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note|weekly shH(仮)準備室さんのnoteを読んだ

人間は、なぜ生きるのか? 生産性を高めて経済を回して、物質的な豊かさを追い求めることが、生きることなのだろうか。

コロナ禍にあって、「不要不急」という言葉が大きく取り上げられました。欲望や快楽、嗜好、歓びといったことは果たして人間にとって「不要不急」なのでしょうか。

僕自身は、飲食業界の近いところにいることもあって、エネルギー摂取としての食事ではなく、楽しみや心を満たす、気づきを与えるエンターテイメントとしての食事は、生きることの最大の目的ではないかと思っています。

演劇や食の分野が「必要火急」とされるために

役者の社会的地位の話にも繋がりますが、海外ではエンタメ業界の側が国や社会に働きかけて、結果としてエンタメを守っていくための制度や支援を作り出しています。エンタメっていうのは社会に必要なものなんだとみんなに分かってもらう努力をしているんですね。一方日本ではというと、そういうところが進んでいるとは必ずしも言い難い。コロナの影響でショービジネスが大打撃を受けた当初、演劇業界の著名人の方々が「演劇の火を絶やすな」といった趣旨のことをおっしゃられて賛否両論が起きましたよね。一般の方々の中だと非難の声のほうが大きかったと思いますが、コロナ前から演劇業界のビジネスモデルの不存在に疑問をいただいていた小濱さんや私からすると、そういった展開もやむを得ない面があると思えました。エンタメは人が生きるためには絶対に必要なものだし、私たち自身それを心底信じているけれど、じゃあそれを社会の側にわかってもらう地道な努力を業界の側はしてきたのだろうか、と。もちろん、そういった努力をされてこられた方々はこれまでもおられましたし、その方々のおかげで、エンタメの火が続いているのは紛れもない事実なんですが、ただ、現に今回のような緊急時にエンタメへの救済が後回しになってしまったのは、平時からエンタメの社会的重要性やインフラ的な側面を広く説いてこなかった業界にもその責任の一端があるのではないかと。とはいえ、特にコロナの件に関する日本の現状については、国の側のエンタメへの無理解に関して絶望を感じましたが(苦笑)

この記事のなかで、「演劇ごはん」の共同創業者で弁護士の小野田峻さんが上のようなことをおっしゃっています。

飲食業界でも、じつは同じようなことが4月頃に起こっていました。緊急事態宣言などによる営業自粛要請に対して、料理人側から保証をしっかりしてほしいという意見がメディアを通じて発信された時でした。

Yahoo!ニュースにも掲載された記事があったんですが、その記事についたコメントのひどいこと。「一生行くことのない高級レストランなんて潰れても問題ない」とか「そもそも1カ月閉めたくらいで資金繰り出来なくなるなんて、どういう構造してんだ」なんていう批判が山のようにあったのを今も鮮烈に覚えています。

小野田さんがいうように「じゃあそれを社会の側にわかってもらう地道な努力を業界の側はしてきたのだろうか、と」という言葉は、そのまま飲食業界にも当てはまるように感じたことで、心に響きました。

そしてもう一つ、興味深く読ませていただいたのは、演劇文化が根付いている海外の舞台と日本の違いを「役者と観客のコミュニケーションの有無」ではないかと、「演劇ごはん」を主宰する株式会社Alave代表取締役の小濱晋さんが話されています

 ぼくが海外で観た公演では、劇中で好意を寄せてた相手から告白された登場人物が最前列のお客様に「わたし、告白されちゃった! ねえ、あなた聞いてた⁉︎」って話しかけていました。それに対してお客様も「聞いてたよ、おめでとう~」とハグを返す。そのやりとりが客いじりという感じではなくとても自然で、そこにひとがいることをきちんと意識して演じてるんですね。それってつまり、コミュニケーションを取るか取らないかが選択としてあるだけで、いつでもコミュニケーションを取りにいける状態で芝居をしてるということなわけで。基本コミュニケーションを取らない状態で芝居を作る日本とは全然違う。日本の場合、舞台と客席は切り離されていて、物語の中に観客は存在してないんですよ。客席の間を歩いてセリフを言う演出もありますが、それも単に歩いてるだけで、そこにいる観客を登場人物は意識していない。それでは舞台の面白さを半減させちゃうとぼくは思ってるんです。ドラマや映画との一番の違いは目の前に人がいるってことですよね。目の前でお芝居をしてる特別さを活かさなきゃ、ドラマや映画に勝てるわけがないんですよ。それが舞台と客席がシームレスな演劇です。日本で舞台が根付かないのはその楽しみ方が欠けているからだと思っています。

わざわざ高いチケットを買って劇場に足を運ぶ…お客様にそれだけしていただくには「自分がここにいることをちゃんと認識してもらえる」と感じてもらうことが必要だと思うんですよ。そう感じると客席にいやすくなるから。別に劇中で話しかけられなくとも、雰囲気としてちゃんとここに人がいることを前提に演じてくれていると、やっぱり親しみやすいし嬉しい。また観に行きたいなって思うんです

このことも、コロナによって強く感じたことで、コロナになっても客足が途絶えないお店の最大の要因は、お客さんとお店のコミュニケーションがしっかりあること。「あなたとわたしでなければ成り立たない時間」がしっかりあることだと感じています。

自分がここにいることをちゃんと認識してもらえる

演劇や食の分野が「必要火急」とされるために必要になってくることだと思います。

演劇によって食事にあたらしい時間軸が生まれる

こだわりのレストランだからこそ、その想いを演劇の力によって伝えようとされてる「演劇ごはん」の取り組みはおもしろいですよね。

実際にどうやって目の前の料理ができたのか、とかその素材との出会いなどを食事中に聞くことはあるのですが、その場面を再現性高く目の前で起こったときに、どんな感情になるのかとても興味があります。

あとは、深い感動を含む感情の起伏によって、料理の味がどうかわるのか。

先日、伊勢で300年前に伊勢詣での人たちに振る舞われていた「御師料理」を再現したコースをいただいたんですが、当時の伊勢詣での様子や、伊勢詣に参った人たちの想いみたいなシーン(要潤さんの『タイムスクープハンター』みたいな)を見ながら食べたら、より理解度が高まるんじゃないかなと思ったり。

生産者さんがどうしてどうしてその野菜を作りはじめたのかとか、失敗とか苦悩みたいのを再現してもらって食べるというのもおもしろそうです。

食が好きな人が演劇に興味をもったり、演劇が好きな人が食に興味をもったり。そうした嗜好の交流が生まれると、より人生の歓びは深まると思いますし、それは大きな規模である必要も必ずしもないですし、記事でも書かれている通り、より身近な存在になっていくとも思います。

演劇ごはん」、ぜひ参加してみたいなぁ。

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明日こそ、書ききれていない「未来のレストランはメディアになる、2020」をまとめたいと思っています。

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