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Art|絶対的な美の価値などない

じつは、食の仕事よりも長く続いているのが美術の仕事です。日本で開催される美術展に関連した書籍や、美術全集的な分冊百科を15年くらい継続して続けさせてもらっています。

作家の生涯を調べたり、作品の美術史的な位置づけだったり、特異性を美術史の先生に聞きながら本をまとめていくのですが、あまり本の企画にならないとわかっていながらもついつい調べてしまうのが「作品の来歴」です。

ゴッホ家に残した「ひまわり」売った「ひまわり」

作品の来歴とは、画家が制作してから、どのように所蔵者が移っていったから、その履歴のことです。西洋絵画では、どのような所蔵者の手を経てきたのかがはっきりしていることが、贋作にだまされるのを防ぐうえでも重要とされていて、名画と呼ばれる作品の多くは、来歴をたどることができます。

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フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり
1888年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

たとえば、生前に売れた作品は1点だけといわれているゴッホ。

ひまわり」は、7点のヴァージョンがありますが、現在、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵するゴッホの《ひまわり》は、ゴッホの死後、弟のテオが所有したものの、すぐにテオが亡くなったことで、テオの妻ヨーが相続します。その後は、テオとヨーの息子フィンセント(ゴッホと同じ名前)の所有になり、1920年代にロンドン・ナショナル・ギャラリーに購入されます。

一方、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの模写といわれ、現在SOMPO美術館が所蔵している《ひまわり》は、テオからヨーに継承された後、パリのタンギー爺さんの画廊で売りにだされ、1900年代にすでにフランスの画家エミール・シュフネッケルの元に渡っています。その後、ドイツを経てロンドンへ。鉱山業界で成功したダブリンの実業家アルフレッド・チェスター・ビーティなどの手を経て、当時の安田火災海上保険が購入して現在にいたります。

つまり、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》は、ゴッホの死後も、売りに出されなかったのに対して、日本の《ひまわり》は、当初から模写の認識だったのでしょう、ゴッホの死後10年ほどでゴッホ家から流失していることがわかります。

名前すらなかった《真珠の耳飾りの少女》

オランダの画家、フェルメールの作品だと、代表作の一つで、2回来日していることで良く知られているアムステルダム国立美術館の《牛乳を注ぐ女》は、フェルメールの死後21年後に競売に出展された記録が来歴の最初です。その時すでに「牛乳を注ぐ使用人。傑出した出来栄え」とあり、それから13年後の1696年の競売でも「デルフトのフェルメールによる、かの有名な牛乳を注ぐ女。芸術的」と賞讃されています。

1696年には他のフェルメール作品も併せると21枚が競売にかけられており、そのなかでわかっている範囲ですが、2番目に高い175ギルダーで落札されています(最高額は《デルフトの眺望》(マウリッツハイス美術館蔵)で200ギルダー)。

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ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女
1658~60年頃 アムステルダム国立美術館

《牛乳を注ぐ女》は、1696年の競売後も所蔵者が転々としますがアムステルダム市中を出ることはなく、1908年にアムステルダム国立美術館の所蔵になっています。

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ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女
1665年頃 マウリッツハイス美術館

一方、”現代人にとって”、いちばん有名なフェルメールの作品である《真珠の耳飾りの少女》ですが、じつは来歴をたどるのが非常に難しい作品です。《牛乳を注ぐ女》も出品された1696年の競売履歴には「トローニー」(不特定の人物の胸部から頭部を描いた作品)が2枚売れたことが記されており、そのどちらかが《真珠の耳飾りの少女》”だと”いわれています。

ちなみに、この2枚の落札額は、どちらも17ギルダーであり、《牛乳を注ぐ女》よりも当時の評価はかなり低かったことがわかります。

その後、明確な履歴は、およそ200年後、1881年のオランダ・ハーグでの競売です。この時の落札金額は、なんと2.3ギルダー。物価の違いはあるとはいえ、かなりの暴落ぶりです。その後1902年に購入者が、現在の所蔵館であるマウリッツハイス美術館に寄贈して、現在にいたります。

つまり、現在フェルメール作品のなかでもっともよく知られ、さらに西洋美術史の中でもベスト100におそらく入るであろう《真珠の耳飾りの少女》は、現代人しか評価をしていないことがわかります。

価値は不変ではない、時代によって変わるもの

こうやって調べてみてわかる事実は、普遍的と思われがちな歴史的名画であっても、評価は時代とともに変わっていくということです。今、僕たちが生きている時代に評価されているものが、必ずしも将来も同じように評価され続けるものではない。つまり絶対的な美の価値などないわけです。

また逆も同様で、いま評価されていないものが、近い将来に高い評価を受けることもあるわけです。そして、それは、できたときから評価が高いわけではなく、多くは前衛的で、理解されないものであったということも言えます(フェルメールは決して生前から世界的な大画家ではなく、地方の一画家だった)。

絵画の来歴をたどっていると、そういった歴史の見方が生まれると同時に、現代社会をもっと権威に頼らずフラットに見られるようになもなります。

そして何より、自分が今目指しているような新しい価値の追求(たとえば「おいしい」は絶対的な価値ではないなど)を追い求める勇気にもなります。

絵画の来歴は、画家の全集や研究所、所蔵美術館もコレクション紹介で見ることができるところもあります。メトロポリタン美術館ボストン美術館は、来歴が絵画単位で表示されています。

あなたが好きな西洋絵画、どんな来歴知っていますか? ちょっと違った視点が得られるかもしれませんよ。 

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