見出し画像

Art|ムンクの《叫び》は4枚ある

《叫び》に、4つのヴァリエーションがあることは、あまり知られていません。最初に描かれた《叫び》は、1893年にクレヨンで描かれたものでした。

画像4

エドヴァルド・ムンク《叫び
ムンク美術館 1893年

同年のこのクレヨンがを元に描かれたのがテンペラとクレヨンで描かれた《叫び》で、ムンクは完成品とみなしていたようです。その証拠に、1902年、「愛」と「死」、「不安」を主題とした作品群〈生命のフリーズ〉にこのテンペラ・クレヨン画を加えて発表されたほどです。

画像3

エドヴァルド・ムンク《叫び
1893年 オスロ国立美術館

その7年後に、ムンクの友人で美術史家のイェンス・ティースがオスロ国立美術館の館長に就任すると、当時いまだ評価の定まっていなかったムンク作品の収集を決意します。そのためムンクの手元に大事にしていた《叫び》や《生命のダンス》などが、オスロ国立美術館に寄贈されました。

そのためムンクは、模写を手元に残すために、新たな《叫び》を描きます。それが1903年にテンペラと油彩で描かれた作品で、ムンクが80歳で亡くなるまで手元に置き続けました。

画像3

エドヴァルド・ムンク《叫び
ムンク美術館 1910年頃

1895年には、パステルで描かれた《叫び》もムンクは残しています。

画像4

エドヴァルド・ムンク《叫び
個人蔵 1895年

真っ赤な空や群青色のフィヨルド(陸地に深く入り組んだ入江)。《叫び》の背景に描かれている風景は、オスロ市内より電車やバスで数十分のところにあるエーケベルクの丘からの景色だといわれています。燃えるような朱色に染まる夕空。欄干の先にあるのはオスロ市内の街並みです。スケッチと習作を何回も重ねた上で描かれました。

一般的に絵画は、荒く織った麻布のカンヴァスの表面に、油絵具を置いて描くことが多いのですが、《叫び》は、4枚とも段ボールのようなボール紙(厚紙)に描かれています。ムンクが最初に《叫び》を描いたのは1893年ですが、この時期に描かれた作品に、厚紙を使った作品はほとんどありません。ムンクは、絵の主題だけでなく、厚紙や油絵具以外の絵具など、用いる画材もさまざまに試行錯誤を重ね、作品の効果を追求していたのです。

2012年5月にアメリカ・ニューヨークのオークション「サザビーズ」に、1895年作の《叫び》が出品されました。開始後、わずか12分で当時の史上最高額に達しました。その額は、なんと1億1992万2500ドル(当時のレートで約96億円)。今回日本で見られる《叫び》は、もしかしたら競り落とされた作品以上の価値があるかもしれません。

1892年1月、死への不安を常に抱えていたムンクは、夕焼けに染まるニースの海岸で、突然聞こえてきた“自然を貫く叫び”に底知れない恐怖を感じ、思わず耳をふさいだといいます。

その経験をもとに描いたのが《叫び》です。特定のモデルを描いたり、実際にみた場面をムンクは描いたのではなく。「死」という人間の根源的な不安を視覚化しています。見えないものを形にするという「モダンアートの扉」に手をかけた、そんな瞬間であるわけですが、それ以上に現代の私たちは、むしろ生命とは何かを考えさせられます。

ちなみに《叫び》は有名ゆえに、2度も盗難事件に遭っています。最初は1994年。オスロ国立美術館から盗まれましたが、3カ月後に発見。次は2004年に、ムンク美術館からテンペラ画・油彩の《叫び》が盗まれました。2年後に見つかったものの、損傷が激しく完全な修復は不可能でした。


料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!