見出し画像

昆虫食レストラン「ANTCICADA」と、マネの《オランピア》

2019年の飲食のトレンドのひとつに「昆虫食」があげられるだろう。これからも続く地球の人口増加の末に直面する食糧難に対して、人類の切り札として世界で注目されているのが、地球に対してエネルギー効率のよい昆虫食だというのだ。

日本でも今年は、新聞やテレビ、雑誌などで取り上げられるようになり、それが、その存在意義も含めが知られるようになった。

2020年春、日本橋馬喰町に開業するレストラン「ANTCICADA」の篠原祐太さんは、「コオロギラーメン」や「タガメジン」など、今年、ギョギョっとさせるメニューで話題をさらってきた昆虫食のパイオニア的存在だ。

篠原さんとは、前田将之助さんたちの「West End」で偶然同じ日に食事していた縁で知り合いになり、僕らのポップアップレストラン「HINODE」にも来てもらっていた。

まだオープン前ながら、ANTCICADAのメンバーがポップアップでクリスマスディナーを開催していることを、Twitterに流れてきた篠原さんの前日のキャンセル案内で知り、すぐさま連絡をし、もともと入っていた予定を調整してまで出かけた。今年中に体験したいレストランのひとつだったからだ。

画像10

※これ以降、人によっては見たくない画像もありますので、ご注意ください。

昆虫食ではなく、地球を食べるレストラン「ANTCICADA」

なぜ、ANTCICADAに来たかったのか。

僕に「昆虫が好き」という好みがあるわけではない。むしろ食べなくていいのなら食べないでいたい派だ。しかし、人類の長い歴史のなかで、昆虫を食べなくなったのは、ここ数百年、もしくは数十年のこと。食べるものが好きなように選べる時代に、昆虫を食べた自分がどんな感情をもつのか。昆虫を食べた自分がどうなるのか。自分への興味があって参加したというのが正直なところだ。

しかし、コースを食べ終えた僕はには、まったく違う感情が起こることになる。

ANTCICADAというレストランチームが日本のレストランシーンに「革命」をもたらすと感じたのだ。

画像1

スナック①
(コオロギの出汁がらのパウダーを生地に練り込んで揚げたもの)

画像11

スナック②
(ざざむしの佃煮)

画像3

ターサイ、サワークリーム

画像14

タガメジン(お湯割)
(ターサイのペアリング)

画像4

鰆、とうふ、発酵絵エノキ

画像5

苗目 タコス
(千葉県鴨川市にある農園・苗目のハーブで白子のフリットを包んで食べる)

画像6

セミの気持ち
(文字通りセミの気持ちになってストローを木に刺して樹液を吸う。木のコップの中には、リンゴジュースと栗の皮でとったお茶が入っている)

画像7

蝦夷鹿、蜂の子と蜂蜜、海老芋

画像8

コオロギラーメン

画像9


(チョコレートのタルト)

「冬の山の中はこんな感じです」

ざざむしの佃煮やハチノコのソース、コオロギラーメンなど、虫の姿は皿のなかにあるが、それでも見てもらえればとわかる通り、ひじょうにシンプルな料理の構成と、北欧っぽさがあるプレゼンテーションから、日本的なモダンクイジーヌの様式に映るだろう。

味わいの方は、複雑な旨味の相乗効果を生み出す構造というよりも、テロワールを意識した必然的な素材の組み合わせで、衒(てら)いがない。

コオロギラーメンは、ほかの豚骨や鶏ガラ、カツオでとったどの出汁とも違う味だし(もちろんおいしい)、タガメ焼酎もオスのタガメが発するフェロモンのフルーツのような香りが焼酎に移ることで、唯一無二の味わいになり、しっかりと新しいジャンルを作っているのだ。

ANTCICADAのチーム、料理人の白鳥翔大さん、関根賢人さん、豊永裕美さんの3人が山や海からとってきた食材。それを、背伸びすることなく、それでいて好奇心のおもむくままに、いまできる最適な調理をしている。そんな等身大の料理に、ものすごく好感を持てた。

ANTCICADAのシェフになるために、1年間デンマークで修業をしてきたと白鳥さんは、味覚とテクスチャーの感じさせ方のセンスがよいのだろう。料理にバランスの良さが感じられた。

画像13

途中で、「もっと昆虫が出てくるのかと思いました」と篠原さんに話すと、それまでリラックスしていた顔が少し引き締まり「今、昆虫たちは、山の中で眠っている季節です。冷凍したり輸入した昆虫を使ってしまっては、僕たちがやる意味がない」と話してくれた。

篠原さんの言葉通り、決して飾りたてることなく、そして美しい部分だけを切り取るようなこともなく。生き物たちが棲む山の中の景色を、ただただ真摯に、ANTCICADAのメンバーの目でしっかり見てきた通りの景色を皿の上に映し出していた。

現実を見るとは何なのか?

ANTCICADAの料理は、生き物たちが棲む山の中の景色そのままを皿のうえに映す。これは、絵画史におけるエドゥアール・マネの《オランピア》(下の絵)に匹敵する「革命」だ。

《オランピア》は1863年、31歳のマネが描き、当時の観衆から非難を浴びた問題作。印象派の父と呼ばれるマネも、この時はまだ血気盛んな前衛画家だった。

《オランピア》の革命性は、女性のヌードを現代に生きる娼婦として描いたことだった。

これは現代の感覚ではまったく理解できなだろうが、西洋絵画では、女性のヌードを描くには、神話の女神やキリスト教の聖女など、架空の存在として描かなければならないというルールがあった。たとえば、マネが《オランピア》で元ネタにした、イタリア・ルネサンスの画家ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》(下の絵)も、ヴィーナスというローマ神話の女神を描いているという「言い訳」をしたうえで、女性のヌードを描いている。

マネは、「ヌードを描くには空想・ファンタジーでないとダメ」という、300年も前に作られて、そのままになっていた絵画のルールを打ち破り、「目の前の現実を描くことこそ同時代の絵画のあるべき姿である」と、高らかに宣言したのだ。

美化された風景ではなく見てきた現実を

モダン・クイジーヌ(現代料理)と呼ばれる料理を食べたことがある人は、切り株のようなプレートに盛り付けられたり、自然の景色を模したような細工や演出の料理を体験したことがあるだろう。

どれも洗練されていて、食べたときにその素材が育まれた美しい景色が思い浮かぶ。それは、長い間人間が憧れ続けてきた、理想的な自然風景といえる。

しかし、ANTCICADAの料理は「そんなものは空想であり、ファンタジーだ」と迫めよってくる。溶岩の輻射熱で火を入れた蝦夷鹿にナイフを入れれば、血のように赤い肉汁が出てくる。それは、強烈に山で撃たれた蝦夷鹿を連想させる。ざざむしの佃煮もそうだ。冬の澄んだ空気を流れる清流の川底には、こうした小さな虫が生きていることは、想像すればわかることだ。ただ、自分が見ようとしていないだけ、見せないように現代社会がしているだけ。

ANTCICADAの料理は、事実を直視させる「写実主義的料理」なのだ。

冒険するためのツールとしての料理

東京都八王子市の奥、高尾に生まれたという篠原さんは、物心ついたころから山に入って昆虫をとり、一緒にたわむれることの延長で、自然に昆虫を食べるようになったという。

しかし、成長していくなか集団教育の中ではそれを言えず、ずっと隠し続けていた。青年になって慶應大学に入ると、まわりの同級生たちが、自分の好みを公言し、個性をどんどん表現していることを見ているなかで、ようやく昆虫を愛し食すことをカミングアウトすることができたそうだ。

僕は、仕事柄、何人もの日本を代表する学者や研究者の先生に会ってきた。その時、つくづく感じていたのは、一つの分野にのめり込んで研究に没頭する天才は、なんらかの異常性を持っていることだった。

山が大好き、昆虫が大好きな篠原さんは、まさにこの天才の系譜に連なる異常者だ。

こうした異常者が異常者であり続けるためには、これまでは学問の道に進むか、画家や音楽家などのアーティストになることしかなかった。篠原さんは「料理は冒険」だという。僕は、篠原さんが冒険するためのツールとして「料理」を選んでくれたことがすごく嬉しい。

ピカソが料理人だったらどんな料理を作るんだろう?

落合陽一が料理人だったらどんな料理を作るんだろう?

そんなことを考えたことはないだろうか。篠原さんが表現の手段として料理を選んだことは、その叶えようもなかった夢を体験できる可能性が生まれたようなものだ。

何年後か、ANTCICADAの料理が「料理を変えるターニングポイントだった」と言われることになる、と僕は真剣に思っている。

しかもまだ20代、これからどんどん成長していくはずだ。5年後を想像するだけでもワクワクする。

そしてさらに、篠原さんのように、料理をツールにして壮大な冒険に挑もうとする人たちが、どんどん後に続いてくれることを、新しいレストラン体験をしたくてたまらない僕は、切に願っている。

画像14

画像11

ANTCICADAは開業に向けて、クラウドファンディングに挑戦しているので、気になる人は、サイトをのぞいて


料理人付き編集者の活動などにご賛同いただけたら、サポートいただけるとうれしいです!