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Art|フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》 答えがない鑑賞法

毎週火曜は、アートの日。3週連続で、3/3から開幕する「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」に出品される作品の中から、1点を取り上げます(いま、この展覧会関係の本を作っているので、もう少しお付き合いください)。

今週の1枚は、ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》です。

フェールメール作品では24作目の来日!

ここ30年で一気に人気画家になったフェルメール。日本では、2000年に大阪市立美術館で開かれた「フェルメールとその時代」展がきっかけで、ファンが増えたのではないでしょうか。この展覧会にはフェルメール作品のなかでもっとも有名な《真珠の耳飾りの少女》(マウリッツハイス美術館)が出品されています。

ちなみに日本に初めてフェルメールの作品が来たのは1968年のこと。初期の神話画《ディアナとニンフ》(マウリッツハイス美術館)でした。それから52年。35作品といわれる(諸説あり)現存するフェルメールの作品のうち、この春、初来日する《ヴァージナルの前に座る若い女性》で、24作品。

ようこそ日本へ。

どうせなら「立つ」方がよかった

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、《ヴァージナルの前に座る若い女性》のほかに《ヴァージナルの前に立つ若い女性》というフェルメールの作品を所蔵しています。

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ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性
1670~72年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

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ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に立つ若い女性
1670~72年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

同じ年代に描かれ、作品のサイズもほぼ同じ。そのため、2枚は対の作品として考える研究者もいます。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の作品が発表されたときに「どうせなら、”立つ”方がよかったなぁ」なんて思ったのは、《ヴァージナルの前に座る若い女性》の方が、作品の質として低いと考えられるからです。

たとえば、背景の絵の金の額縁。《ヴァージナルの前に立つ若い女性》の方は、光の反射を丹念に描いているのに対して、《ヴァージナルの前に座る若い女性》の方が、デフォルメして模様になってしまっています。

女性の衣装(とくにスカート部分)も、《ヴァージナルの前に立つ若い女性》の方が、質感を込めてしっかりと描かれています。表情も、生気があり、表情から女性の感情を読み取ることができます。

上の2枚の絵をクリックしてもらうと、所蔵先のロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションサイトにとびます。絵の部分を拡大してみることができますので、2枚を見比べてみてください。

こうした違いを、フェルメール自身の衰えによるものとして、《ヴァージナルの前に座る若い女性》はフェルメールが亡くなる1675年に近い段階で描いたのではないかという研究者もいます。

《真珠の耳飾りの少女》や《牛乳を注ぐ女》(アムステルダム国立美術館)など、フェルメールのキャリアハイの作品と比べると、どうしても見劣りしてしまう、今回の来日作品に、少しがっかりしたというのも事実です。

絵を描いている場合じゃなかったフェルメール

フェルメールは、オランダ南西部の古都・デルフトに1632年に生まれました。亡くなったのは、1675年。43年の生涯でした。

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フェルメールの生涯をざっと説明します。

1.生涯にわたり、わずかな旅行などを除いてデルフトで過ごした
2.実家は宿屋と画商をしていて、20歳で家業を引き継ぐ
3.奥さんの家が大金持ち。15人の子供にも恵まれた
4.20代は、オランダが経済的のバブル
5.30代ころから英蘭戦争などが起こり、オランダ経済が落ち込み。借金に苦しみ始める
6.40代になると、奥さんの実家(金貸し業)の手伝いで、貸付金の回収(借金取り役)に奔走

ポイントは、画家でだけでなく家業の宿屋や義母の金貸し業の手伝いなどをしていて、貧乏だったこと。パン屋の支払いができず、代わりに絵を描いて渡した、という記録も残されています。

40歳以降は、健康も害して、家の借金、義母の金貸し業の手伝いと、「絵を描いている場合じゃない!」ありさまでした。

現代では、人生100年なんて言われていますが、当時にしては40代が寿命というものも珍しくありませんでした。とくに画家は、自分たちで鉱石を砕いて絵の具を作っていましたので、微細な粉石が肺に入ったり、絵の具調合中に発生する毒素を吸うなどして、寿命の短い職業でした。

「答えのない」名画鑑賞もある

肉体的な衰えと、病、生活の状況など多重苦のなかで、描けなくなった自分をどんな気持ちで見つめ、そして《ヴァージナルの前に座る若い女性》を描き終えたのでしょうか。

フェルメールは、この絵について言及をしていないので、事実はわかりません。

僕もたとえば、この絵を希望をもって描き切ったとか、納得がいかなくても描かないと生活できなかったとか、安いお金で描いたから質がともなってないとか、その状況や理由を考えました。しかしそもそも、見積もりや納期ばかりを気にしているクリエイター気取りの僕と、フェルメールではレベルが違います(比べることすら失礼)。

1枚1枚、文字通り命を懸けて描いたからこそ、350年以上前から、かわらず世界の人々の心を動かす絵を残せたフェルメール。私たちには想像すらできない極限の状態で創作を続けていたのですから、その状況を理解しようとすることすら愚問です。

だから、フェルメールがどんな気持ちで《ヴァージナルの前に座る若い女性》を描き終えたのか、なんてわかるはずがない。

近年の美術館ブームによって、多くの方がアートに興味を持たれて、美術館に足を運ばれています。それはとても素晴らしいことです。

僕も、この絵の鑑賞のポイントはどこどこで~。世界に何枚しかないもので~。ここに描かれているのはこんな意味があって~。というような、答えのある絵画鑑賞を紹介して、興味を持ってもらおうとしています。

でも、ついつい、その手段が目的になってしまい、わかることだけ、答えがあることだけを伝えるようになってしまいがちです。

ヴァージナルの前に座る若い女性》という、答えのない絵は、美術鑑賞において、いま抜け落ちているもの、それでいてもっとも大切なことに気づかせてくれる絵になるのではないかと思います。

それは、「絵を自由に感じていい」とか、「あなたなりの絵の解釈を見つけてほしい」ということともちょっと違っていて、それすら「答えがない」ものだと思っています。

絵画は、ゲームではありません。読み解いて、何が描かれているか理解したらクリア、ということでもありません。繰り返し向き合い続けること。

答えがないものに向き合う

ヴァージナルの前に座る若い女性》を、ゆっくりと鑑賞してみようと思います。

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