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note|野村俊介さんのnoteを読んで

先日、短い内容ながらハッとさせられるnote に出会った。野村俊介さんの「個体差」をテーマにしたnoteだ。

人間には持って生まれた個体差があるのだから、巷に溢れる情報に振り回されるのではなく、自分の個体を理解して、自分にあった方法を取るべきだ。そういったことが書かれている。

12時なると人がビルから一斉に出てくる

野村さんの場合は、自分の個体差を理解しろ! というメッセージなのだが、僕の場合は、人それぞれの個体差をどれだけ理解しているかな、ということに考えが向かった。

たとえば、昼食を12時に一斉にとるというのも、僕には異常に見える。

仕事柄、いわゆる定時出社、昼食は12時という生活をしてこなかった。そんなこともあり、そこで働いていらっしゃる方に失礼とは思いながらも、昼食を一斉に取っている様子を見ると、ベルトコンベアに運ばれてきた製品のように感じてしまうのだ。

狩猟民族だったヒトが、農耕を覚え、文明が誕生して以来、社会というシステムの中ので人々を労働力としての安定化が目的で、均一化、規格化を目指してきた。つまり、人間が効率よく働けるように、個体差にできるだけ左右されないシステムを目指してきたのだ。

農地に対して都市が発生すると「勤め人」が生まれた。それまでは、昼は家に帰って食べたりしていた時代から、社会に管理されるようになると、決まった時間に食事を取らされるようになる。

18世紀後半の産業革命以降、肉体労働が中心だった時代は、炭水化物の摂取が推奨された。とうぜん、今のように電車やバスのような交通手段がない時代ので、おもな移動は歩き(またはお金があれば馬車なども)。炭水化物を摂取しても、その分消費できていた時代だった。

その後、20世紀の移動革命とホワイトカラーと呼ばれる総合職が増えてきたことで、ライフスタイルが変化。1960〜70年代に、フランス料理に「ヌーヴェル・キュイジーヌ」という、バターや脂分を減らした軽い料理に向かうのも、そういった社会背景があります。

ちょっと、話が脱線しましたが、昼食ひとつとっても、同じ時間に同じような食事をとることよりも、時間をずらしたり個体にとっての有効な食事、あるはいま自分がやっている仕事にとって、効果が高い食事の摂取方法はある。食べたもので人間の体は作られ、体を動かして思考をするのだから、もっと真剣に食事を考えるべきだとも思う。

あとは「人が1日に必要とされる栄養素〜」みたいなのは、ある程度の基準ではあるけど、本当に自分にとって意味のあることなのか、というのは確かに疑問だ。

「自分は誰かになれない」を早めに気づくこと

書籍でも、今はビジネス書に勢いがある。それをそのまま読めば、その人になれるかのように錯覚して読み漁るのもいいが、それぞれの個体にとっての差を理解し、どこかで自己判断しないといけない。そんなことも考える。

ただ、「自分の個体性をどうやって理解するか」というのも、コンプレックスという他者との比較から、ようやく消化できるようになっていくようなものだったりするので、ビジネス書を読んだり、誰かになろうと努力するのも、悪いことではないんじゃないとも思う。

けっきょくは、「誰かにはなれない」ということを、できるだけ早く気づくことが大事なのわけで、そこでようやく自分自体、「個体」向き合うことができる。

僕がいう個体は、野村さんがいう「物理的な個体性」とはちょっと違って、個性やオリジナリティのような言葉に近いかもしれない。

僕は、個性やオリジナリティのような内面的な差として理解するよりも、「個体」という物理的な差と考えた方が、人と人の外的な接点として他者を理解することができるんじゃないかと思う。

人と人との関わりを、外的接点と考えることができたら、「理解されない」とか「だめな自分」みたいなことに振り回されにくくなる。

個体差は時間と量による評価からの解放

現代において「多様性」をいかに実装するか、というのは、自分を含めて僕たちおじさん世代の課題なわけだが、多様性を趣味嗜好を含む「個性の許容」みたいな理解で実装しようとするよりも、野村さんがいうような「個体」を意識して理解していくことは、ひとつの解決策になるような気がしている。

個体を時間との関係で考えてみたい。

野村さんのnoteの冒頭にもあるように、「1歳のイノシシ」は、工業製品のように規格が一致しているわけではない。

入社1年目の社員も、小学生も大学生も、入学式も成人式、時間によって人間を規格化して、それによる成果を求めていくのは、どんどん個体を見えなくしていくのではないか。「時間」と、さらにはそこから測られる「」で人間を評価するのは、個体を無視した行為だと思う。

そして、時間と量で評価することをやめるということは、「個体にとって無理をさせない」という持続性にもつながっていくような気がする。

もっと個体をみてそれぞれの人にあった関わり方、そして自分の個体性も理解をして、接していかないといけないなと思った野村さんのnoteでした。

ちなみに、野村さんの別のnoteで、これも好きです。

野村さんは、広島でレモンと牡蠣の専門店「mon-to.9 モントナイン」など経営している飲食業界の人です。ジビエソーセージの「.comm ドットコミュ」(トップ画像は、ドットコミュのジビエホットドック「オールブラックス」)などにも関わっています。肉体と食との関係を独自の理論と実践(これが大事)で立証しようとしている、とてもおもしろい存在で注目させていただいております。

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