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Life|サステナブルを新しい価値にできたように

サステナブル(Sustainable)という言葉を、ここ1、2年くらいから広く聞かれるようになりました。

サステナブルとは本来、「維持できる」「耐えうる」「持ちこたえられる」を意味する形容詞ですが、「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」の意味で使われています。

料理の世界で、サステナブル(Sustainable)という言葉に僕が触れるようになったのは、おそらく2013年か2014年ころだったと思います。

世界のベストレストラン50」の2014年版でサステナブル・レストラン賞が新設され(初代の受賞レストランは、スペイン・ビルバオの「アスルメンディ」。オーナーシェフのエネコ・アチャ・アスルメンディ氏は、東京に支店「エネコ東京」をもつ)たことや、2015年に移転した「フロリレージュ」(東京・神宮前)やリニューアルした「レフェルヴェソンス」(東京・西麻布)という、東京を代表する前衛的なレストラン2軒がともに、「サステナブル」を掲げて新しく動き出したことで、日本でもほぼ時差がなく広がっていたことを覚えています。

「サステナブル」で腹が満たされるわけない

当時、食の専門誌で編集をしていた僕は、「サステナブルであることが、レストランの新しい価値になる」ということに懐疑的でした。それよりも、圧倒的なおいしさ、つまり「テーブルに運ばれてきてから口のなかに運ぶまで」が、レストランの絶対的な価値であると思っていたからです。

しかし、今ではサステナブルであるということは、大きな社会テーマになり、多くのレストランはサステナブルであることが前提条件にするようになりました。

レストランのシェフたちが考えるサステナブルとは、たとえば、レストラン経営や人材の育成というようなことを持続していけばいい、ということだけではありませんでした。

料理の根本である食材をつくる生産者や職人たち、レストランにとって欠かせないワインなどを製造する人たち、海外の食材を日本に運ぶ輸入業者、食材を運ぶ運送業者、器やカトラリーを作る職人などにとってもサステナブルであることを目指しました。

食事をする場所でもあると同時にレストランは、最良で良質なプロダクトを讃え、次の世代に継承しようとする文化とともにある総合的な文化施設であることと改めてみつめようとしました。

レストランの向こう側には、そした伝統や文化のうえに生きる人たちが生きています。レストランは、そうした文化との接点の場所でもあるのです。

それは、これまでの先人シェフたちがしてきたことではありましたが、より現代に即した形で伝えようとし始めたのが、現代のシェフたちのサステナブルへの取り組みの最大の意義だったと思っています。

サステナブルで脳や腹を満たすことができない、と思っていた僕でしたが、料理人の方々からの地道なメッセージを受け取るうちに、料理は心を満たすことである、という新しい価値を知らせてもらったのです。

東日本大震災が日本におけるサステナブル元年か

サステナブルの動きは、2000年代からすでにあったことです。日本の食の分野に素早く伝えわることができたのは、2011年3月の東日本大震災が契機だったのではないかと思っています。

世界のトップシェフが集結した東日本大震災復興支援「G9+TOKYO TASTE 2012」では、サステナブルの取り組みを先進的に進めるアメリカのダン・バーバー氏やイタリアのマッシモ・ボットゥーラ氏といった世界の料理人が日本を訪れるようになったことで、世界と日本の料理界の距離がぐっと縮まったことで、世界がどういった料理に進もうとするかを見る機会が増えたことが、要因のひとつとして考えられるのではないかと思っています。

ちょうど、日本のレストランは、東日本大震災の影響による産地への大きな損害によって、「料理と産地はともにある」ということを、改めて認識しなおすことになりました。

たくさんの料理人たちは、経済的にも精神的にも大きなダメージを受けてたなかで、被災によって食文化を分断するのではなく、むしろ次の時代に料理人は何を目指すべきなのかを手に入れ、食文化を引き継ぎながら新しい文化を作ることをしました。

Farm to Table」や「顔の見える生産者」、「クラフトプロダクト」といった現代のライフスタイルに根付いた概念は、東日本大震災以降、日本の飲食業界が、世界と同時進行のなかで新しく提示することができたものだと、僕は思います。

命を守ることは命の輝きを放棄することではない

先が見えない、日々が続きますが、この人類が初めて対面する2020年の戦いにまず打ち勝つことが大切であることに、異論はまったくありません。

一方で、僕は、この戦いの代償として、これまで人類がどんな政治的な侵略や軍事的な侵略においても守り抜いてきた文化を犠牲にしていいとも思いません。むしろそれは、次の時代に生きる人々にとって、命と共に守り抜かなければいけないことだと思います。

命を守るということが、命の輝きを放棄することであってはなりません。

人類初の戦いに勝った世界がゴールではなく、打ち勝ったうえで新しい世界でふたたび命を輝かすことができること。それが今の人類のゴールなのではないか。

サステナブル」という新しい価値に世界が取り組んだように、次の時代を推し進める価値を今こそ見つけていけないかと思っています。

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