議な癒しを感じる。なので、私が海を出されると映画に正当な評価をできなくなることに関しては、見逃してほしい、と誰にともなく思うのだ。
いつもありがとうございます🤍