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Life|なぜ高級料理やガストロノミーは若者に支持されないんだろう

オーストラリアのソムリエで、日本でも2018年に東京、2019年は東京・大阪で開催された「ピノパルーザ PINOT PALOOZA」(2020年は中止)というピノノワールだけに特化したワインフェスを企画したダン・シムズさんに話を聞いたことがあります。

ピノパルーザとは、2012年にオーストラリアのメルボルンで初めて開催されたワインイベントです。「ロックフェス」のようなスタイルで、ピノ・ノワール品種だけのワインを楽しむというスタイルで、若い世代層の新しいワインの飲み手を生み出しました。

その後、2017年にはアジアで初めて、シンガポールで開催。翌18年には、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、香港といった各国11都市を巡るワールドツアーの一環として、5月に日本・東京に初上陸しています。

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このピノパルーザを企画したディレクターがダン・シムズさんで、初開催に合わせたプレス発表会でインタビューをする機会がありました。

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ロックフェスのようなワインフェスで
新しい飲み手を作る

1990年代のアメリカ・シカゴで開かれていたロックフェスに「ロラパルーザ  Lollapalooza」があります。

オルタナティヴ・ロック、パンク・ロック、ヒップホップなど様々なジャンルのミュージシャンが公演するほかダンスパフォーマンスやコメディなどの公演も行う。1991年にジェーンズ・アディクションのボーカル、ペリー・ファレルが組織したロラパルーザは北米各地をツアーする形態をとったロックフェスティバルで、オルタナティブ・ミュージックの隆盛に伴い1990年代のアメリカの若者文化の重要な一部を担う存在となった。(Wikipediaより引用)

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ピノパルーザは、オルタナティブな価値の創出、ツアー形式のフェスという点で明らかにロラパルーザを意識したイベントになっています。ワインでロックフェスをやりたいと思った理由をシムズさんは、次のようなことを話してくれました。

ロックフェスがあれだけ若者に支持されているのに、なぜワインは若者に支持されないんだろうと考えた。音楽は、音楽を自分で演奏できたり、演奏の技術的なことをしらなくても楽しめる。だけどワインは、ワインの産地や品種、作り方を知らないと楽しめないように思われている。僕は、そこを変えたいんだ

僕は、「なんてユニークな発想なんだろう」と強い衝撃を受けたことを覚えています。

当時(いまもそうですけど)、どうしたら高級と言われるレストランやガストロノミーに若い支持者や新しいファンがつくのだろうと考えていたときに、複製できる音楽と複製できない料理の違いがあるとはいえ、「”初心者”が様々なシーンを支えている」という本質的なことを、ロックフェスのなかに見出したシムズさんの視点に強い共感を覚えたのです。

以来、高級料理やガストロノミーの世界に興味を持ってもらうためには、その入り口に立って招き入れる役を自分でやっていきたいと思うようになったのです。

レストランは「元気回復」と訳すとしっくりくる

隔週で作家で料理家の樋口直哉さんと読み進めている『フランス料理の歴史』(角川ソフィア文庫)のなかで、「レストラン誕生」の歴史について書かれている部分がありました。

これまでレストランは、18世紀末のフランスで料理人が仕えていた王族や貴族が革命によって処刑や国外亡命したことで職を失い、市井の料理人になってレストランを開いたと学んできました。しかし、『フランス料理の歴史』を見ていると歴史は少し違ったようです。

フランス革命直前の1765年、ブーランジェさんという料理人が「ブイヨン・レストラン」という名の居酒屋をオープンさせたのがじつは始まりだったのです。「ブイヨン・レストラン」は近代化や都市化が進むパリの労働者たちの腹を満たす店として人気を博します。けっしてレストランの始まりには高級料理ではなかった。美食を知らない人たちが本能的に味わうものだったのです。

ちなみに、本の中では「ブイヨン・レストラン」を「元気回復ブイヨン」と訳しています。”レストラン=元気回復”ですね。これは、名訳なのではないかと思っています。

ブーランジェさんの「ブイヨン・レストラン」にはもうひとつ面白いエピソードがあります。

当時町の食の店は職人組合のギルドが仕切っていて、シャルキュトリーを販売する人はお惣菜を販売できなかったり、コンフィチュールはコンフィチュールしか売ってはいけないという決まりがありました。

しかし、ブーランジェさんは、肉屋からの食材をとっているので、肉料理以外のメニューは出せないところを、ソースを添えた肉料理を出したりしたために仕出し屋の協同組合から訴えられてしまいます。

しかしパリの法廷はブーランジェさんの主張を認めます。これは、それまでもたびたび主張されてきた自由商業を妨げるギルドの否定を意味し、事実上の廃止にも繋がっていきます。

レストランは食べる人がいて成り立つ

だからと言って「レストランのルーツは食堂だ」とは僕は思っていません。やっぱりフランス宮廷に受け継がれてきた料理が、レストランのベースになっていることは確かです。ブーランジェさんが開いたレストランによって、レストランが本来持つ価値に2つの本質がることを知ることが重要だと思っています。

それは、あくまで食べる人(ブイヨンで元気回復したい人)がいるということです。そしてレストランは、そのニーズを掘り起こしていく、しかも素早く、誰よりも先にやることで成り立つ商売だったということを見過ごしてはいけないと思うのです。

料理の進化は、食べる人の変化、新しい食べる人をどう取り込んでいくかということを必死に、ときに法律を犯すスレスレのことを繰り返しながら進んでいく運命を、この時すでに宿しているのです。

こうした歴史を見ていくと、レストランの本質は、客のニーズにこたえることであって、決して自分の料理を理解してもらうことではないということを理解することになります。

料理との出会いによって、僕は
自分自身の人生を生きられるようになった

一方で、僕自身は高級料理、ガストロノミーに出会い、食べることによって自分がもっている既成概念を取り払い、よりニュートラルな人間になっていくような体験をさせてもらいました。

料理に出会わなければ、きっと「自分で考える」「自分で感じる」ということせずに、ずっと何かに流させて生きていく人生だったと思います。なので料理を食べたり学んだりすることによって、自分自身の人生を生きさせてもらっているという感謝があります。

それは、目の前の料理を食べることだけでなく、その料理に込められた料理人の哲学であったり、個性、人格も含まれますし、過去の料理人、歴史も含まれているので、とても大きな大きな概念に対しても敬意を称しています。

それは、まるっきりアートと同じだと思っていて、だから僕は、料理はアートになりうるとも思っています。そのためには、今料理を愛している人だけではなく、もっと幅広い感性の人たちの知見が必要で、それには料理というカルチャーを支える多くの料理ファンの存在も必要だと思うのです。

なぜ高級料理は若者に支持されないんだろう

ブイヨンレストランのように、真に人々が望むような外食の誕生を心の底から望み、既存の外食のなかでこれまで以上に、自分の価値観を壊してくれるような料理との出会いを望んでいます。

そのために僕は、料理カルチャーの入り口に立って、料理を知らない人たちにとって料理の何が障害になって身近に感じられないのか、その障害を取り払うことで、料理を好きになってくれるのか、レストランに足を踏み入れてくれるのか、というのを一つひとつ実験・検証しています。

レストランのオウンドメディアとしてのnote編集や、シェフのミールキットサービス「シェフレピ」、フランス・カーニュのシェフ、神谷隆幸さんとのレシピ本シリーズ、毎朝7時から話ている #ラジオ江六前 、関口幸秀さんとのYouTubeなど、個人のnoteやTwitterまで、すべては料理カルチャーに引き込むためにやっていることです。

その発想の最初の発端は、じつはシムズさんの一言がきっかけでした。最後に、シムズさんの言葉をお借りします。

ロックフェスがあれだけ若者に支持されているのに、なぜ高級料理は若者に支持されないんだろうと考えた。ロックは、楽器を自分で演奏できたり、演奏の技術的なことをしらなくても楽しめる。だけど高級料理は、料理の作り方や素材、歴史を知らないと楽しめないように思われている。僕は、そこを変えたいんだ

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明日は「Art」です。印象派とレジャーについて書こうと思います。

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