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Art|作品に宿る魂は72dpiで表現できるのか

2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大によって「非接触」「社会的距離」がスタンダードになって、オンラインでのコミュニケーションが急激に進んだ1年でした。

美術の方では、2~8月くらいまでの展覧会は軒並み中止で、その後は、日時指定チケットの購入や日時指定予約制などを導入して、入場人数のコントロールをしながらの開催になっていました。

とうぜん当初の入場者数は見込めなくなるわけで、多くの展覧会が予算を削減したり、東京国立博物館で開かれた「桃山」展(10/6~11/26)は、一般の観覧料金を2400円に値上げするなどしていました。

一方で、広告予算が削られても告知はしなければならず、これまでほとんどなかった美術館や博物館のYouTubeチャンネルなどのオウンドメディアが活性化したのも特徴です。

東京国立博物館のチャンネルには、「KIMONO」展に合わせた告知動画て、IKKOさんが出演しています。

中止になってしまった東京都美術館の展覧会「ボストン美術館展」は、展示予定作品を動画で公開していました。

僕も以前、美術関係の方にオウンドメディアの提案をしたことがあるんですが、財団法人などの公共機関は、基本的に資料の保存・管理が大命題なので、集客は副次的なもの。そこにお金をかけるというのは、なかなかできない、という話を聞きました。

ある意味では背に腹を変えられない状況になった、ということだと思うのですが、今後は、きちんと編集者やディレクターが入ったメディアが出てくるんじゃないかなと思います。

作品を見るということ

オンラインの可能性が提示された一方で、ウィズコロナ/アフターコロナの世界で展覧会に行ってみると、フィジカルに対峙できる作品から得られる情報量の多さに驚かされます。

72dpi/4Gくらいの世界では、やっぱり圧倒的に解像度が違います。細部のリアリティと、とくに大きな作品にある包まれるような感覚は、何者にも代えがたいと思うのです。

何かの素材から、創作物を形作るアーティストにとって、無意識に何かが生まれることはありません。すべての一筆、一刻、一押が、意志あるものであるのですから、どんな小さな形も見逃してはいけないのです。

そういった創作者の魂のようなものが、やっぱり細部に宿る。

いまのところ72dpiの世界では、その魂を創作物を通して現実化させるのはやっぱり無理なんだな、ということをウィズコロナ/アフターコロナの美術鑑賞で実感しました。

もちろん、5Gの世界、高速通信の世界になったら変わるのかもしれません。しかし、ウィズコロナ/アフターコロナの現状では、いまのところ難しいというのが、2020年の世界の真実なのかなと思っています。

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明日は「Human」です。


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